【良作】ミッドナイト・クロス_壮絶な後味の悪さ(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1981年 アメリカ)
ギミックとストーリーが見事に融合したデ・パルマの代表作のひとつ。中学時代に日曜洋画劇場で見てその面白さにぶったまげましたが、今見ても面白いです。

作品解説

監督・脚本はブライアン・デ・パルマ

本作の監督・脚本はサスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマ。

前作『殺しのドレス』(1980年)の次の企画としては、後にエイドリアン・ラインが監督することとなる『フラッシュ・ダンス』(1983年)や、チャールズ・ブロンソンが主演する『アクト・オブ・ベンジェンス』(1986年)などが検討されていました。

結局、外部からもたらされたこれらの企画は断り、『殺しのドレス』製作中に着想を得た本作を故郷フィラデルフィアで撮影することに。当初予定していた製作費は300万ドルであり、主人公の年齢は完成版よりも上に設定されていました。

主演はジョン・トラボルタ

デ・パルマが主演に希望していたのはアル・パチーノだったのですがオファーを断られ、『キャリー』(1976年)に出演したジョン・トラボルタに決定。主人公の設定年齢はトラボルタに合わせて引き下げられました。

『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)の劇中で、アル・パチーノに似ていると言われたトラボルタがテンションMAXでおばあちゃんの目の前にパンツ一丁で現れる場面がありましたが、二人は類似俳優だったのでしょうか?あまり似ていないような気がしますが。

何はともあれ、当時大人気だったトラボルタの起用に映画会社は気を良くし、製作費は1800万ドルと当初の6倍にまで激増。同年の『レイダース/失われた聖櫃』(1981年)とほぼ同額なのですが、クライマックスのモブシーンを除いて際立った見せ場のない本作に、なぜそんなに金がかかったのかは謎です。

共演はナンシー・アレン

相手役には大ヒット作『グリース』(1978年)でトラボルタと共演したオリビア・ニュートン・ジョンの名前が挙がっていたのですが、役柄に合っていないとしてデ・パルマが拒否。

トラボルタが希望したのは『キャリー』(1976年)で共演したナンシー・アレンでしたが、当時彼女と交際中(本作製作中に結婚)だったデ・パルマは、アレンが自分の映画の専属女優のようになることを危惧してキャスティングには慎重でした。

最終的には彼女を起用し、トラボルタ共々、その演技は絶賛されました。

全米大コケ作品

本作は1981年7月21日に全米公開。批評家受けは抜群だったのですが、寒々としたフィラデルフィアを舞台にした悲劇がサマーシーズンの空気には全く合っておらず、客入りは悲惨なことに。

全米トータルグロスは1374万ドルで製作費の回収すらできず、ジョン・トラボルタのキャリアが低迷する原因の一つになりました。

ただし、本作の大ファンであるタランティーノが『パルプ・フィクション』(1994年)の主演にトラボルタを選んでおり、彼の復活のきっかけにもなったという数奇な作品でもあります。

感想

デ・パルマのテクニックが最良の形で発揮

ブライアン・デ・パルマ監督の特徴とは極めて映画的なギミックの連発であり、スプリットスクリーンやスローモーションの多用、クローズアップや俯瞰ショットなど、「今日もやってまっせ~!」という感じでこれでもかとギミックを見せつけてきます。

しかしあまりにもギミック中心すぎてストーリーラインを断ち切る場合も多く、『ボディ・ダブル』(1984年)や『スネーク・アイズ』(1998年)などは、ストーリーが頭に入ってこなくなるほどやりすぎていました。

そこに来て本作ですが、冒頭からスプリットスクリーンやクローズアップ全開でギミックの鬼デ・パルマの面目躍如なのですが、ストーリーを援護するという正しい形でその効果が発揮されています。

