(2009年 アメリカ・南アフリカ・ニュージーランド)
人種差別をテーマにしたヘビーなメッセージ性と、燃える戦争アクションを組み合わせた充実のSFアクション。監督のリミックスセンスが冴えわたっており、最初から最後まで面白い。設定の穴は少なからず見られるが、鑑賞中には気にならない程度なので致命的な欠点でもないだろう。

作品解説
ニール・ブロムカンプ監督の長編デビュー作
本作で脚本・監督を務めたのはニール・ブロムカンプ。彼の長編デビュー作にあたる。
ブロムカンプは1979年南アフリカのヨハネスブルグ出身で、18歳でカナダのバンクーバーに移住。本作の主演のシャールト・コプリーとは高校時代の友人だった。
90年代後半に特殊効果アーティストとして活動を開始し、『スターゲイトSG-1』(1998年)などを担当。ジェームズ・キャメロン製作のテレビドラマ『ダークエンジェル』(2000年)でチーフアニメーターとなった。
以降は短編映画なども手掛けるようになり、マイクロソフトの人気テレビゲーム『HALO』のプロモーション用短編作品『HALO:Landfall』(2007年)などを製作。
その後、ピーター・ジャクソンが『HALO』の実写化企画を製作する際に、上記短編を製作したブロムカンプが監督に抜擢され、これが彼の長編デビュー作になるはずだった。
しかし製作費を巡ってマイクロソフトとの合意形成に失敗したうえ、配給を担当するはずだった20世紀フォックスとブロムカンプの仲も険悪となり、企画は中止となった。
こうして現場は撤収作業に入ったのだが、そんな折にジャクソンのパートナーであるフィリッパ・ボウエンがブロムカンプがかつて製作した短編『アライブ・イン・ヨハネスブルグ』(2005年)に注目し、せっかく集めた人材を解散させるのは惜しいということで、これを長編化することに決めた。
全米No.1ヒット
本作は製作費3000万ドルという比較的小規模な金額で製作されたのだが、事前の作品評が良かったこともあって、全米初登場1位を獲得。
全米トータルグロスは1億1564万ドルという大ヒットとなった。
国際マーケットでも同じく好調で、全世界トータルグロスは2億1088万ドルだった。
アカデミー賞4部門ノミネート
本作は批評家からも絶賛されて、アカデミー賞では作品賞を含む4部門(作品賞、脚本賞、編集賞、視覚効果賞)にノミネートされた。純然たるSF映画が作品賞にノミネートされるのは異例のことである。
感想
エイリアン・ネイションのアップグレード版
巨大UFOが地球にやってきたのだが、乗っているのは労働者階級のエイリアンたちであり、素晴らしい科学技術を扱えるわけでもなければ、母星に帰る術の持っていない。そのまま地球に居残って人類社会の最底辺に加わるというのが本作の設定。
アカデミー脚本賞ノミネートの実績が示す通り、公開当時には斬新であると絶賛されたのだが、本サイトを熱心に見ていただける方ならピンとくるだろう。昔、日曜洋画劇場でよく放送されていた『エイリアン・ネイション』(1988年)とほぼ同じ設定である。
ぶっちゃけパクってると言っても過言ではない。それほどまでに両作は似通っている。
なのだが、本作は人間社会への影響の与え方や、エイリアンたちの社会の描写がより詳細なものとなっており、着想オンリーでディテールが十分に作りこまれていなかった『エイリアン・ネイション』のクォリティを完全に凌駕している。
阿呆なエイリアン相手に阿漕な商売をするギャングが現れたり、エイリアンの処遇に困った政府が対策を迫られたり、しかし動物保護団体からの抗議を恐れて民間企業に業務委託していたりと、細かい部分が実によく考えられているのである。
そして本作は、エイリアンという招かれざる客を通して現実の人種問題を描いており、社会性がより強められている。差別が当たり前に存在する社会を、南アフリカという特異な地を舞台にすることでリアルに描き出しているのだ。
もしもワシントンやNYを舞台にしたのではこうはいかなかったはずで、ロケーションの強みが最大限に引き出されている。
