【人物評】カロルコとマリオ・カサールの功績を振り返る

雑談
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現在30代後半以上の方は、このマークを見るとときめくのではないでしょうか。これはカロルコ・ピクチャーズのロゴマークであり、80年代後半から90年代前半にかけての映画界を席捲していました。そして、このカロルコを率いていたのがマリオ・カサールなのでした。

当ブログでもカロルコ関係の作品をいくつもご紹介しているだけに、そもそもマリオ・カサールとは一体何者だったのか、カロルコとは一体何だったのかを振り返ります。

マリオ・カサールとは何者か

1951年ベイルート生まれ。カサールの父親はヨーロッパで映画配給業を営んでいたとされ、そんな父親のコネクションを使いつつ、カサールは若干18歳でカサール・フィルム・インターナショナルをローマで起業しました。その後カサールはハンガリー移民であり、香港で映画配給業を行っていたアンドリュー・G・ヴァイナと出会って意気投合。

中東とアジアマーケットに詳しい二人はハリウッドへと打って出るべく1975年にロサンゼルスへ移住し、翌1976年にはカロルコ・ピクチャーズを設立しました。

マリオ・カサール(左)とアンドリュー・G・バイナ(右)

カロルコ・ピクチャーズの歴史

かくして設立されたカロルコ・ピクチャーズの当初の目的は映画の配給業でしたが、80年代初頭には『チェンジリング』(1980年)、『迷信 〜呪われた沼〜』(1982年)などの低予算映画に出資を始めます。ただし出資では大した儲けにはならなかったようで、リスクを負担する代わりに当たった時の利益も大きな映画製作に乗り出すことにします。その最初の作品が『ランボー』(1982年)でした。

ランボー【傑作】ソリッドなアクションと社会派ドラマのハイブリッド

1972年にカナダ人デヴィッド・マレル著の原作『一人だけの軍隊』が出版され、直後にコロンビアが映画化権を取得。しかし企画がまとまらずに売りに出されてワーナーが取得し、そのワーナーも企画を中止して、最後にこれを買い取ったのがカロルコでした。

アメリカでの興行成績は4721千ドルと平凡な金額に留まったものの、海外マーケットで大きく稼ぎ世界興収は1億2521千ドルと大成功でした。その続編の『ランボー/怒りの脱出』(1985年)は全米興行成績1億5041万ドル、世界興収は3億ドルを超え、カロルコは世界にその名を轟かせました。

ランボー/怒りの脱出【駄作】アクションとテーマが打ち消し合っている

そこからカロルコはものすごい勢いで映画を製作し始め、『トータル・リコール』(1990年)や『ターミネーター2』(1991年)といった社運をかけたプロジェクトを次々と成功させていきました。

ただし製作本数があまりに多くて大ヒット作の稼ぎを不採算映画がすべて食ってしまうような状態となり、『ターミネーター2』の大ヒットがあったにも関わらず1991年には資金繰りが悪化します。これに対し、すでにカロルコに出資していた日本のパイオニアLDC、フランスのカナル・プリュス、イタリアのRCSビデオが投資の回収ができなくなることを恐れて追加出資し、事なきを得ました。

翌年にはポール・バーホーベン監督の『氷の微笑』(1992年)が、そのさらに翌年にはレニー・ハーリン監督の『クリフハンガー』(1993年)が大ヒットし表面上は順調に見えていたのですが、放漫経営により資金繰りは安定していなかったようです。

最後はポール・バーホーベン監督の『ショーガール』(1995年)とレニー・ハーリン監督の『カットスロート・アイランド』(1995年)の高額な製作費に耐えきれなくなり、1995年末に破産しました。

カロルコ/マリオ・カサールのここが凄い!

ヒット作の数が凄い!

『ランボー』シリーズ(1982年~1988年)、『トータル・リコール』(1990年)、『ターミネーター2』(1991年)、氷の微笑(1992年)、『クリフハンガー』(1993年)と、その年の世界興収の上位に躍り出るようなヒット作を毎年のように連発し、世界中にその名を知られていました。

製作費が凄い!

『ランボー3/怒りのアフガン』(1988年)では当時としては史上最高額となる製作費6300万ドルを投入。これは同時期の『ダイ・ハード』(1988年)と『バットマン』(1989年)の製作費を足したのと同じくらいの金額であり、大作2本分の製作費をたった一本で使い切ったことになります。

さらに凄いのが『ターミネーター2』(1991年)の製作費1億200万ドルであり、これは同作が年間興行成績1位を獲った1991年において、続く2位から4位までの作品の製作費を全部足した金額よりも多いというとんでもないものでした(2位『ロビン・フッド』4800万ドル、3位『美女と野獣』2500万ドル、4位『羊たちの沈黙』1900万ドル)。

また『クリフハンガー』(1993年)は同年の大ヒット作『ジュラシック・パーク』(1993年)を越える製作費をかけており、その年製作されたすべての映画の中でもっとも高額な作品でした。

交渉力が凄い!

