【良作】奴らを高く吊るせ!_人を裁くことの難しさ(ネタバレあり・感想・解説)

その他
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(1968年 アメリカ)
西部劇の皮を被った社会派作品で、正義とは、司法とはというテーマをかなり深く考察している。派手な見せ場がない、ヒロインが中途半端などの欠点もあるが、全体的には重厚で見ごたえがあった。

感想

イーストウッドのハリウッド凱旋作品

クリント・イーストウッドは1954年にユニバーサルとの出演契約を結んだが、ロクな映画に出演できなかった。

そんな彼を有名にしたのは1958年から始まったテレビドラマ『ローハイド』と、それをきっかけにオファーが舞い込んだマカロニ・ウエスタンである。

こうして得た国際的なネームバリューとタフガイのイメージを引っ提げてハリウッドに戻ってきたイーストウッドは、J・リー・トンプソン監督の『マッケンナの黄金』と本作『奴らを高く吊るせ!』のオファーを受けて、テーマを気に入った本作に主演した。

本作がイーストウッドにとって初のハリウッド主演作となり、以降、50年以上に渡ってハリウッドの頂点に君臨し続けることとなる。

…と書くとなかなか意義深い作品のように感じるのだが、実際のところ、イーストウッド関連作品の中では知名度も低く、作品内容も評価を受けられていない。

そんな冷遇状態の作品なので私も見たことがなかったのだが、毎度おなじみ午後のロードショーさんが放映してくださったおかげで、これを鑑賞することができた。しかもソフト未収録の吹き替え版で。

午後ローさんへの感謝は常々申し上げているが、今回もまたありがたい気持ちでいっぱいになった。午後ローさんの名声は五大陸に響き渡るでぇ。

で、内容なんだけど、これが驚くほど素晴らしかった。もっとも過小評価されているイーストウッド作品ではないかと思ったほど。

泥にまみれながらも前進するしかない法執行官の姿は後の『ダーティハリー』(1971年)に、正義の不確かさというテーマは『許されざる者』(1992年)に繋がっており、イーストウッドにとってもかなり意義深い作品だったのだろうと思う。

正義と悪事は紙一重

イーストウッド扮するカウボーイのジェドが見ず知らずの男たちに取り囲まれてリンチを受け、縛り首にされるという衝撃的な場面から映画は始まる。

どうやらジェドは牧場主を殺した男と間違えられたようだが、いくら身の潔白を説明しようとしても義憤にかられた男たちの耳には入らない。

その後、ジェドは地元保安官によって裁判所に突き出されるが、真犯人が捕まったことで身の潔白が証明されて釈放。さらには、かつて名保安官として鳴らしたジェドの元には、フェントン判事(パット・ヒングル)からの高額オファーも出される。

保安官の地位を得られれば合法的に仕返しができるということで、このオファーを引き受けるジェド。

この導入部からはとんでもない復讐劇を期待させられるが、そうは展開していかないのが本作の面白いところである。

合計9人いるリンチ犯を追うジェドだが、相手からの攻撃に対して仕方なく撃ち返して一人目は射殺。二人目は何とか捕らえてフェントン判事の裁きを受けさせるが、いとも簡単に出た死刑判決に違和感を持つ。

我々法執行機関も相当乱暴な形で判決を出しており、もはやリンチやってる連中と変わらんじゃないかと。

急激に報復感情が萎むジェドだが、彼にリンチをしてしまった側はそんな心境変化など知る由もなく、やられる前に奴を始末しなくちゃと言って暗殺に動き出す。そうして来られれば、ジェドもやり返さざるを得なくなる。

かくして両者の泥試合が始まるのだが、完全な悪人がいないということがこのドラマのキモである。

冒頭でジェドをリンチした奴らは地元の名士や真面目な職人らであり、仲間だった牧場主の死に怒り、正義を為さねばならないと立ち上がっただけ。

そしてここまで事態が荒れた後にもジェド当人を憎んでいるわけではなく、地域や家庭を守るためにはジェドに負けるわけにはいかないという、これまた理解可能な理由で戦っているのである。

彼らの何が間違っていたかというと、義憤に駆られて間違った相手に報復してしまったことなんだが、前述した通り法執行機関だって先走った判断を下しているので、どっちもどっちである。

これらすべての構図を理解したジェドは、最終的にフェントン判事を問い詰めに行くのだが、フェントンはフェントンで悩み苦しみながら判決を出しているということが判明する。

広大な行政区域に対して裁判所はたったの一つ。治安維持のためにはスピード判決が求められており、一つ一つの案件をゆっくり審議している時間などない。

フェントン自身も相当乱暴な形で判決を出しているという自覚は持っており、自分のミスを誰かが指摘してくれればどれだけ楽かと思っている。

しかしフェントンの前にも後ろにも人はいない。この地域の治安の要はフェントンただ一人であり、彼は誤った判決までを背負っているのである。

自分自身を必要悪だと認識しているという点で、後のダーティハリーにもつながる人物像であり、イーストウッドの考える正義観がフェントンに集約されているように思った。

本作の監督テッド・ポストが後に『ダーティハリー2』を監督することになるのは、必然だったのだろう。

下手なロマンスは不要だった

そんなわけで意義深いドラマだったんだが、主人公とヒロインのロマンスだけはいただけなかった。

雑貨店の女店主レイチェル(インガー・スティーヴンス)は、街に護送されてくる囚人をチェックし続けている。

その理由は、かつて彼女を強姦し、夫を殺した二人組の犯人を捜しているからなのだが、その過程でジェドと出会い、ロマンスに発展していく。

二人の馴れ初めから発展までのドラマがスムーズに流れていかない上に、レイチェルというキャラクター自体に魅力がないので、彼女が出るパートは本作のアキレス腱となっている。

純粋な犯罪被害者という重要なポジションを担っているのは理解できるのだが、キャラ造形や動かし方にもう一工夫、二工夫欲しいところだった。

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