(2013年 アメリカ)
評判の悪かった前作からキャストも設定も一新した続編にして半リブートなのですが、見違えて良くなった部分は見当たらず、出来は前作とどっこいレベルです。最大のテコ入れだったブルース・ウィリスは不発だったし。そんな中で良かったのが忍者大活躍で、第三弾が忍者中心になったことにも合点がいきます。

作品解説
半リブートらしいです
前作の公開直後から続編企画は始動し、脚本家として『ゾンビランド』(2010年)のレット・リースとポール・ワーニックが雇われました。大勢の脚本家が関与した前作とは打って変わって、このコンビが最後までメインライターの座にいました。
当初、監督は前作のスティーヴン・ソマーズが続投する予定だったのですが何があったのか降板し、『交渉人』(1998年)のF・ゲイリー・グレイや『トレイン・ミッション』(2018年)のジャウム・コレット=セラなどが検討された後、青春ダンス映画『ステップ・アップ2』(2008年)のジョン・M・チュウが選ばれました。
チュウは第一作とは大幅に異なった内容にすると発表。完全なリブートにするという意見もあったようなのですが、前作の存在をなかったことにすることもそれはそれで問題だと考えたのか、作風やキャストは一新しつつも前作と繋がった物語としました。
前作から継承された部分
- ザルタン(アーノルド・ボスルー)がアメリカ大統領(ジョナサン・プライス)に化けている
- その他のコブラ幹部は刑務所に収監中
- スネークアイズ(レイ・パーク)とストームシャドー(イ・ビョンホン)は幼少期に同じ寺院で修行を受けた
なかったことにされた、もしくは変更された部分
- G.I.ジョーは国際的な軍事組織から米軍内の一部隊に変更
- 大掛かりな秘密基地やSFガジェットは登場しない
- ホーク将軍(デニス・クェイド)らの存在には言及すらされず、デューク(チャニング・テイタム)がG.I.ジョーのトップに変更
- ただしデュークは脇役で(テイタムが『ホワイトハウス・ダウン』に引き抜かれたから?)、ロードブロック(ドウェイン・ジョンソン)に主役変更
- 前作で死んだはずのストームシャドー(イ・ビョンホン)が何の断りもなく復活
- コブラコマンダーに記憶と精神を改造されたバロネス(シエナ・ミラー)の物語は打ち切り
タイトルは「報復」を意味
原題の”Retaliation”は報復を意味するのですが、日本ではあまり馴染みのない単語なので”リベンジ”に置き換えられています。retaliationには武力的・物理的・暴力的な報復というニュアンスがあります。
また『アベンジャーズ』の語源にもなってる”avengement”も報復という意味ですが、”revenge”が個人的・感情的な報復を意味するのに対して、”avengement”には正義を為すための報復というニュアンスがあります。
前作を上回ったが期待値には届かなかった興行成績
本作は2013年3月28日に全米公開され、『クルードさんちのはじめての冒険』(2013年)や『エンド・オブ・ホワイトハウス』(2013年)を抑えて初登場1位を獲得。全米トータルグロスは1億2252万ドルで、1億5020万ドルを稼いだ前作よりも2割減という結果に終わりました。
ただし国際マーケットでは好調であり、全世界トータルグロスは3億7574万ドル。前作の3億246万ドルを25%近く上回りました。
製作費は前作よりも4500万ドル少ない1億3000万ドルであり、投資を減らして売上高を増やすという理想的な続編の在り方だったのですが、それでも兄弟関係にある『トランスフォーマー』シリーズには遠く及ばない収益であり、パラマウントの期待には応えていません。
よって再度の仕切り直しが行われ、完全リブート作品『G.I.ジョー: 漆黒のスネークアイズ』(2021年)が公開予定です。
感想
ハズブロの『ダークナイト』
上記「なかったことにされた、もしくは変更された部分」の通り、本作はSF的なガジェットを排して現実味を帯びた軍事アクションを標榜しています。
現実世界にG.I.ジョーやコブラが存在したらどんな風になるのかを考慮した物語。ゾンビ映画を脱構築して高い評価を得た『ゾンビランド』(2010年)のコンビ脚本家が雇われたことからも、企画意図はそこにあったと思われます。
ではなぜ本作がそこに振り切ったのかと考えると、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』(2008年)の存在が大きいのではないかと推測します。
『ダークナイト』はバットマンを主人公とした物語でありながら、アメコミ作品としてのフォームを捨てスリリングなクライムサーガとして構築されました。VFX監督として『007』のクリス・コーボールドが雇われたことからも、ノーランはSF映画らしいルックスを捨てようとしていたことが分かります。
その『ダークナイト』(2008年)が『タイタニック』(1997年)以来の大ヒットとなったことから、SF的なアプローチを試みて失敗した『G.I.ジョー』(2009年)の続編も同様のアプローチを試みたのではないでしょうか。
ただし、これが成功したかと言われると微妙。