ウォルター・ヒル監督の『レッドブル』(1988年)の製作時はまだ東西冷戦時代でしたが、同作は赤の広場での撮影を許可された初のハリウッド映画となりました。

レッドブル【良作】すべてが過剰で男らしい

さらに凄いのは、カロルコは同時期にゴリゴリの反共映画『ランボー/怒りのアフガン』(1988年)を作っていたということです。何枚舌を持っていたんだという感じですね。『ランボー/怒りのアフガン』はこれはこれで凄くて、中東戦争でイスラエル軍に鹵獲されたソ連軍のヘリや戦車の実機を使っています。

ランボー3/怒りのアフガン【良作】見ごたえあるアクション大作

その他、長年ディノ・デ・ラウレンティスが持っていた『トータル・リコール』の権利をたった15分の電話で取得したり、ターミネーター関連の権利でトラブっていたジェームズ・キャメロンに、権利を買い取るための資金提供をしてくれるパイオニアLDCを紹介したりと、交渉ごとに非常に長けていました。

カルト作品も手掛けている!

カロルコには上記の通りの超大作のイメージが強いのですが、実はマニアを唸らせるカルト作品も複数手掛けていました。

アラン・パーカー監督の『エンゼル・ハート』(1987年)、ジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』(1988年)、エイドリアン・ライン監督の『ジェイコブ・ラダー』(1990年)がそれに該当するのですが、いずれの作品も公開当時には芳しくない興行成績だったものの、その後どんどん評価を上げていき公開後30年以上経った現在ではマニアから愛される映画となっています。

超大作で大きく稼いだ金をこうした儲からない映画に注いでいたという点も、カロルコの功績だったのではないでしょうか。

文芸作品も手掛けている!

その他の知られざる分野としては、カロルコは文芸作品にも手を広げていました。コスタ=ガヴラス監督の『ミュージック・ボックス』(1989年)、ボブ・ラフェルソン監督の『愛と野望のナイル』(1990年)、リチャード・アッテンボロー監督の『チャーリー』(1993年)がこれに該当します。

『ミュージック・ボックス』(1989年)ではベルリン映画祭金熊賞受賞、『愛と野望のナイル』では後に名撮影監督となるロジャー・ディーキンスを起用し、『チャーリー』ではロバート・ダウニー・Jr.がアカデミー主演男優賞にノミネートと、これらの作品を通してカロルコは芸術分野への貢献もしていたのでした。

ミュージック・ボックス_つまらない勧善懲悪もの【5点/10点満点中】

愛と野望のナイル_起伏のない演出が足を引っ張る【5点/10点満点中】

他社で難航した企画を軌道に乗せている!

カロルコの事業のターニングポイントとなったのは『ランボー』(1982年)、『トータル・リコール』(1990年)、『ターミネーター2』(1991年)の3作品ですが、これらに共通するのは他社で難航していた企画を引き取り、短期間で軌道に乗せたということです。

『ランボー』(1982年)は上記「カロルコ・ピクチャーズの歴史」に書いた通り、コロンビアとワーナーを何年間も転々とした企画でした。

『トータル・リコール』(1990年)は1974年に初稿が書かれて以来、幾度となく脚本の書き換えが行われ、多くの監督・脚本家が挫折してきた難物でした。破産したディノ・デ・ラウレンティスからカロルコが権利を買い取ったのは1988年秋のことでしたが、カロルコはものすごい勢いで企画をまとめていき、1990年6月1日には全米公開となりました。

『ターミネーター2』(1991年)も同じくで、当初権利を持っていたヘムデールピクチャーズは1984年に前作が公開された直後から続編の製作を望んでいたものの、なかなか進みませんでした。カロルコが経営難のヘムデールから権利を買い取り、『ターミネーター2』製作開始を発表したのが1990年5月。その時点では決定稿すらない状態だったのですが、1991年7月には無事公開にまで持って行きました。

これら難物を次々と仕上げてきた実績から考えるに、カロルコはマリオ・カサールの強力なリーダーシップの元、迅速な意思決定と機動的な資金調達ができる組織だったと思われます。

カロルコ幻の企画

そんなイケイケのカロルコにも製作を断念した企画がありました。

”The Train” (リドリー・スコット監督)“Isobar”(ローランド・エメリッヒ監督)

“The Train”は遺伝子改造されたモンスターが特急内で乗客を襲うというSFホラーであり、1988年頃にプロジェクトがスタートし、シルベスター・スタローンとキム・ベイシンガーが出演する予定でした。後に『ファイト・クラブ』(1999年)を手掛けるジム・ウールスが脚本を書き、リドリー・スコット監督とH・R・ギーガーが『エイリアン』(1979年)以来のコラボ。製作にはもう一人の大プロデューサー・ジョエル・シルバーも参加というご祝儀のようなとんでもない企画でした。