Blu-rayのメイキングを見ると、ヨハネスブルグの中でも特に物騒な地域での撮影を行ったらしく、そのヤバさは画面越しにも伝わってくる。これぞ本物の迫力である。
主人公=凡庸な悪
ドキュメンタリー形式で描かれる序盤の出来は特に素晴らしい。
後述する通り、本作の設定には腑に落ちない点も少なからずあるのだが、序盤でドキュメンタリー形式をとることで真実らしさを上げており、設定上の不備をうまくごまかしている。これは見事だった。
描かれるのは人口の増えすぎたエイリアンを第10地区に強制移住させるその日の光景であり、この社会がエイリアン達をどう扱っているのかがここで分かる。
主人公ヴィカスはこの汚れ仕事の取りまとめ役に抜擢されるのだが、気さくで温厚な男ヴィカスがナチュラルにエイリアンを弾圧することで、差別とは普通の人間の意識の中に宿るものだということがわかる。
彼はエイリアンにも存在している権利を軽々しく取り上げ、彼らの卵や住居を焼き払うのだが、かといってエイリアンをイジメて楽しんでいるわけでも、罪悪感を抱きつつも断腸の思いで職務遂行しているわけでもない。
ヴィカスはその社会の定める規範に従って生きているだけであり、エイリアンを差別しているという感覚すらないのだろう。
ホロコーストの中心的人物だったアドルフ・アイヒマンを指して「凡庸な悪」と呼んだ有名な言葉があるが、ヴィカスはまさに凡庸な悪といえよう。
ここで社会派テーマをSFに換骨奪胎した本作の企画趣旨が際立ってくるのだが、もしも人間相手であればヴィカスの悪質性が際立っているところ、エイリアンが相手であることで彼には悪意がないということが観客にも伝わってくる。
こうして差別意識とは何ぞやということを描いてみせた序盤は見事だったし、ドキュメンタリー形式をとって細かい断片の積み重ねにすることで、娯楽作品に必要なテンポも生まれている。
戦争アクションへの華麗なる転換
エイリアンの家宅捜索をした際に謎の液体を浴びたヴィカスは、エイリアンへの変化を始める。そうして世界で唯一の生けるサンプルとなったヴィカスは会社に追われ、仕方なくエイリアン居住区に潜伏。
当初は逃げる一方のヴィカスだったが、エイリアンのマザーシップへ行けば治療する方法があるとのことから明確な目的意識が生まれ、後半ではその実現に向けて走り始める。
エイリアンの武装を手にして追手を振り払うという戦争アクションへと転換するのである。
パワードスーツを着てからのヴィカスの大反撃には燃えた。それまで全方位から酷いイジメに遭っていた分、ヴィカスが圧倒的な戦力で敵をねじ伏せる様にはカタルシスが宿っているのである。
メカや銃器の描写を得意とするブロムカンプ監督の手腕もここでは炸裂しまくっており、彼もノリノリで撮っていることが画面越しにも伝わってくる。
アクション映画としての大きな山場を作ったことで、本作は社会啓蒙的なSFをさらに越えたレベルに達したと言える。
そして迎えるのはセンチメンタルなクライマックスで、甘く切ないラブロマンスという着地点を見出したことも見事だった。構成が実によく出来ているのである。
ただしおかしな設定もある
とはいえ、本作にはちょいちょいおかしな設定も存在している。
主人公ヴィカスのDNAがエイリアンに変化するというプロセスは謎だし、世界で唯一エイリアンのDNAを持つ人間となった主人公を会社が安易に切り刻もうとするのもおかしい。
ヴィカスは貴重なサンプルであり、その再現が可能かどうかが分からない段階では、大事に生かしておくしかないだろうと思うのだが。
そもそもなぜ会社が人間とエイリアンの交配種にこだわるのかというと、エイリアンの武器が彼らのDNAにしか反応しないためなのだが、エイリアンなんてキャットフードでいくらでも釣れる連中なので、無理矢理ヴィカスを使うまでもないと思うのだが。
そんなわけで設定上の穴があることが本作の欠点なのだが、上述した通り、全体的なリアリティの醸成には成功しているので、物語を毀損するほどの大穴にはなっていない。