主人公の優れた聴覚が映画という視覚媒体で表現されます。何言ってんだかよく分からないと思いますが、本当にそうなんです。

聞いた音から光景を推定するという主人公の特殊能力が見事ビジュアル化されており、よくこんな表現を思いついたものだと感心しました。

負け犬の復活劇

本作の主人公はB級映画の音響効果マン ジャック(ジョン・トラボルタ)。映画で使う環境音を収録していたジャックが偶然にも自動車事故現場に居合わせたことから、国家規模の陰謀に巻き込まれていくことがざっくりとしたあらすじです。

このジャック、一見すると軽口を叩く平凡な若者のようなのですが、実は軍歴を持ち、ベトナム戦争後には警察官としての勤務歴もあるという訳アリだったことが明らかになります。

警察官時代に自分のミスでおとり捜査官を死なせたことが原因でキャリアを捨て、重い責任を負わずに済むB級映画界に転がり込んだという背景を持っており、以降は「為さざるが最善」という姿勢で生きています。

劇中で前職について触れるのはたった数回のみであり、事故直後に現職刑事を説得する時ですら、自分は元同業者であるとは言わないので、相当深い心の傷を負っているということが伺えます。

そんな半世捨て人ジャックが、成り行きから救った美女サリー(ナンシー・アレン)に対して好意を抱き、彼女を守りたいという気持ちから巨悪に立ち向かうことになるという、なかなか熱いドラマが置かれているのです。

ミスを背負って生きる負け犬の復活劇には定番ながらも燃えさせられるし、最初は飄々としていたトラボルタが、次第に闘志を帯びていく様には躍動感がありました。

敵の戦力設定の絶妙さ

そんなジャックの前に立ちはだかるのが殺し屋バーク(ジョン・リスゴー)。

バークの素性は明らかにされないのですが、選挙戦で劣勢だった現職大統領の支持者達に雇われたようです。

雇い主からの指示はセックススキャンダルにより対抗馬の人気を失墜させることであり、そのためにサリーを美人局として送り込み、目的であるニャンニャン写真も撮影済だったのですが、仕事熱心すぎるバークは自動車事故に見せかけて大統領候補を暗殺してしまいます。

「サービスで殺しときました」と言うバークに対して「誰が殺せと言った」と狼狽する黒幕。暗殺事件との関与が明るみに出ては困る黒幕は、バークを切り離すことにします。

ここに一匹狼の殺し屋バークと元警官ジャックという対立構造が出現するのですが、ジャックが相手にするのは国家権力ではないため個人でも対抗可能となり、両者の戦力が見事に拮抗する構図を生み出せています。

とはいっても相手は雇い主の指示を無視してまで人殺しをするヤバイ奴なので油断は全くできないという、この戦力設定は実に見事でした。

壮絶な後味の悪さ ※ネタバレあり

バークに連れ去られたサリーをジャックが追いかけるクライマックスは、通常であれば間一髪でサリーを助け、二人で陰謀を暴いてめでたしめでたしとするであろうところ、本作では考えうる最悪の筋書きが選択されます。

タッチの差で間に合わなかったジャックの目の前でサリーは殺され、証拠となるフィルムは処分された後だったので陰謀を暴くこともできません。

過去におとり捜査官を死なせていたというジャックの設定から、今回は成功させる筋書きを想像していただけに、この展開は完全に想定外でした。

そしてサリーの断末魔の悲鳴はB級ホラー映画の音声素材として使われ、事情を知らない監督は「素晴らしい!これぞ本物の悲鳴だ!」と大喜びします。紛れもなく本物の悲鳴なんですけどね。

冒頭の伏線がここで回収されることとなるのですが、人によっては悪趣味と感じられるこのオチにも、私には深いドラマ性が感じられました。

過去におとり捜査官を死なせていたのに、またしても同じ失敗をしてしまった。それは過去の失敗を葬り、忘れようとしていた自分の甘さが原因だったので、今度は自分の手から離れた映画という媒体にその記録を刻み付けておくことにしたのでしょう。

ジャックは否が応でもサリーの死と対峙し続けねばならない状況を自らに課したのだろうと思います。

本作のオチが語り草になることは少ないのですが、私は『セブン』(1995年)『ミスト』(2007年)に匹敵するほどのショックを受けました。

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