【良作】最後の猿の惑星_戦争を起こすメカニズム(ネタバレあり・感想・解説)

SF・ファンタジー
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(1973年 アメリカ)
シリーズ最終作で、製作費もジリ貧になっていて映像的には厳しい面もある。しかし為政者の苦悩や戦争のメカニズムを端的に描いたシナリオが光っており、第一作並みに深く考えさせる作品だった。

作品解説

シリーズ最終作

ほぼ毎年のように製作されてきた『猿の惑星』シリーズの最終作。

映画化権を持つプロデューサーのアーサー・P・ジェイコブスは権利をフォックスに売却する意向であり、彼が関わる最後の猿の惑星になる作品だったうえ、フォックスはテレビシリーズ化の構想を持っていたことから、企画時点より本作がシリーズ最終作となることは決定していた。

2~4を手掛けてきた脚本家のポール・デーンが執筆した初期稿は、前作で革命を率いたシーザーが暴君化するという内容であり、あまりに暗い内容にプロデューサー達は難色を示した。最終作には前向きな要素も求められていたのだ。

しかしポール・デーンは体調不良につき脚本の執筆を継続できなくなり、『地球最後の男オメガマン』(1971年)のジョン・ウィリアム・コリントンとジョイス・フーパー・コリントンが雇われた。

監督は前作よりJ・リー・トンプソンが続投したが、前作に輪をかけて少ない予算(推定160万ドル)に不満を漏らしていたという。

感想

為政者の苦悩と戦争のメカニズム

前作で猿達が起こした革命をきっかけに史上最大の戦争が勃発し、人類は式次第通りに核兵器を使用して世界は一旦滅んだ。

…この壮大な物語がセリフで語られるのみなのはちょっとガッカリだったが、本作は前作から12年後のポストアポカリプトの世界が舞台となる。

シーザー(ロディ・マクドウォール)は森に小さな集落を形成し、文化的で理性的な社会を目指して教育に力を入れている。

しかしアルドー将軍(クロード・エイキンス)を中心とするゴリラ一派は基本バカなので勉強なんかしたくないと主張し、敵は力でねじ伏せればいいんだと脳筋ぶりを発揮。

シーザーはアルドーを牽制するんだけど、指導者としての行き詰まりも感じ始めていた。

絶対の存在でなければならないリーダーには組織内に相談相手がいない。加えて、実の親に育てられていないシーザーには核となる価値観が形成されていないので、いざという時に悩んでしまう。

見かねた側近のマクドナルド(オースティン・ストーカー)から、人類の文明跡にシーザーの両親の映像アーカイブが残っているはずで、彼らはこれからの歴史のことも語っていたはずだから、それを見に行ってはどうかと提案される。

このプランに乗るシーザーだが、目的地には核戦争を生き延びた人類が潜伏しており、彼らはシーザーの無断侵入を猿からの侵略だと認識。再び種族間の戦争へと発展していく。

シーザーの個人的なドラマと全体の戦況を巧妙に絡めたプロットが素晴らしい。

シーザー自身は戦争を望んでいないものの、平和を求める彼の行動が結果的に戦争を呼び込んでしまうという皮肉な構図や、作劇上はヒールの側に置かれている人類にもそうせざるを得なかったという背景があったことなど、単純な善悪の図式に落とし込まないことで、現実社会の難しさもちゃんと投影されている。

非常に小さな舞台でありながら、戦争を起こすメカニズムが端的に表現されているのだ。本作の構成力には舌を巻く。

肝心の戦闘場面はボロい車がノロノロと走ってるだけで、確かにしょぼい。

しょぼいんだけど、J・リー・トンプソンは俯瞰とアップを使い分けるなどして終始画面に動きをつけており、「続・猿の惑星」(1970年)などよりもよほど見られた戦闘場面になっている。

見ようによっては、これだけ物資が無くなっても争い続ける猿と人類のもの悲しさを表現しているとも受け取れるし。

普段勇ましいことを言ってる奴ほど土壇場では役に立たない

一方アルドー将軍はというと、本当に外敵が迫ってくる段になると前線から遠くへ引いていってしまう。普段勇ましいことを言ってる奴ほど土壇場では役に立たないとは、これまた現実世界の真理を突いている。

なんだけど、シーザーの的確な指揮によって猿側が形勢逆転すると、いつの間にかアルドー一派も前線に戻ってきており、敵に対して残虐行為を働こうとする。タカ派とは本当にどうしようもない存在である。

そんなアルドーだが、実はシーザーの息子を事故に見せかけて殺していたことが発覚して、一気に旗色が悪くなる。

シーザーに追い込まれたアルドーは、木から落ちて死亡。もはや彼らは野生動物ではなく、人間と等しい存在になったことが明示される。これまた面白い形で主題を表現するものだと感心した。

世間的な評判は決して高くない作品だが、私は名作と称される第一作に次ぐ面白さだと感じた。

なお本作のプロットはほぼそのまんま『猿の惑星: 新世紀』(2014年)に引き継がれている。

イラク戦争の内容を色濃く反映したとされる『新世紀』だが、その内容を40年以上も先どっていた本作の先見性には驚かされる。そろそろ再評価されるべき作品ではなかろうか。

≪猿の惑星≫
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【凡作】猿の惑星・征服_人類が阿呆すぎる
【良作】最後の猿の惑星_戦争を起こすメカニズム
【良作】猿の惑星:創世記_人間より猿を応援したくなる
【傑作】猿の惑星:新世紀_戦闘と独裁のリアル
【凡作】猿の惑星:聖戦記_迷走するシーザーと脚本

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