【良作】エリジウム_ジョディは悪くない(ネタバレあり・感想・解説)

SF・ファンタジー
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(2013年 アメリカ)
何としてでも生きようとする主人公の生存への執着と、殺人に至上の喜びを覚える悪役の対決が凄まじい。プリミティブなドラマとハイテク描写が組み合わされた独特な作風こそがブロムカンプ節であり、社会考察的な部分も優れている。

作品解説

ニール・ブロムカンプが製作・監督・脚本

本作の製作・監督・脚本を務めたのは南アフリカ出身のニール・ブロムカンプ。

長編デビュー作『第9地区』(2009年)が3000万ドルの中規模予算ながら大ヒットになったうえ、同ジャンルでは珍しくアカデミー作品賞にもノミネートされるという快挙も成し遂げたことから、一躍注目の監督となった。

彼の次回作にはすぐに大手スタジオが関心を持ち、本作『エリジウム』はソニーピクチャーズの配給が決定。またマット・デイモンとジョディ・フォスターという大スター共演も実現した。

元々監督が主演に要望していたのはラッパーのエミネムだったのだが、デトロイトを舞台にして欲しいというエミネム側の要望に応えられず、その後にマット・デイモンに決まったという経緯があるのだが。

ヒットはしたが期待値には届かなかった

本作は2013年8月9日に公開され、初登場1位を記録。ただし初動売り上げ2980万ドルは、監督の前作『第9地区』(2008年)の3735万ドルに届かなかった。

全米トータルグロスは9305万ドルで、1億1564万ドル稼いだ『第9地区』を20%近く下回った。

しかし大スター共演のSF大作ということで国際マーケットでは強みを発揮し、全世界トータルグロスは2億8614万ドルで、こちらは『第9地区』の2億1088万ドルを35%も上回った。

とはいえ1億1500万ドルという高額な製作費を考えると満足できる金額ではなく、興行的には期待外れだったと言える。一応1800万ドルの純利益は出ているらしいので、失敗作ではないのだが。

感想

貧困層の下剋上に燃える

2154年、地球環境が悪化したことから富裕層はエリジウムと呼ばれるスペースコロニーに移住し、一方地球に残された貧困層は「いいなぁ、エリジウム」と言いながら夜空を見上げて生活。逆宇宙世紀状態となっている。

エリジウムとはギリシャ神話のエリュシオンで、それは神々に愛された人々が死後に平和な生活を送る野のことらしい。このネーミングセンスから、この世界の富裕層のうぬぼれ具合がそこはかとなく伝わってくる。

主人公マックス(マット・デイモン)はLAの孤児院育ちで、若い頃には車泥棒をするなど荒れていたのだが、今では真面目に工場勤めをしている独身男性である。

なのだが、安全第二を座右の銘とする工場で上司の無茶な指示を聞いた結果、致死量の放射線を浴びて余命5日となった上に、厄介払いされるかの如く薬瓶ひとつを渡されて帰らされる。

唯一生き延びる道はエリジウムにある医療ポッドで治療することで、密航業者スパイダー(ヴァグネル・モーラ)から、エリジウム市民が脳内にストックしているパスコードを奪ってこいと言われる。

そうすればエリジウムへの密航が可能になるのでお前も治療ができるだろという理屈なのだが、マックスがエリジウム市民と言われて思いついたのが例の悪徳工場を運営している社長(ウィリアム・フィクトナー)で、自己の延命と報復の一石二鳥ができるとのことで、このプランを引き受ける。

とはいえ、過去にヤンチャしてたマット・デイモン程度では、護衛ロボを引き連れたエリジウム市民を倒すのは困難だろうとのことで、スパイダーはマックスにパワードスーツを装着する。

装着と言っても肉体に穴をあけ、ボルトでフレームを固定するというなかなかハードな仕様であり、放射線を浴びてやけくそ状態のマット・デイモンくらいしか引き受け手はいないだろうと思うのだが、開発者はどんな利用場面を想定してこれを作ったのだろうか。

おまけに装着手術は突貫すぎて、Tシャツを脱がせることも忘れて服の上からパワードスーツを固定してしまう。あのTシャツは二度と脱げなくなってしまったが、匂いとか大丈夫なんだろうか。

