(1978年 アメリカ)
ド迫力の波乗り場面が見せ場のサーフィン映画だが、人生という荒波に乗れなかった人々を描いた、実は暗い話だったりもする。良い映画だとは思うけど、個人的には合わなかった。

感想
存在こそ知っていたが、今の今まで見たことのなかった映画。
テレ東の深夜映画枠『サタシネ』で再放送された地上波吹替版を録画しての初鑑賞となった。
監督・脚本を務めたのは『ダーティハリー』(1971年)や『コナン・ザ・グレート』(1982年)で知られるジョン・ミリアスで、サーファー仲間のジャーナリスト デニス・アーバーグと共に、1年がかりで脚本を執筆した。
ミリアスは相当なサーフィン好きらしく、アカデミー脚本賞にノミネートされた『地獄の黙示録』(1979年)においても、「ベトコンはサーフィンをせん!」「ニュージャージー生まれにサーフィンが分かるか!」という名言を残している。
本作においてはサーフショップの店主ベアー役での出演も考えていたようだが、最終的にはこの重要な役柄を演じるのは不可能という冷静な判断を下し、『墓石と決闘』(1967年)、『華麗なる賭け』(1968年)のベテラン俳優サム・メルヴィルに譲った(キルゴア中佐でおなじみのロバート・デュヴァルや、若い頃のトミー・リー・ジョーンズもベアー役のオーディションを受けたらしい)。
そんなサーフィン大好きミリアスのこだわりの賜物か、本作の波乗り場面は異次元の迫力と美しさである。
撮影機材が小型化した現代ならともかく、70年代の技術でどうやってこんな映像を撮ったのだろうかと不思議になるほどの臨場感であり、観客はサーファーと同一の視点を楽しむことができる。
撮影監督ブルース・サーティースはクリント・イーストウッド監督のお抱えカメラマンで、ミリアスとは『ダーティハリー』(1971年)つながりでの起用なのだろう。とにかく本作の撮影の素晴らしさには要注目である。
このこだわりのためか、本作には1100万ドルもの製作費が費やされた。
『スターウォーズ』(1977年)が1000万ドル、『007/私を愛したスパイ』(1977年)が1300万ドルだったことを考えると、このちっぽけな青春映画に大作並みのコストはかけすぎである(当初予算は500万ドル)。
これだけの金をかけてたったの460万ドルの興行成績しかあげなかったのだから、製作したワーナーとしては泣くに泣けなかったことだろう。
物語は1962年に始まり、1974年までの足掛け12年間のドラマが描かれる。
主人公はマット(ジャン=マイケル・ヴィンセント)、ジャック(ウィリアム・カット)、リロイ(ゲイリー・ビジー)のサーファー3人組。
若い頃には酒に喧嘩にナンパにと毎日明るく楽しく無軌道に過ごしていた3人だったが、歳を重ねると現実という大波に容赦なく飲み込まれていく。
本編は1962年、1965年、1968年、1974年の4章構成となっているが、作品のトーンは年代が進むにつれどんどん重くなっていく。
何も考えなくても生きていられたあの頃とは何もかもが違う。
そのうち3人は別々の道を歩むこととなるが、彼らの人生は思い通りにならないことだらけだった。
それでもあのビーチに行けば昔の仲間たちがいる。
「ビッグ・ウェンズデー」とは水曜日にやってくる世界最大の大波のことを指すが、曜日指定であることが設定上のミソなのだろう。
水曜日になるとあの海岸にはサーファーたちが自然発生的に集まり、そこで昔の面々とも再会できるというわけだ。
・・・こうしてあらすじを反芻していると、結構良い映画だったような気もしてくるが、見ている間はあまり楽しめなかった。
前半部分のバカ騒ぎが長すぎて退屈だったうえに、ビーチに集まるような人種を根本的に好かんという、私の歪んだ部分も影響しているのだろう。
陽キャが社会でうまく立ち回れなかったり、落ちぶれたりする様は、割と私の好物だったりする(笑)
・・・って、だんだん自分のネガティブな思考の発表会になってきたのでこれくらいにしておくが、ともかくサーファーという人種と私は永遠に交わることがないということを再認識できた。
感想とは言えない文章になってしまったが、今回は以上!
これ以上書くと悪者になりそうなので強制終了とさせていただく(笑)