【良作】エイリアン_モンスター映画の金字塔(ネタバレあり・感想・解説)

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(1979年 アメリカ)
モンスター映画の金字塔であり、現在の目で見ても、何度見ても、怖くて面白い。スラッシャー映画としての演出がよく出来ている上に、エイリアンの設定や美術デザインなども優秀で、死角が全くないのが凄い。

作品解説

新人脚本家ダン・オバノンとロナルド・シャセット

ダン・オバノンは、南カリフォルニア大学在学中に友人のジョン・カーペンターと共に製作したSFコメディ『ダーク・スター』(1974年)が劇場公開にまで漕ぎつけ、インディーズ映画界では名の知れた存在となっていた。

そんなオバノンにコンタクトを取ってきたのが、舞台美術を専門としていたロナルド・シャセットである。

映画界にも関心のあったシャセットはフィリップ・K・ディック著『追憶売ります』(1966年)の映画化権を取得しており、その製作のためのパートナーを探していた(後に『トータル・リコール』(1990年)として実現)。

二人は意気投合し、シャセットが温めていた『トータル・リコール』と、オバノンが温めていた『エイリアン』の企画を進めることにしたのだが、金のかかりそうな『トータル・リコール』の実現可能性はその時点では低いと考え、比較的低予算で製作できそうな『エイリアン』にまず着手した。

そんな折、オバノンの元にチリの鬼才アレハンドロ・ホドロフスキーから連絡が入る。ホドロフスキーはパリで『デューン/砂の惑星』を製作中であり、ぜひともオバノンにも参加して欲しいとのこと。

これを引き受けることにしたオバノンは単身渡仏し、シャセットとの共同作業は一時的に中断した。

なのだが、ホドロフスキーのデューンは上映時間11時間という常識破りの作品になる見通しとなったことから出資を受けられなくなり、製作は中止。失意の中でオバノンはアメリカに戻ってきた。

その時点では文無しだったオバノンはシャセットの個人宅に転がりこみ、シャセットは食事の面倒まで見た。

いったんは自分を捨てて出て行ったオバノンに対してそこまでの世話を焼くシャセットの良い人ぶりが光るが、おかげで『エイリアン』の初期稿は完成した。

脚本を携えた二人はインディーズスタジオを中心に回り、B級映画の帝王ロジャー・コーマンとの契約寸前にまで至ったのだが、ある人物からウォルター・ヒルを紹介される。

その時点で映画監督としての地位を確立していたヒルは、脚本家のデヴィッド・ガイラー、プロデューサーのゴードン・キャロルと共に映画製作会社ブランディワインを立ち上げたところであり、適当な企画を探していたのだ。

『エイリアン』の脚本に光るものを感じたヒルは契約を締結するが、脚本全体の出来は酷いものだと考えて、デヴィッド・ガイラーと共に全面的な書き直しに入った。

一方、前線から外されたオバノンとシャセットはというと、ヒルとガイラーによって脚本を改悪されたと主張している。Blu-ray収録のドキュメンタリーでは双方の主張が交互に映し出され、なかなか興味深かった。

かくして完成した脚本は20世紀フォックスに持ち込まれ、『スターウォーズ』の大ヒットでにわかにSF映画への関心が高まったという時流にも乗って、フォックス配給が確定する。

リドリー・スコットの長編2作目

フォックスは映画監督として確かな実績を持つウォルター・ヒルが本作を監督すべきだと考えていたが、特殊効果を扱った経験のないヒルは専門外だとして断った。

次にフォックスは大御所監督を起用しようとして『特攻大作戦』のロバート・アルドリッチや『ブリット』のピーター・イェーツをリストアップしたが、SFに関心はないとしてことごとく断られた。

そんな折に監督候補として挙がったのがCF界出身であり、長編デビュー作『デュエリスト/決闘者』(1977年)でカンヌ国際映画祭新人賞を受賞したリドリー・スコットだった。

『デュエリスト』を見た関係者全員がスコットの手腕に驚嘆し、スコットはスコットで『スターウォーズ』(1977年)に驚愕してSF作品を撮りたいと思っていたこともあって、オファー後わずか26時間で監督就任を決めた。

なお本作の成功後、ディノ・デ・ラウレンティスからの依頼でスコットは『デューン/砂の惑星』の企画に取り組むこととなる。映画界とは狭いものである。

美術へのこだわり炸裂で製作費倍増

監督に就任したスコットはまずストーリーボードに取り組み、膨大な数のイラストを描いた。

当初、フォックスは本作を低予算で製作可能と踏んでいたのだが、スコットにより拡張されたイメージの実現のために予算を倍増させた。

撮影はスコットのお膝元であるイギリスで行われたが、シェパートンスタジオには『2001年 宇宙の旅』(1968年)以来とも言われる巨大セットが構築され、関係者の度肝を抜いた。

本作生みの親であるオバノンとシャセットは、この素晴らしいセットの出来に感動した。特にオバノンはスコットの活躍を見て映画は監督次第であることを痛感し、本来は監督志望だったが脚本家に専念することを決めた。

一方でこのセットを見て卒倒したのがフォックスの制作担当者で、ただでさえ遅れ気味の現場において、スコットの思いつきでデザインが起こされ、どんどんセットが新設されていくことに焦りまくった。

フォックスの承認なしに作られたセットを取り壊そうとするフォックス担当者に対し、「そのまま作業を続けろ!」とスタッフたちに指示するスコット。修羅場である。

なんだが美術スタッフたちは冷静で、こだわればキリがないし、現場の思い付きで作っても結局はカットされるんだよねと涼しい顔でインタビューに答えているのが印象的だった。