ともかくパワードスーツで強化されたマット・デイモンが一縷の望みをかけて悪徳社長を襲撃するのだが、エモーショナルな筋書きとブロムカンプ監督の卓越したビジュアルセンスが嚙み合って、これが燃える見せ場となっている。

この襲撃場面はハードなアクションとかっこいいメカ描写が組み合わされており、何度見ても飽きないほど素晴らしい。

なのだが、実はこの悪徳社長はエリジウム内のクーデター計画に関与しており、そのセキュリティを脅かすコードを脳内に隠し持っていたことから、事態は想定外の方向へと動き始める。

狂った傭兵クルーガーが素晴らしい

悪徳社長が持つコードを奪われてはならんと、エリジウムの汚れ仕事を請け負っている傭兵クルーガー(シャールト・コプリー)が2名の部下を引き連れて現場にすっ飛んでくる。

このクルーガーがボロボロの身なりで、スラムでも特別に目立つほどの不潔さを披露する。しかも果てしなく狂っており、人を殺したくて仕方がない様子である。

それは部下2名も同じくで、もはや使命とか目的とか関係なく、気の合う仲間とのマンハントを心から楽しんでいる様子。これほどまでに仕事を楽しむことができれば、毎日がさぞかし充実しているだろうと羨ましくなるほどである。

そして表立っては美しく整ったエリジウムが、そのイメージとは対照的な狂ったサンバルカンに汚れ仕事を依頼しているというのが皮肉なのだが、文明社会の一側面を突くような鋭さもある。綺麗事を言ってる奴ほど、えげつないことを考えるという。

クルーガーを操っているのはエリジウムの国防長官デラコート(ジョディ・フォスター)。醜いクルーガーとは対照的な金髪の整った見てくれで、何となく優性思想を連想させられる。

欲を言えば背の低いジョディ・フォスターではなく、背が高く顔立ちも整いすぎているニコール・キッドマン辺りの方が良かったんじゃないかと思うが、フォスターの演技も決して悪くはなかった。

デラコートからすると、不潔で見た目も悪い地球の人類など同じ人間ではないのだろう。彼女は移民徹底排斥派であり、エリジウムを守るためなら地球市民を何人殺そうがお構いなしという姿勢でいる。

そしてクルーガーは、デラコートが蔑む人間の中に自分も含まれているという自覚を持っているのであるが、それでもこいつと組んでいれば人殺しを存分に楽しめるというメリットから付き合っている。そのポリシーのなさが一周回って素晴らしい。

このクルーガーという純粋悪の登場から、物語は急激にテンションをあげていく。生きたいという意欲の塊であるマックスと、バイタリティの化身のような男クルーガーの衝突は、火事場での人間賛歌へと昇華されていく。

生きるためにエリジウムへあがろうとするマックス、理念も何もないがマックスを追い詰めなきゃ気が済まないクルーガー、もはや理屈を超えた本能のぶつかり合いである。

ここでハタと気づいたのだが、ニール・ブロムカンプ監督作品は、やんごとなき状況に置かれた主人公が逃げて逃げて逃げまくり、戦って戦って戦いまくる映画ばかりだ。

生存への執着こそが彼の作家性であり、私がこの監督の作品に惹かれるのは、そのプリミティブなドラマ性ゆえなのかもしれない。

そして物語にはマックスの幼馴染フレイ(アリシー・ブラガ)と、その幼い娘マティルダも絡んでくる。

マックスがフレイに特別な思いを持っていることを察知したクルーガーは、人質としてフレイとマティルダをさらうのだが、フレイに向かって唐突に「あんたと所帯を持ちたい」とか訳の分からんことを迫り始める。

とはいえこれはクルーガーがフレイに惚れたとか、真っ当な生活への憧れを持ったとかいうことではなく、怨敵マックスが大事にしているものだから何かしら価値のあるものなんだろうな、知らんけどという、マックスへの執着の延長だと思われる。これまた狂っていて最高である。

