【凡作】新・猿の惑星_猿が動物園の檻に入れられただけ(ネタバレあり・感想・解説)

SF・ファンタジー
SF・ファンタジー

(1971年 アメリカ)
驚天動地のアイデアには唸らされたが、アイデア止まりの映画。細かい設定は前作、前々作と矛盾しているし、逃亡劇の緊張感ゼロだし、映画としては実に凡庸。

感想

無理な続編もここまでくれば天晴れ

『続・猿の惑星』のクライマックスで地球は吹き飛ばされ、もはやこれ以上の続編製作は不可能だと思われた状態から製作された、まさかの第3弾。

『1』でテイラーが乗ってきた宇宙船に乗船したジーラ博士(キム・ハンター)とコーネリアス(ロディ・マクドウォール)が、時間を遡って現代の地球にやってくる。

猿のテクノロジーで海に沈んだ巨大宇宙船をサルベージ可能なのだろうか、機械文明を持たない猿達が宇宙船の操縦法を理解できたのかなど、いろいろ不可解な点も多い。

その穴を埋めるために登場したのが3匹目の猿マイロなんだが、こいつが一体何者なのかもロクに説明されないまま退場するという投げやり感もすごかった。

そして時間の流れを逆流してくる点に至っては、どういう原理なんだかさっぱりわからない。

そんなわけで無理やり作られたことの弊害は至るところに表れているんだけど、土台無理な話を何とか形にしてみせたという点だけは大きく買いたい。

正編のヒットにあやかって製作された続編とは非難を受けやすいものだが、本作の場合はあまりにも無茶な下地から作られたので逆に清々しさすら感じた。

猿が動物園の檻に入れられただけ

内容は人間が猿にいじめられる『1』の裏返し。

『1』は人間が獣に狩られるという点に妙味があったんだけど、それをさらにひっくり返した結果、猿が動物園の檻に入れられるというごく普通の光景が出現。裏の裏を取ると表になったという、なんとも珍妙なことになっている。

ただしテイラーと違うのは、マスメディアが発達し大衆の嗜好が政策決定にも反映される人間社会では、人気者になったジーラとコーネリアスは来訪者として受け入れられたということ。

手厚い待遇を受ける二人だが、酔った勢いで猿が人類を支配する未来のことまで喋ってしまう。それに焦ったのが米大統領の科学顧問であるハスライン(エリック・ブレーデン)で、彼はジーラとコーネリアスの抹殺を計画する。

後半は二人の逃走劇がメインとなるんだけど、そもそもハスラインが二人を殺すことで人類の災厄を防げると考えた理屈がどうにも腑に落ちない。

また『1』では人類と猿の歴史を知るのはザイウス議長のみであり、過去は厳重に隠蔽されてきたはずなのに、コーネリアスが歴史についてやたら詳しく話せる点にも違和感を覚えた。

そんなわけで脚本がグダグダな上に、演出もいまいちなので逃走劇としても持ち上がらない。

基地からの脱出が驚くほど簡単にできてしまい、緊張感のかけらもない。また両種族の存亡がかかった物語であるという奥行きも感じられなかった。

たった3人の主要登場人物だけで最終戦争の匂いをさせた『ターミネーター』(1984年)のような雰囲気が欲しいところだったのに、演出が凡庸すぎる。

本作の監督は『ドクター・モローの島』(1977年)や『オーメン2/ダミアン』(1978年)など、リメイクや続編を実に凡庸に仕上げることで定評のあるドン・テイラーだったが、うまい監督が撮っていればもっと面白くできただろうにと思う。

≪猿の惑星≫
【良作】猿の惑星_言論封殺の恐ろしさ
【凡作】続・猿の惑星_こじんまりとした最終戦争
【凡作】新・猿の惑星_猿が動物園の檻に入れられただけ
【凡作】猿の惑星・征服_人類が阿呆すぎる
【良作】最後の猿の惑星_戦争を起こすメカニズム
【良作】猿の惑星:創世記_人間より猿を応援したくなる
【傑作】猿の惑星:新世紀_戦闘と独裁のリアル
【凡作】猿の惑星:聖戦記_迷走するシーザーと脚本

スポンサーリンク
公認会計士のB級洋画劇場