忍者は出てくるし、結局はドウェイン・ジョンソンの力技頼みだし、ブルース・ウィリスがゲストだし、コブラの悪だくみは相変わらずバイキンマンレベルだし、観客からバカにされる要素が余りに多すぎて「リアリティの構築(キリッ」なんて言っていられる雰囲気ではないのです。
大幅にフォーマットを変更した割に頭の悪さは前作とどっこいレベルとは如何なものかと。「非現実路線で突き抜けていた前作の方がまだマシじゃ!」という批判意見もごもっともな完成度でした。
ちなみに、ラストで『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』のダインスレイヴのような超兵器が出てきますが、原理上は作れるものらしいです。一応は考証がなされているんですね。
相変わらずのマッスルとお色気
サービス精神過多の本シリーズの特徴の一つとして、健全なお色気があります。
前作では「トレーニング場面」という名目で美男美女の肉体美を映し出し、全世界の未成年がその光景を有難く拝見しましたが、その路線は本作にも踏襲されています。
ヒロイン役のエイドリアンヌ・パリッキは過去にワンダーウーマンを演じたこともある女優さんだけあって、美貌とスタイルにはさすがのものがあります。そして本作では出し惜しみなしでパリッキさんが映し出されます。
ただし前作が「トレーニング場面」という言い訳をしていたのに対して、本作では露骨な色仕掛け作戦が描かれるので、風情はかなり減衰しましたが。

風情という点では男性側も同じく。前作のお色気担当チャニング・テイタムはイケメン・細マッチョで、世界中のご婦人方が好むタイプのお肉だったわけですが、本作でその代わりを務めるのはゴリマッチョのドウェイン・ジョンソン。
確かに筋肉量は大幅に増えたのですが、「目の保養」「セクシーさ」というものは微塵も感じさせません。
またG.I.ジョーの二番手として登場するフリント(D.J. コトローナ)が、劇中でも「中途半端なイケメン」とイジられるほど微妙。なぜ普通のイケメンをキャスティングしなかったのでしょうか。
マーロン・ブランド化したブルース・ウィリス
そんなわけで前作よりも見劣りすることが気になってきた本作ですが、そんな中で頼みの綱だったのがブルース・ウィリスの客演です。ポスターでも真ん中に鎮座しており、ブルースさえ登場すれば作品は息を吹き返すだろうと期待していました。
ブルースが演じるのはG.I.ジョー初代司令官ジョー・コルトンで、彼のファーストネームが組織の名の由来にもなっているほどの伝説の人物。
裏切り者の汚名を着せられて逃亡中のドウェイン・ジョンソン一行はジョーを頼ることにするのですが、確かにブルースが顔を出した瞬間には死ぬほどテンションが上がりました。
ただしこいつがあまり活躍しないわけです。毎回鳴り物入りで登場するのにロクな戦績を残さないゾフィーレベルの伝説の司令官。
ブルース・ウィリスに客演をお願いすると、登場場面が少ないのにやたらギャラを要求してくるという嫌な情報は『エクスペンダブルズ』(2010年)のスタローンよりもたらされていましたが、本作でもブルースの拘束日数やら条件やらは厳しかったんだろうなと思います。
ファンはブルースとドウェイン・ジョンソンが共闘する場面を見たいのに、スケジュール優先だったのか別行動だし。
アクション映画界のレジェンドたるもの、ファンが喜ぶ展開を作るために協力的な姿勢を示して欲しいところですが、「ギャラ分しか動きません」という『地獄の黙示録』(1979年)のマーロン・ブランドみたいな仕事ぶりが透けて見えてきたことは嫌でしたね。
にんじゃりばんばん
そんなわけで良くない点の多い作品だったのですが、唯一素晴らしかったのが忍者大活躍でした。
東京都心に忍者道場があって、そこのトップがラッパーのRZAで、ストームシャドーの妹弟子がフランス系のエロディ・ユンという相変わらずの無国籍ぶりには驚嘆したのですが、エロディ・ユンほどストイックに体づくりや演武を極める日本人女優がいない以上、こうしたファンタジー設定は仕方ないのかなと思います。
で、エロディ・ユン扮するジンクスとスネークアイズ(レイ・パーク)は、重傷を負ったストームシャドー(イ・ビョンホン)が収容されているヒマラヤの忍者拠点を急襲します。
アジアの地理関係に疎いアメリカ人はヒマラヤに忍者の拠点があることにしたがるわけですが、ここでの断崖絶壁バトルがレニー・ハーリンも裸足で逃げ出すほどのスリルと迫力だったので最高でした。
そして、これまでは敵味方に分かれて争っていたスネークアイズとストームシャドーですが、実はストームシャドー側に大きな誤解があったことが判明して吉川晃司と布袋寅泰レベルの歴史的和解が実現。
共通の師匠の死に係る認識で、実はストームシャドーをコブラに引き込みたかったザルタン(アーノルド・ボスルー)の陰謀であったことが明かされます。
公開時には「その設定は後付け過ぎないか」との批判もありましたが、そもそも論理的整合性など気にしないこのシリーズなんだから、これくらい軽い感じでも私は全然許容できました。黒装束の忍者と白装束の忍者が和解する場面は絵的にも面白かったし。
で、両者が手を組んで迎えるラストバトルには、ラディッツを相手に共闘する悟空とピッコロを始めてみた時のような興奮がありました。