エリジウムのセキュリティガバガバ

後半は地球のスラムからエリジウムに移るのだが、この辺りから設定のアラが目立ち始める。本作の欠点はここに集中している。

まずスパイダーの密航手段が凄いのだが、通常の定期貨物船の中に紛れるなんて生半可なものではなく、密航船単独でエリジウムを一直線に目指していく。

豪快過ぎてさすがに気付かれるだろうと思うところだが、この密航方法はまぁまぁ成功しているようなので、エリジウム側の国境管理がザルすぎるのだ。

そしてエリジウムの構造自体も物凄くて、機動戦士ガンダムのコロニーのような密閉式ではなく、何と天井があいており、宇宙空間と居住スペースを隔てているのが薄い大気だけという壮絶な仕様となっている。

コロニー内の大気をどうやってとどめているのだろうか。物理に関しては中学理科第一分野程度の知識すらない私すら、エリジウム内の大気圧は大丈夫なのかと心配になってくるほどだ。

宇宙線をどうやって防いでるのかも分からないが、もしも宇宙線対策として医療ポッドが各家庭に配備されているのだとすれば、何とも無駄な仕組みではないか。

で、密航船はそのがら空きの天井から侵入するのである。この開放式の天井は百害あって一利ないので、さっさとやめた方がいいと思う。

ジョディの泥縄クーデター計画

そして前述した通りエリジウム内ではクーデター計画がひそかに進行中である。

その内容はというと、コロニー総裁のやり方は手ぬるい、エリジウムを守るためには移民に対する強硬策が必要であると信じているデラコートが、その頂点に立とうとしているというものである。

そのためにエリジウムのシステムをいったんシャットダウンし、総裁名をデラコートに改ざんするというのが計画らしいのだが、プログラム上はあなたの名前に変更したところで、人々の記憶をどう処理するつもりなのか。

「あなたは総裁じゃありませんでしたよね」と言われて終わりじゃないかと思うのだが、とりあえずそういう計画らしい。

そんな感じでマスタープラン自体がヨボヨボなので、このクーデター計画はまったくうまくいかない。

出足の時点でマット・デイモンにコードを奪われるわ、エリジウムをどうとでもできるマット・デイモンに上がり込まれるわ、その追跡をさせているクルーガーは制御不能になるわと、泥縄状態。

最終的には飼い犬だったクルーガーに殺されるわけで、何ともお粗末な顛末を迎える。これは酷すぎましたな。

で、デラコートを殺害したクルーガーは自分が総裁になろうと動き始めるのだが、例のサンバルカンが暴れるだけでエリジウムの中枢にダメージを与えられるのだから、やはりエリジウムのセキュリティは脆弱すぎる。

でもジョディの言い分も分かる

そんなわけでいろいろとグダグダなのであるが、デラコート長官の言い分自体には傾聴の価値がある。

同じくマット・デイモン主演の『ボーン・スプレマシー』(2004年)で、CIAとは「錐(きり)の尖った先端部分」であるとのセリフがあった。本作で言えばデラコートとクルーガーがそれに当たる。

確かに彼らは好戦的なのだが、彼らの存在によってエリジウムの美しい環境や平穏な日々が守られているのも、また事実。デラコートやクルーガーが働いてくれるおかげで、その他の者達はのほほんと綺麗事を言っていられるのである。

しかしエリジウム内の良識派たちは国境線上にある厳しい現実を直視せず、門番たちの暴力行為のみを非難するものだから、最前線で戦うデラコートが危機感を覚えるのも当然のことである。

この世界における移民問題は貧富の差や医療格差が原因であり、それはデラコートやクルーガーのせいではないし、彼らは不法移民を入れないで欲しいというエリジウムの総意を職務に反映しているだけのこと。

二人を排除したところで不法移民がやってくるという現実には変わりがなく、エリジウムの進むべき道は↓の3つということになるであろう。

  • 引き続き不法移民の排除に努める
  • 人道的見地から地球からの移民を受け入れる
  • 地球との格差を縮めるよう富の再分配に努める

しかし彼らはどれとも決断しない。これぞ平和ボケというやつである。

で、こんなにも危機感がなく、醜い現実を直視する度胸もなく、何も決められない連中に任せてたらエリジウムはじわじわ終わるとしたデラコートの危惧は、さほど間違ってもいない。

一番悪いのは、不法移民には来てほしくないんだけど、手荒な取り締まりもしたくないしという優柔不断な姿勢を示す現総裁であり、これではクーデターを起こされても文句は言えまい。

こうした社会考察的な面が不出来なSF設定を補っており、全体としてはよく出来た風刺SFだと思う。

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