【良作】2012_無慈悲な死の数々に戦慄(ネタバレあり・感想・解説)

災害・パニック
災害・パニック

(2009年 アメリカ)
一般には、破壊王エメリッヒのやりたい放題が頂点に達した大バカ超大作として認識されている本作ですが、実際には自己の生存のみに専念し他人に迷惑をかけてでも生き残ろうとする異様に生命力の強い主人公と、その他大勢の無残な死がセットにされた不条理残酷絵巻となっており、ある意味で見ごたえがありました。

作品解説

2012年人類滅亡説とは

本作はグラハム・ハンコックのトンデモ本「神々の指紋」(1996年)に着想を得たものであり、その中でも特に2012年人類滅亡説を直接的な題材としています。

古代マヤ文明で用いられていた長期暦が2012年12月21日頃で途切れることから、そこが人類の最後ではないかとした終末論であり、21世紀初頭にはちょっとしたブームになりました。

現在の価値観で考えると本当にバカバカしい話なのですが、「奇跡体験!アンビリバボー」などでは割かし真剣な特集が組まれていました。

爆発的な大ヒット作

本作は世界的な大ヒット作となりました。

2009年11月13日に全米公開されるや、週末だけで6500万ドルを稼ぎ出してぶっちぎりの1位を獲得。翌週には『ニュームーン/トワイライト・サーガ』(2009年)と『しあわせの隠れ場所』(2009年)という強敵に敗れて3位に後退したものの、全米トータルグロスは1億6234万ドルに及びました。

全米以上に凄かったのが国際マーケットであり、全世界トータルグロスは7億6967万ドルで年間興行成績第5位という大ヒットになりました。

ソニーピクチャーズがリリースした作品としてはサム・ライミの『スパイダーマン』トリロジーに次ぐ歴代4位という好記録であり、期待を遥かに上回る成果を上げました。

感想

破壊のインパクトは物凄い

過去作品においても豪快に世界をぶっ壊してきたローランド・エメリッヒが、そのキャリアの集大成として製作した一大ディザスター大作。

今回、どういう理由で地球が破壊されるのかは何度見てもよく分からないのですが、エメリッヒの映画だから細けぇことはまぁどうでもいいのです。

原因はよく分からないがとりあえず地球内部に異常が発生。通常であれば数億年をかけてじっくり進行するはずの地殻変動がほんの数週間で一気に進み、大地は隆起と沈降でめっちゃくちゃになる。とりあえずその点さえ分かっていれば物語を見失うことはありません。

ここで起こるのは都市破壊のような生易しいレベルではなく、アメリカ西海岸一帯が沈降して消滅する、高さ数キロという巨大津波が発生する、大陸が数千キロも移動するという大掛かりなものであり、いざ事が始まれば人類が作り上げた建造物などはテーブル上の積み木のように簡単に崩れていきます。

その一大地獄絵図こそが本作の見せ場であり、「破壊を見たい!」というディザスター映画ファン達の欲求を十分に満たしてくれます。この旺盛なサービス精神には頭が下がる思いがしました。

資本主義の弊害が裏テーマ

そんなカタストロフの中でのドラマを担うのはカーティス一家。

父ジャクソン(ジョン・キューザック)は売れない物書きであり、食べていくため仕方なくリムジンの運転手をしています。

かつてジャクソンには妻と二人の子供がいたのですが、ジャクソンには経済力がないうえに育児参加も不十分だったために家庭生活が破綻して離婚。現在、元妻ケイト(アマンダ・ピート)は美容外科医ゴードン(トム・マッカーシー)と同居しており、子供たちも経済力がある上に人柄も良いゴードンに懐いています。

こうして振り返るとスピルバーグの『宇宙戦争』(2005年)に酷似した前提が置かれているのですが、不仲だった親子関係の再生をテーマにした『宇宙戦争』と比較すると、本作のドラマはよりシビアなものとなっています。

別居中であってもカーティス一家の心の繋がりは途絶えておらず、元妻も子供たちもジャクソンを愛し続けています。しかし心はあっても経済力がなければ生きていけない。そのために家族は父の元を離れ、金持ちの再婚相手を選んだという設定となっているのです。

この資本主義経済においては、どれだけ良い父親であっても金を稼ぐ能力がなければ家族から見放される。そんな恐ろしい現実が描かれているというわけです。

本作で描かれるのは金金金。再婚相手ゴードンの職業が普通の医者ではなく金持ち相手の美容外科医という設定には恣意的なものを感じるし、政府が用意した箱舟に乗る権利は大金で売りに出されます。そして政府は人間の命よりも美術品の保護を優先し、箱舟の建造に尽力した名もなき労働者達は乗船者リストに入れられていません。

資本主義社会においては経済力と生存可能性は密接に結びついている。一見すると能天気な大スペクタクルにおいて、そんな恐ろしい現実が描かれているのです。

無慈悲にも程がある死にざま

そんなシビアな物語において、本来は持たざる者であるはずのカーティス一家はゴキブリのような生命力で生き残り続けます。

通常、この手のディザスター映画では主人公グループは自己の生存に加えて他人の生存にもある程度気を配り、余裕があれば人助けをしようとするものなのですが、その点でカーティス一家は徹底的な利己主義に貫かれています。

火事場から逃れるための移動手段に向かって常に全力疾走し、周囲の人達と一緒に乗り込もう、助かる手段をシェアしようという気が皆無なのです。

中盤にて一家はロシア人富豪が用意したバカでかい輸送機に乗り込むのですが、積まれている高級車をどかせれば数百人は収容できたはずのその輸送機に乗り込むのはわずか10人足らず。その後、一家は離陸した飛行機から数万人が地割れに落ちていく様を眺めるのですが、その気があればそのうちの何人かは救えたはずです。

他人の生死への驚くほどの無関心さ、本作を見ているとこれが気になりました。

また死にゆく者達の死にざまがあまりに無慈悲である点も気になりました。

例えば長年に渡って絶縁状態だった親子がようやく電話で会話をしようとした瞬間に訪れる死。また傲慢な金持ちが最後の最後で幼い我が子を救うために自分の身を投げ出すが、別れの言葉を言う余裕すらなく奈落の底に落ちていくという形の死。

セリフがあり、主人公との交流があり、ある程度の背景が描きこまれたキャラクターがここまでアッサリと殺される。その死に何の意味も与えられず、臨終で何かを残すわけでもなくただただ呆気なく死んでいく。そんな描写の連続には背筋が凍りつきました。

パニック映画において人の死とは不可欠の要素ですが、本作で描かれる死にはかなり異質なものがあります。

一方カーティス一家はというと、自己の生存のためなら何でもします。助けてくれそうな他人がいると「子供がいるんです~」と全力で泣きついて慈悲を引き出し、ルール違反をしてまで箱舟に乗り込もうとする。

クライマックスの騒ぎはほぼほぼカーティス一家のせいであり、彼らの無賃乗船のために箱舟は沈みかけたのですが、危機を脱すればどこ吹く風。おまけにそれまで尽力してくれていた再婚相手もちょうどいいタイミングで死んでくれて、一家団欒を取り戻します。

他人に多大な迷惑をかけ、また他人の自己犠牲の中で生かされたということには目もくれず、カーティス一家は新天地での生活に思いを馳せるのでした。

おそらくエメリッヒは確信犯的にこの利己的で無慈悲なドラマを構築したのだろうと思うのですが、通常のディザスター映画とは完全に一線を画したアイロニカルな視点は非常に新鮮で見ごたえがありました。

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