【凡作】デッド・カーム/戦慄の航海_見れなくもないレベル(ネタバレなし・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1989年 オーストラリア)
海洋サスペンスの一作で、犯人の設定など首を傾げざるを得ない点はいくつかあるものの、まぁそれなりには見ていられる水準には達しています。若い頃のニコール・キッドマン(撮影開始時点で19歳)を堪能できる作品ではあるので、彼女のファンの方にはお勧めです。

作品解説

オーソン・ウェルズ未完の作品の再映画化

本作はアメリカ人作家チャールズ・ウィリアムズが1963年に出版した小説『デッド・カーム』が原作であり、まずこれを映画化しようと思い立ったのは『市民ケーン』(1939年)のオーソン・ウェルズでした。

ウェルズはタイトルを『The Deep』に変更して制作に取り掛かりました。ウェルズ自身が主演し、ジャンヌ・モロー(『死刑台のエレベーター』)、ローレンス・ハーヴェイ(『影なき狙撃者』)、マイケル・ブライアント(『チップス先生さようなら』)、オヤ・コダー(『風の向こうへ』)がキャスティングされました。

1967年から1969年にかけてユーゴスラビア沖で散発的な撮影を行ったのですが、1969年には資金が底をついて製作が中断。

ウェルズは資金調達のためにチャールトン・ヘストンをナレーターに起用した予告編を製作しようともしていたのですが、1973年にローレンス・ハーヴェイが死亡したことから未完成のままプロジェクトは終了しました。

1997年頃にオーソン・ウェルズの資料が再検証され、脚本と見比べても撮影済フッテージは十分な量に達しているという噂が出回ったことから、ウェルズの未亡人はそれを編集して公開しようと試みましたが、結局はうまくいかなかったようです。

『マッドマックス』のジョージ・ミラーが製作

ウェルズの挫折から約15年後、オーストラリアの映画人であるジョージ・ミラーがその製作に乗り出しました。彼は『マッドマックス』シリーズで全世界の映画ファンにその名を轟かせた監督でした。

ただしミラーは製作に回り、監督には『ラスト・ジゴロ』(1987年)で注目されていたフィリップ・ノイスが就任。

ノイスは本作直後にハリウッド進出し、ジャック・ライアンシリーズの監督に抜擢されて『パトリオット・ゲーム』(1992年)と『今そこにある危機』(1994年)を大ヒットさせました。

感想

それなりに見られる海洋サスペンス映画

交通事故で幼い一人息子を亡くしたレイ(ニコール・キッドマン)とジョン(サム・ニール)の夫婦は心を癒すためにヨットでのクルージングに出かけるが、沈没寸前の船から逃れてきたヒューイ(ビリー・ゼイン)という男を拾ってしまい、そいつが殺人鬼だったことから恐怖の体験をすることが本作の物語。

ジョンは軍人なので殺人鬼にも対抗しうる力を持っているはずなのですが、ヒューイによって彼は大海原に取り残されてしまい、ヨットはレイとヒューイだけになります。

そこからレイは殺人鬼と二人っきりの恐怖の時間を過ごすこととなり、この脅威をどうやり過ごすのかというスリラーと、夫を救いに戻らなければならないというタイムリミットサスペンスが並行して描かれていきます。

一つ一つの構成要素はさほど強くないのですが、二つの要素を同時進行にしたことで適度な緊張感は出ているし、終盤には思いもよらぬスペクタクルもあって、そこそこに楽しませてくれます。

上映時間も短いし、暇つぶし程度にはなる作品です。

良くも悪くもニコール・キッドマンが浮いている

幼い息子の事故死という設定が置かれている上に、特に年の差夫婦であるとも言及されていないことから(相手役のサム・ニールは撮影時40歳)、主人公レイの設定年齢は20代後半から30代前半だったものと推測されます。

しかしレイを演じるニコール・キッドマンの見た目がどう見ても若いので、鑑賞中は違和感を感じ続けました。

本作の撮影は1987年5月頃に行われており、1967年6月生まれのキッドマンは撮影中に20歳になりました。やはり実年齢が設定年齢と違いすぎる。このために主人公でありながらキッドマンは物語から浮いた存在となっています。

ただし年齢的な違和感を除くとキッドマンのパフォーマンスには見るべき点が多く、やはり本作はキッドマンの映画なのです。

彼女の圧倒的な華、圧倒的な美しさは登場人物僅か3名の映画においては一つの見せ場として機能しているし、演技の質も悪くはありません。

当初は殺人鬼に怯えていたヒロインが反撃を画策し、同時に大海原に取り残された夫の救出にも奔走するという振れ幅の大きな役柄なのですが、キッドマンは見事にこれをものにしています。それはシガニー・ウィーバーのような安定感であり、これを19歳のキッドマンがやれていたのは本当に凄いことだと思います。

またスターになってからもボディダブルを使うことを拒否していたキッドマンは、本作の時点でもすでに体当たりの演技を披露。「自分でやっている」という迫力は観客にもちゃんと伝わってくるもので、殺人鬼に襲われる場面は本当に痛そうだし、隙を作るため殺人鬼をいったん受け入れる場面での葛藤も表現できていました。

本作を偶然見かけたトム・クルーズがキッドマンをいたく気に入り、ハリウッドに呼び寄せて『デイズ・オブ・サンダー』(1990年)と『遥かなる大地へ』(1992年)のヒロイン役に抜擢しましたが、確かにクルーズの眼鏡に適うだけの突出したものは本作のキッドマンにはありました。

そしてオーストラリアの地味なサスペンス映画である本作がいまだに鑑賞され続けているのは「若い頃のニコール・キッドマンが出ている」という付加価値によるものであることからも、本作は紛れもなくキッドマンの映画であると言えます。

色仕掛けに騙される犯人が間抜けすぎる

そんなニコール・キッドマンに対峙することになるのは、ビリー・ゼイン扮するヒューイ。

ゼインは後に『タイタニック』(1997年)でディカプリオにケイト・ウィンスレットを寝取られるボンボン役で一世を風靡することになりますが、本作出演時点では『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)でのチョイ役くらいしか実績がありませんでした。

彼が演じるヒューイは気の狂った殺人鬼という設定ではあるのですが、キャラクターの描きこみが浅いので分かったような分からないような微妙な存在となっています。

太平洋クルージングに無料で参加できるというチラシを信じて応募したら、その船ではAVの撮影が行われていて、下っ端としてこき使われているうちにブチ切れて皆殺しにした。

断片的な情報から伺い知れるヒューイの背景はそんな感じだったのですが、そうだとすると彼にも同情の余地はあるし、拾ってくれたレイに対して狂気を向ける必要はなかったのではないかと思います。

結局、ヒューイという男はナチュラル・ボーン・キラーなのか、不幸なシチュエーションが重なったために生み出されたモンスターなのかがよく分からないので、どうにも受け止めようがありませんでした。

そして二人っきりになったレイは色仕掛けを発動してヒューイに隙を作ろうとするのですが、これを受けるヒューイがレイの芝居を全面的に信用して騙されるので、とにかく間抜けなことになっています。殺人鬼としての威厳ゼロという。

ヒューイというキャラクターの完成度の低さが本作のボトルネックとなっています。

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