しかしカロルコ、シルバー、スコットの意見が合わずスコットが降板し、『テルマ&ルイーズ』(1991年)の現場へと移っていきました。ピンチヒッターとして急遽呼ばれたのが、スタローンがその手腕を買っていた西ドイツの映画監督ローランド・エメリッヒであり、”Isobar”と改題された本作はエメリッヒのハリウッド進出作になる予定でした。

しかし、エメリッヒの相棒ディーン・デヴリンがジム・ウールスによるオリジナル脚本の修正を望んだのに対し、ジョエル・シルバーは子飼いの脚本家スティーブン・E・デ・スーザに書かせた新しい脚本を使おうとしたために方向性が一致せず、企画は中止となりました。

丁度その頃、『ユニバーサル・ソルジャー』からアンドリュー・デイヴィス監督が抜けて『沈黙の戦艦』(1992年)へと移っていったので、エメリッヒはそちらにシフトし、彼のハリウッド進出作は『ユニバーサル・ソルジャー』(1992年)になったのでした。

本作のゴタゴタは、作家性を認める傾向のあるマリオ・カサールと、厳しい態度で企画をコントロールしようとするジョエル・シルバーの個性の違いを反映しているようで興味深くもありました。

ユニバーサル・ソルジャー【良作】デラックスなB級アクション

”Gale Force”(レニー・ハーリン監督)

ハリケーンに紛れて上陸した現代の海賊とネイビーシールズが戦闘を繰り広げるというやたら景気の良いアクション大作であり、こちらも主演はシルベスター・スタローン。デヴィッド・チャップが1989年に書いた本作の脚本は、80年代末から90年代にかけてハリウッドで発生した激しい脚本入札競争の第1号とされています。

カロルコは本作の脚本を50万ドルで落札し、当時注目の監督だったレニー・ハーリンを企画に引き込んだはいいものの、度重なる脚本の書き直しで企画は仮死状態に陥りました。スタローン×ハーリンのコンビは本作の製作を断念し、代わりに新人脚本家マイケル・フランスが書いた『クリフハンガー』(1993年)の製作にシフト。こちらは世界的な大ヒット作となりました。

クリフハンガー【凡作】見せ場は凄いが話が悪い

ハーリンは2年後に海賊映画『カットスロート・アイランド』(1995年)を製作するのですが、それはカロルコの息の根を止めた大作の一つとなりました。やはり水もの映画は恐ろしく、1990年における”Gale Force”の製作打ち切りは英断だったと言えます。

カットスロート・アイランド【凡作】史上最高の爆破シーンだけを堪能する映画

その後のマリオ・カサール

1995年のカロルコ破産前から権利を取得していた『ロリータ』のリメイク企画をエイドリアン・ライン監督で完成させ、1998年7月に公開したのですが、製作費6200万ドルに対して興行成績が100万ドルに留まるという大赤字でした。私は作品自体悪いとは思わなかったのですが、なぜこの内容に6200万ドルもの大金がかかったのかは謎です。

ロリータ(1997年版)_キューブリック版を上回る成功作【7点/10点満点中】

1997年にはアンドリュー・G・ヴァイナと共に個人資産でターミネーターの権利を獲得し(合計で1500万ドルかかった)、2002年に製作会社C2ピクチャーズを立ち上げて『ターミネーター3』(2003年)を製作。同作は全世界で4億3337万ドルを稼ぐヒットとなったのですが、かけた製作費2億ドルが重すぎて大した稼ぎにはならなかったようです。加えて、『アイ・スパイ』(2002年)と『氷の微笑2』(2006年)が大コケして資金繰りが悪化し、2008年にC2ピクチャーズも倒産しました。

ターミネーター3【良作】ジョン・コナー外伝としては秀逸(ネタバレあり・感想・解説)

以降は目立った活動をしていなかったのですが、2019年に突如プロデューサーとして戻ってきました。その作品は『フォックストロット・シックス』!製作国はインドネシア!まさか『ザ・レイド』のおひざ元で復活するとは思わなかったので、そのワールドワイドな活躍には恐れ入りました。

(C) Rapid Eye Pictures
(C) Rapid Eye Pictures
(C) Rapid Eye Pictures

まとめ

かつてカロルコと言えば火薬と金に物言わせた褒められたものじゃない会社というイメージだったのですが、こうして振り返ると多くの難企画を軌道に乗せ、カルト映画や文芸作品にも足跡を残し、実に多彩な活動をしていたことが分かります。売れ線だけを狙っていたのではなく(結果的にそのことがカロルコの経営を圧迫したのですが)、マリオ・カサールって本当に映画を愛していたということが伝わってきます。

復活したインドネシア映画界で新しい伝説を作り上げて欲しいものです。

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