(1989年 アメリカ)
日本へのリスペクトが感じられるハリウッド大作ながらも、バディ刑事ものとしては類型的すぎるメインプロットや、主人公ニックの物語が脆弱すぎることなど、明らかな弱みもある凡作。日本人以外が見ると、きっとつまらないと思う。

作品解説
地獄の大阪ロケ
本作の監督はリドリー・スコットだが、もとはその弟トニー・スコットが監督した『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987年)の没脚本だったらしい。
没脚本の流用はハリウッドではよくあることで、『ダイ・ハード3』の没脚本→『スピード2』(1997年)、『リーサル・ウェポン4』の没脚本→『DENGEKI/電撃』(2001年)と、枚挙に暇がない。
当初の監督候補はポール・バーホーベンだったが、彼は『トータル・リコール』(1990年)を選択し、その後にリドリー・スコットに監督依頼が行ったらしい。
映像派にして親日派のスコットはハリウッドにありがちな類型的な日本人像を回避し、日本でのロケや日本人俳優の起用にこだわった。
2~3のランドマークでロケをした後には撮影に協力的なアジアの都市を日本に見立て、アメリカで調達できるアジア系俳優を起用して撮影するほうが圧倒的に楽なんだが、スコットは本物志向を貫いたわけである。
その結果、撮影隊は地獄の道を歩むことになるが。
当初スコットが希望したロケ地は新宿歌舞伎町だったが、東京都からの撮影許可が下りずに断念。東京への対抗意識のあった大阪府が名乗りを上げたので舞台を大阪に変更したが、公共スペースを民間に占有させていいのかと当時のマスコミが騒いだものだから、大阪府も次第にシブチンになっていく。
相変わらず日本のマスコミはロクなことをしない。
魚市場での撮影は当初2日予定していたが、土壇場になって24時間しか貸せないと言われたり、阪急梅田駅でアンディ・ガルシアがコートを奪われる重要な場面では、まさかの45分しか占有許可が下りなかったりと、もうめちゃくちゃ。
本来は親日派であるリドリー・スコットが「二度とこの地では映画を撮らない!」と憤慨し、当初の撮影監督ハワード・アサートン(『危険な情事』『バッドボーイズ』)は日本側の対応に不満を持って降板してしまった。
結局、予定されていた見せ場のほとんどを撮ることができず、クライマックスはカリフォルニアで撮影。
本作の後、ハリウッドでは「日本は映画をまともに撮れない国」との悪評が流れた。特に大阪府の評判は最悪で、2023年現在においてもハリウッドの撮影隊が足を踏み入れない禁断の地と化してる。
リドリー・スコット久々のヒット作
そんなわけで製作段階では苦労の多かった作品だが、興行面では恵まれた。
1989年9月22日の全米公開されるや、3週連続1位を獲得。
全米トータルグロスは4621万ドル、全世界トータルグロスは1億3421万ドルで、製作費3000万ドルに対して大きな収益を生み出した。
当時のリドリー・スコットは『ブレードランナー』(1982年)、『レジェンド/光と闇の伝説』(1985年)、『誰かに見られてる』(1987年)が連続してコケていて、映画監督としては崖っぷち状態にあったが、本作と『テルマ&ルイーズ』(1991年)の連続ヒットで汚名を払しょくした。
感想
80年代バディ刑事ものの標準作
私が子供の頃にはゴールデン洋画劇場で頻繁に放送されていた作品だが、英語と日本語が入り混じった作品であるためか、地上波ゴールデン帯の放送であるにもかかわらず、字幕版での放送だった。
そのため当時の私には敷居が高く、少年期には本作を鑑賞することはなかった。
20代になってようやっとDVDで初鑑賞したのだが、あんまり面白くなかった。
以降は特に気になる作品でもなく再鑑賞もしてこなかったのだが、Amazonプライムの見放題にあがっているのを偶然見つけたので、何気なく鑑賞してみた。
内容はシンプルで、NYで逮捕された日本のヤクザをアメリカの刑事が護送するんだけど、ミスって逃げられたので、不慣れな日本で犯人を追うというもの。相棒は日本人刑事のケン高倉である。
80年代はバディ刑事ものが量産された時代だが、本作はほぼそのテンプレに当てはめて作られており、ストーリー的に突出した点はない。
特に前年の『レッドブル』(1988年)との類似性は顕著であり、あちらはアメリカの刑事とソ連の刑事とのコンビだったが、本作はそれが日本人刑事に置き換わっただけで、カルチャーギャップが作品の横糸であることは全く同様である。
