(1999年 アメリカ)
諜報員の男が、サイコキラーの女のストーカーになるという、着想の時点では面白そうな話なのに、ミスキャストやら細部の詰めの甘さやらで、違和感しかない映画になっている。アシュレイ・ジャッドは魅力的に撮られているので、美人を見る目的と割り切ってしまえば満足できるかもしれない。

感想
つまらない可能性が高くて避けてきた映画をあえて見るシリーズ第4弾
公開当初から映画の存在は認識していたが、評判のあまりの悪さに今まで観てこなかった映画。
…というのはこの前の『コレクター』(1997年)導入部でも書いたような気がするが、ここんとこハマっている、つまらない可能性が高くて避けてきた映画をあえて見るシリーズの第4弾。ちなみに1~3弾はこんなラインナップ。
【良作】ショーガール_ロバート・デヴィに泣かされるとは(ネタバレなし・感想・解説)
【駄作】ハリウッド的殺人事件_ハリソンさん、スベりまくる(ネタバレあり・感想・解説)
【駄作】コレクター(1997年)_犯人モロバレ吹き替えの脅威(ネタバレあり・感想・解説)
バーホーベン大先生以外は見事につまらない映画揃いで、やはり世評の悪い映画には手を出さないのが無難という経験値が溜まりつつあるのだが、例に漏れず本作もつまらなかった。
そして主演のアシュレイ・ジャッドは『コレクター』(1997年)に続く2度目の登場で、彼女の駄作出演率は高すぎると思う。
90年代にはかなり推されていた女優さんだったが、その後パッとしなかったのは作品選別眼がなさ過ぎたからだろう。この人が出る映画はつまらんと思ってほぼ間違いのない状況となっている。
ヒッチコック→デ・パルマの流れを汲むサスペンス(一応)
で、本作の内容はというと、英国機関の諜報員(ユアン・マクレガー)が監視していた女性(アシュレイ・ジャッド)がサイコキラーだったんだけど、諜報員はサイコキラーに特別な思い入れを持ってしまい、そのストーカーになってしまうというもの。
美女に対する異常なオブセッションというヒッチコック→デ・パルマの流れを汲んだ作品であり、重要な登場人物であるブロート博士役に『愛のメモリー』(1976年)のジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドを起用したのは、意図的なキャスティングだろう。
そこにストーカーという90年代的な要素を加えたのが、本作の新奇性だと言える。
なおマーク・ベーム著の原作は過去にも一度『死への逃避行』(1983年)のタイトルで映画化されているんだけど、当然そちらも未見。イザベル・アジャー二主演で評価も高いようなのだが、長期廃盤中のようでDVDやBlu-rayにはプレ値が付いている。この状態では当面は見ることはできなさそうだ。
ネタを割ってしまうと、過去に妻子に去られた男と、少女期に父に捨てられた女が共依存関係になってしまうという話なんだけど、この役を演じるにあたってユアン・マクレガーが若すぎた。
これが製作された1999年って、『トレインスポッティング』(1996年)でヤク中を演じてからたったの3年しか経っていない。当時のユアンには若者のイメージしかないのだ。
そんなユアンに妻子持ち設定がまったく合っていないどころか、妻子に去られたのは7年も前のことだと言うので「あんた一体いくつなの?」と疑問符しか浮かんでこない。
なもんで、行き場を失った父性をサイコキラーに向けてしまうという作品の核心部分が不安定なものとなっており、作品全体がグラついているような状態なのだ。これでは面白くなるはずがない。
またこの工作員を見た人たちは口々に「普通の見てくれだった」「平凡な男だった」とか言うんだけど、観客の目にはすんごいイケメンにしか映っていないので、この人物をどう捉えていいのかいよいよ分からなくなってくる。
その他、劇中の経過時間がよく分からなかったり、職務放棄のような状態が続いているのに所属機関が何も手を打たなかったり、女のアパートの隣室をすんなり借りられたりと、見ていて違和感を抱かざるを得ない要素が多すぎる。
もちろん良い部分もあって、『プリシラ』(1994年)のステファン・エリオット監督の持ち味であるロードムービー的な楽しさはあるし、小道具の使い方もうまい。
ただし悪い面があまりにも多すぎて、トータルで考えると短めの上映時間すら耐え難いほどのつまらない作品に終わっている。
ユアンの話しかしなかったので最後にアシュレイのことにも触れておくと、彼女は七変化状態でいろんな魅力を引き出されている。ヌードもあるし、彼女のファンならば納得できる作品ではなかろうか。