(1985年アメリカ)
ダニどもが好き放題暴れる街に出張してきたカージー。なお、本作では犯罪者やごろつきの類を「ダニ」と呼ぶため、私もその呼称に準拠いたしました。

今回のカージーに躊躇なし
デス・ウィッシュシリーズも3作目となると、故人を悼んだり、相手がダニとは言え人を殺めることを逡巡するという手続きは一切排除され、そこにダニがいるからぶっ殺すという情感ゼロの物語へと変更されています。
そもそもカージーがNYへ戻って来た背景からして、ダニに目を付けられて困っていた戦友からのSOSというボディガード扱いだったし、警察もカージーのビジランテ行為を認識しており、またカージー自身もダニ掃除を隠す気すらなくでかい銃をおおっぴらに振り回しており、もはや闇に紛れて悪を討つというシリーズの建付け自体が変わっています。
老人アクションの根本的なカタルシスとは「老いぼれだと舐めて絡んできた若いチンピラに吠え面をかかせる」という点にあると思うのですが、本作はそのカタルシスを放棄してしまっているので、復讐ものらしい情感と併せてこのシリーズが本来持っていた良さが失われているように感じました。
またカージー自身の行動もかなり軽くなっており、ちゃちゃっとダニ掃除を始めるというお手軽加減もさることながら、過去2作品で愛する人を失った経験があるにも関わらず、今回年下の女弁護士から夜のお誘いを受けると躊躇なく出向いて行きます。
案の定、女弁護士はダニどものターゲットにされて無残な死に方をするのですが、手が血にまみれた者らしい逡巡がカージーに微塵も感じられなかった点は残念でした。
さらに、女弁護士が殺されても「え?それだけ?」というほど薄いカージーのリアクションが、ガッカリ感をより深めています。
リアリティ度外視の話
例えばSFやファンタジーなんて架空の話なのですが、キャラクターたちが人間らしい反応を示すことで観客は目の前の荒唐無稽な物語にもリアリティを感じるわけです。
その点で言うと、本作のキャラクター達は皆まともな人間とは思えない反応を繰り返すために、一応は現実のNYを舞台にしつつも違和感ありありの内容となっています。
カージーがあえてカメラをひったくらせ、直後にひったくり犯をバカでかい銃で射殺するというくだりが象徴的なのですが、普通ならこの光景を見ていた一般市民達はカージーの行為に恐怖して警察に通報するであろうところを、この地域の住人達は拍手喝采するわけです。
ここの住人達はアホ丸出しで、観光地の人慣れしたニホンザルの如く窓から部屋に侵入してくるダニどもに手を焼いていると言いながら、窓に柵をするなどの対策を何も講じていないし、またレイプされかけた婚約者を間一髪のところでカージーに救われるという経験をしながら、懲りずに婚約者を一人で夜歩きさせて今度は殺されるなど、どうぞやっちゃってください状態で学習能力が一切ありません。
ダニはダニで窓の下に釘を置いたり、板が跳ね上がったりといった野生動物でもかからないようなカージー考案の罠に面白いように引っかかっていきます。
こんなバカvsバカの泥仕合を見せられるにつけ、スターウォーズよりも遠い世界の物語を見せられているような気分になるのでした。法の管理を受けないカージーと、常人とは思えない住人の物語には、すでに観客との間の共感の接点はゼロとなっています。
タガの外れたクライマックスは見もの
ただし、街全体が戦場と化し、カージー+住人+警察vs集結したダニの一大決戦が繰り広げられる気の狂ったようなクライマックスには血がたぎりました。
一体何人いるんだよとツッコミを入れたくなるほどわらわらとわいてくるダニどもに対し、重機関銃を手持ちでバリバリ撃ちまくるカージー。
しかもイヤな奴だった警察署長も「俺からの礼だ!カージー!」と言って参戦し、ファインプレーを連発します。
また、住人達も「見て!カージーさんが町のダニを撃ち殺しているわ!」というおばちゃんのありえない歓喜の声をきっかけに一斉参戦し、本作はアクション映画として突き抜けたゾーンへと突入していきます。この突き抜け方は結構クセになりました。
デス・ウィッシュ(2018年)【6点/10点満点中_端正な仕上がりだがインパクト不足】(ネタバレなし・感想・解説)