また、逮捕された犯人の護送のために刑事が国境を越えてやってくるとか、犯人をとり逃がしてしまったので現地での捜査が始まるとか、基本的には『レッドブル』と同じ話である。
異なると言えば、アメリカに外国人の刑事がやってくるのか、アメリカ人刑事が外国に出張するかという点のみである。
とはいえ本作が『レッドブル』をパクったのかというとそういうわけでもなく、当時のバディ刑事ものはほぼテンプレ化されていて、結果的に似たようなものになってしまっただけだろう。
主人公ニックの人物像に面白味がない
主人公はマイケル・ダグラス扮するニック・コンクリン刑事。
冒頭のストリートレースで非常に危険な走行を披露したことからも分かる通り、危険愛好家的な一面を持つ。
家庭は崩壊してバツイチ、養育費の支払いは滞っており、妻からは苦情の留守電が入っている。警察署内では内部調査の対象であり、上からも睨まれている。
とまぁ冒頭で描かれるニックの人物像は80年代のはみ出し刑事の型どおりで、テンプレから全然はみ出していないので、特に面白味のあるキャラクターとも言えなかった。
『ウォール街』(1987年)でアカデミー主演男優賞を受賞したばかりのマイケル・ダグラスが演じていなければ、本当につまらない主人公になったことだろう。
内部調査部にこってり絞られたニックは行きつけのレストランで休憩するのだが、そこに日本人ヤクザの佐藤(松田優作)が現れて別のヤクザを殺害。大捕り物の末に、ニックは佐藤を逮捕する。
逮捕後に分かったのは佐藤は日本の指名手配犯だということであり、ニックを持て余していた上司たちは、旅行がてら佐藤を日本に引き渡してこいと言ってくる。相棒のチャーリー(アンディ・ガルシア)と共に日本へと飛ぶニック。
なんだけど、ニックは偽警官に騙されて佐藤を取り逃がしてしまう。
彼は犯してしまったミスを取り戻すべく大阪での捜査を開始するのだが、あの場面で悪いのは偽警官の侵入を許してしまった大阪府警であり、ニックの方がキレていい場面だったと思う。
ともかくNYのはみ出し刑事が不慣れな日本で四苦八苦することが本作のドラマの中心部分なのだが、ニック個人にどんな問題があって、それが異国での経験でどうやって解決されたのかという点が明確に打ち出されていないので、結局ドラマとしての盛り上がりどころがなかった。
中盤にてチャーリーを殺されたニックは、大阪府警の松本警部補(高倉健)と組むことになる。
スタンドプレーのニックと規則重視の松本警部は、当初、水と油なのだが、そのうちお互いの短所を補い合う最強のコンビになる。
…はずなんだが、二人の間で化学反応が起こることはなく、ニックの後を佐藤がついて回るだけという構図は最後まで変わらない。
せっかくマイケル・ダグラスと高倉健という日米で考えうる最高の組み合わせが実現できたのに、なぜこんなにも二人のドラマが希薄なのだろうかとしばし考え込んでしまった。
アメリカに説教できた頃の日本
そんな中途半端なドラマではあるのだが、現在の目で見て興味深いのは、松本がニックに説教する場面である。
君はそうやって規則を守らないからうまくいかないんだ。見てみろ、日本人は規則正しく、みんなで協力するから、こうして経済的にもうまくいってるんだろと、ダメなアメリカ人を立派な日本人が諌めるという構図が置かれている。
似たような場面はロン・ハワード監督の『ガン・ホー突撃ニッポン株式会社』(1986年)にもあったけど、本作公開から数年後にはバブル経済が崩壊して日本社会は長期の不況に突入することを考えると、あの上から目線がどうにも気恥ずかしくなってくる。
日本人というのはうまくいっている時には果てしなく調子に乗り、一転してうまくいかなくなると底なしに卑屈になるという性質があるが、アゲアゲだった頃の日本人は本当にイタイ。
またヤクザの描写にも隔世の感がある。
80年代当時のヤクザは日本社会のあらゆる業界とつながっており、どこに潜伏しているのか分からないので、大阪府警も手を焼いている。
どうにもこうにも行き詰ったニックは、佐藤と敵対している別のヤクザ(若山富三郎)と組むことでやっと佐藤のしっぽを掴むわけだが、一方で暴対法施行後のヤクザには人権がないに等しく、社会的な契約どころか、宴会の予約一つできないほど追い込まれている。
ヤクザがこれほどの脅威だった時代もまた過去のものであり、現在の目で見ると時の流れの無常さを感じさせられる。