【駄作】エアポート’75_ヒロインは柳沢慎吾似(ネタバレあり・感想・解説)

災害・パニック
災害・パニック

(1974年 アメリカ)
エアポートシリーズ第2弾だが、実に格安で製作されているので見せ場らしい見せ場がない。その分フィーチャーされるのがヒロインの顔芸なのだが、そのヒロインが田中真紀子というか、冝保愛子というか、柳沢慎吾というか・・・、とにかく華がない。

感想

小学生の頃に親父と一緒に見たような記憶があるが、その時は面白いと感じなかった。

以降の人生で本作の存在を気に留めることは一切なく、気が付けば当時の親父を越える年齢になっていたが、そんなある日に午後のロードショー様が本作を放送してくださったので、有難く鑑賞させていただいた(平日昼間のOAなのでもちろん録画)。

午後ロー様には菓子折り持ってお礼に行かなきゃと数十回書いているような気がするが、いまだ実行はしていない。しかし感謝の気持ちだけは本物だ。

OAの冒頭で「不適切な表現が含まれていますが、そのまま放送しますよ」的なテロップがジャーンと流れて何事かと身構えたけど、本編中に問題となりそうな部分は見当たらなかった。あれは一体何を指していたんだろう。

20世紀フォックスの『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)と並んで、70年代パニック映画ブームの火付け役となったのがユニバーサルの『大空港』(1970年)。

その後3本の続編が製作されたが、第2弾に当たるのが本作『エアポート’75』である。

ただし本作に『大空港』の原作者アーサー・ヘイリーは全く関わっておらず、作品のクレジットにおいても「inspired by the film “Airport”」と実に微妙な表記となっている。

もともとテレビ映画用に書かれた脚本だったが、これを気に入ったユニバーサルの幹部が劇場映画に昇格させ、同時期に製作中だった『大地震』(1974年)のリソースを使って製作されたとも言われている。

同作に出演したチャールトン・ヘストンとジョージ・ケネディが本作にも出演。『大地震』の撮影終了15時間後には本作の撮影が始まったらしい。

そしてジョージ・ケネディが出演しているという一点をもって、本作は『大空港』(1970年)の続編であるとギリギリ主張できているのだが、ケネディ扮するジョー・パトローニは前作の整備士からコロンビア航空副社長へと、島耕作も驚きの出世を遂げている。

これに留まらず、シリーズ第3弾『エアポート’77/バミューダからの脱出』(1977年)ではジャンボ機の製造会社の責任者、シリーズ第4弾『エアポート’80』(1979年)ではコンコルドの操縦士と、ジョー・パトローニは華麗なる転職履歴を誇っている。

ビズリーチのイメージキャラクターにでもしてみてはどうだろうか。

冒頭、長々とロサンゼルス国際空港(通称LAX)の光景が延々と映し出されるが、本編の舞台はLAXではない。空港が主たる舞台ですらない。”Airport”というタイトルなのに・・・

飛行機から降り立つアラン・マードック(チャールトン・ヘストン)と、彼の到着を待っていたキャビンアテンダントのナンシー(カレン・ブラック)。

アランは「忙しいので一緒に遊んではいられないけど、宿泊先のホテルにはちょっと来いや」という趣旨のまぁまぁ酷い感じのことを、実にマイルドかつダンディに発言する。

一方ナンシーは煙に巻かれるタイプではなかったので、私への扱いがあまりに酷くないかと、実にごもっともな理由で機嫌を損ねる。

続けて「婚約してから6年だけど、いつになったら私たちの関係は進展するの?」との衝撃発言が飛び出す。

6年・・・婚約者を放置するにはあまりに長すぎる期間である。

男の中の男チャールトン・ヘストンが演じているとは言え、アランのダメ男ぶりには完全に引いてしまった。こいつがヒーローポジションで大丈夫なんだろうか。非常に不安を覚える出足である。

ただしアランがそうなってしまった理由も分からんでもない。

ナンシーのお顔が田中真紀子というか、冝保愛子というか、柳沢慎吾というか、とにかく大作のヒロインを背負う感じではないのだ。

ナンシーを演じるカレン・ブラックは舞台俳優で、その実力をフランシス・フォード・コッポラに認められて映画界に進出。

『イージー・ライダー』(1969年)で注目を集め、『ファイブ・イージー・ピーセス』(1970年)と『華麗なるギャツビー』(1974年)でゴールデングローブ助演女優賞受賞という実力派だった。

本作においても演技力重視のキャスティングだったと思われるのだが、そうはいっても華というものがなさすぎるので見ているのがちょいと辛かった。

そんなナンシーが客室乗務員として乗り込んだ旅客機がセスナ機と衝突するというのが本編であり、70年代のパニック映画らしく、飛行機には一癖も二癖もある乗客たちが乗りあわせている。

サイレント時代の大女優グロリア・スワンソンが本人役で出演し(製作陣の第一希望だったグレタ・ガルボには断られたらしい)、そのアシスタントとして『猿の惑星』(1968年)のリンダ・ハリソンが見切れている。

売れない喜劇俳優役で有名コメディアンのシド・シーザー、腎臓移植手術を受ける予定の少女役で『エクソシスト』(1973年)のリンダ・ブレア、彼女を歌で励ます尼さん役でグラミー賞受賞歌手ヘレン・レディと豪華な面々が顔をそろえるが、その実、彼らは本編にほとんど絡んでこない。

緊急事態対応を一手に引き受けることとなったナンシー=カレン・ブラックの顔芸こそが本編であり見せ場なのだ。

髪はバサバサ、メイクはドロドロ、70年代基準の女優の扱いとは思えない状態で絶叫するカレン・ブラックの奮闘は、彼女が頑張れば頑張るほど「これは一体何をみせられているんだ?」という気分にさせられる。

で、飛行機の訓練教官であるアラン(チャールトン・ヘストン)がリモートで彼女への指示を出し、やがて二人の個人的な関係までが修復していくというのが本作のドラマツルギーなるものなんだけど、元のアランの酷さに辟易とした私としては、こんな男とは付き合わんほうがいいよと思ったりで。

そしてクレジットがトップであるにも関わらず、中盤では完全に姿を消し、以降も無線に向かってしゃべってるだけのチャールトン・ヘストンのお手軽演技を見るにつけ、本作の”安さ”をあらためて実感する。

何せ本作の製作費は『大空港』(1970年)の1/3以下。B級映画と化した『3』『4』よりも低く、シリーズでもぶっちぎりの安い金額で作られているので、見せ場らしい見せ場がないのだ。

その分フィーチャーされるのがカレン・ブラックの顔芸なので、なかなかにしんどいものがあった。

その他、セスナ機と空中衝突してコックピットがちょっと破損するだけで済むかとか、フライト中の飛行機の内部が剝き出し状態なのにそよ風が吹いてる程度の機内とか、何でヘリが旅客機を追い越せるんだよとか(ヘリの平均速度は250km程度、旅客機は900km程度)、ツッコミどころも多く、すべての要素で赤点の映画だったと思う。

しかし作品内容と興行成績とは必ずしも見合わないもので、製作費300万ドルでお手軽に作られた本作が全世界で1億ドル超の興行成績をあげたものだから、当時のユニバーサル幹部達は笑いが止まらなかったことだろう。

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