感想

何度見ても怖い・面白い

80年代生まれの私にとっては滅茶苦茶に馴染みの映画。

地上波での放送頻度がとにかく凄まじくて、幼稚園児の時に初めて見て以降、年に一度は目にしていたような気がする。

幼稚園児に夜更かしさせてエイリアンを見せるという我が実家の家庭環境には相変わらず恐れ入るのだが、早くから映画の洗礼を受けられたことは私の人生にとってはものすごくプラスだった。

基本はスラッシャー映画なので初見時のサプライズが重要なのだが、設定やデザインに奥行きがあるので、何度見ても楽しめる。

  • 論理的に筋の通ったエイリアンの設定
  • 各種デザインのすばらしさ
  • スラッシャー映画としての完成度の高さ

これらが本作の強みではなかろうか。歴史に残る映画というのは、やはり異常な作りこみがなされているということを再認識させられる。

論理的に筋の通ったエイリアンの設定

エイリアンの設定には、生物としての生活環というものが織り込まれている。

卵から飛び出したフェイスハガーが宿主にエイリアンを産み付け、体内である程度育つとチェストバスターとなって体外に出る。

その後、成体となったエイリアンは巨大な繭を作って生きた獲物を捕まえておく。獲物達はエイリアンエッグに変えられて、次世代へと繋がっていくのだ。

繭のくだりは劇場版からは削除され、2004年のディレクターズカット版でようやく本編に取り込まれたし(フッテージ自体はLDの特典映像などで知られていた)、『エイリアン2』でクィーン・エイリアンが登場したことでエイリアンエッグの設定も変化したが、それにしてもよく考えられている。

通常の映画に登場するモンスターは自然界の通り魔的なものが多く、生物としての特徴がここまで作りこまれてはいない。

そこを突き詰めたのが本作の強みではなかろうか。

また生物に見えるよう、エイリアンエッグには家畜の内臓を使ったり、フェイスハガーの解剖シーンではカキやハマグリを使ったりと、徹底的に生物感を出すようこだわった演出も素晴らしかった。

本当にそういう生き物がいるようにしか見えないのである。

各種デザインのすばらしさ

そして強烈なのがエイリアンのデザインである。

まだ『デューン/砂の惑星』を製作中だった頃、ダン・オバノンはホドロフスキーからスイスの芸術家H・R・ギーガーを紹介された。

ギーガーの画集『ネクロノミコン』を見たオバノンは、その中に登場するモンスターに一目で魅了される。

その後、監督に決定したリドリー・スコットにも『ネクロノミコン』を見せたが、反応は同じだった。

フォックスはギーガーに新規デザインをさせてはどうかと言ってきたが、スコットは「絶対にこれでいく」といってエイリアンのデザインを決定した。

それほどの引きの強さがこのデザインにはある。

プロダクションデザイナーのロン・コッブが別に描いていたエイリアンのデザインもBlu-rayの特典映像で見ることができる。それはそれで創意工夫を凝らしてはいるのだが、ギーガーのインパクトには遠く及ばない。

このエイリアンは人間のような四肢を持っており、モンスターのデザインとしてはシンプルに収められていると言えるのだが、長く伸びた頭部や二重の牙、骨ばった骨格などで特徴を出している。

奇抜すぎないからこそ生物としての実在性を感じる一方で、自然界には見られない頭部や顎などの特徴でSF映画のアイコンにもなりえている。そのバランスが見事である。

唯一『ネクロノミコン』から変更されたのは目で、元はサングラスのような目が存在していたのだが、映画版では目に該当する部位をなくすことで感情を持たない完全生命体という性格付けができた。これもまた見事な判断だったと思う。

また舞台となる宇宙船ノストロモ号の外観や内装も素晴らしい。

ゴテゴテとした機材を並べることで使い古された貨物船という雰囲気を出しているのだが、その制作にあたっては古い機械の部品をセットに使用するという『スターウォーズ』の手法が採用された。

美術監督のロジャー・クリスチャンは第二次世界大戦当時の戦闘機2機の残骸を買ってきて、そこから取り出した部品をセットの一部として流用。

現代のSDGsの価値観とも整合した実にエコな制作手法であるが、その効果には絶大なものがあり、本作はアカデミー美術賞にノミネートされた。

なぜ貨物船であるノストロモ号に自爆機能があるのかなんてことが気にならなくなるほどの説得力が本作の美術にはあった。

スラッシャー映画としての完成度の高さ

そしてリドリー・スコットの演出力も冴えわたっている。

製作準備中に参考作品として見せられた『悪魔のいけにえ』(1974年)に深い感銘を受けたスコットは、本作を「宇宙版悪魔のいけにえ」にすることに決めた。

そんなスコットの演出は緩急をつけることで恐怖を煽るというものであり、例えばケインがフェイスハガーに襲われて緊張感を高めた後に、自然にフェイスハガーが剥がれ落ちて、絶望的かと思われたケインがまさかの復活。

「小腹が空いた」と言って仲間と一緒に食事をとる余裕も見せて観客も一安心するのだが、食事の最中にチェストバスターが飛び出して一面を血の海にする。

船内でエイリアンを捜索する場面でも、緊張の糸を張り詰めたところで登場するのが猫のジョーンズでいったんホッとするのだが、その後にエイリアンが現れてブレットが犠牲になる。

常に緊張させるのではなく、いったん緩めることで衝撃度を高めるという、ホラー映画でよくあるパターンをかなり高度にトレースしているのである。

それが終盤に入ると一転して緊張の連続となるのだが、畳みかけで観客を煽るという演出も冴えている。

≪エイリアンシリーズ≫
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