【凡作】ハンニバル_史上最も豪勢なゲテモノ映画(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス

(2001年 アメリカ)
犯罪者プロファイリングからゲテモノ映画にジャンル変更した続編であり、当然のことながら前作よりも完成度は落ちるのですが、リドリー・スコットによる美しいショットの数々には見応えがあり、決してダメな映画でもありません。

あらすじ

前作から10年後。かつてハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)によって顔の皮を剥ぎ取られた大富豪のメイスン・ヴァージャー(ゲイリー・オールドマン)は国際指名手配犯となったレクターを追い続けていた。

高額の報奨金が奏功しレクターがフィレンツェに潜伏していることを知ったヴァージャーは、刺客を送り込むが失敗。その後司法省のクレンドラー(レイ・リオッタ)を買収し、FBIのクラリス・スターリング捜査官(ジュリアン・ムーア)を餌に使ってレクターをおびき出すことにする。

作品概要

原作は「ハンニバル・レクター」シリーズ第3弾

「ハンニバル・レクター」シリーズはトマス・ハリス原作のサスペンス小説シリーズであり、『レッド・ドラゴン』(1981年刊)を皮切りに、『羊たちの沈黙』(1988年刊)、『ハンニバル』(1999年刊)、『ハンニバル・ライジング』(2006年刊)とシリーズ化されていきました。

原作者のトマス・ハリスは非常に寡作の作家として有名なのですが、小説第2弾の映画化企画『羊たちの沈黙』(1991年)が歴史的高評価を獲得したことや、そこでクラリス捜査官を演じたジョディ・フォスターにハリス自身がすっかり魅了されたことから、その続編『ハンニバル』を執筆。

小説『ハンニバル』は賛否両論起こりながらもベストセラーとなり、必然的に映画化企画が立ち上がりました。

空前の映画化権1000万ドル

レクター博士のキャラクター映画化権を持っているのは大プロデューサー・ディノ・デ・ラウレンティスであり、『ハンニバル』の映画化企画はラウレンティスとユニバーサルが主導。その際にトマス・ハリスに支払われた映画化権は1,000万ドルという記録破りの金額でした。

ただしラウレンティスは『羊たちの沈黙』に係る権利は押さえておらず、同作に登場したクラリス・スターリング捜査官のキャラクター映画化権は製作したオライオン・ピクチャーズが持っており、その後1997年に破産状態だったオライオンを買収したMGMに引き継がれていました。

このためクラリスを再登場させるためにはMGMを巻き込む必要があり、ユニバーサルとMGMの合作となりました。劇場公開時にはMGMが北米市場、ユニバーサルがその他の世界市場での配給を行っています。

前作のメンバーが続投を拒否

前作『羊たちの沈黙』(1991年)はアカデミー主要5部門を独占した史上3度目の映画であり、当然ながらオスカー受賞メンバーの続投が望まれました。

しかしこの要請に応じたのは前作でアカデミー主演男優賞を受賞したアンソニー・ホプキンスのみであり、他のメンバーからの返事はつれないものでした。

まず監督のジョナサン・デミですが、断ってきた理由は不明。ただしプロデューサーのラウレンティスはデミの実力への期待値はあまり高くなかったようで、さほど粘ることもなくその辞退を受け入れて、すぐに次の監督候補を探し始めました。

マルタ島で戦争アクション『U-571』(2000年)を撮影中だったラウレンティスは、丁度同時期に同じくマルタ島で史劇『グラディエーター』(2000年)を撮影していたリドリー・スコットを食事に招待し、本作の監督を打診。スコットはラウレンティス製作の『デューン/砂の惑星』(1984年)にも僅かな期間ながら参加しており、二人は旧知の中でした。

ただし『ハンニバル』というタイトルを聞かされたスコットはカルタゴの名将ハンニバル・バルカの映画だと勘違いし、歴史ものはもう勘弁と思ったようですが。

その後、小説を読んだスコットは監督を承諾。『プロメテウス』(2012年)や『ブレードランナー2049』(2017年)などをみれば分かる通り、スコットは続編企画にアレルギーを持たない監督だった点も大きかったようです。

次に脚色ですが、前作でオスカーを受賞したテッド・タリーに断られました。これもラウレンティスにとっては大した問題ではなかったようで、代わりに高名な劇作家であり、映画脚本家としても『評決』(1982年)や『アンタッチャブル』(1987年)などの実績を持つデヴィッド・マメットを起用。完全にタリーよりも格上の人材でした。

その後、時間切れでプロジェクトを去って行ったマメットの後任者として『シンドラーのリスト』(1993年)や『ミッション:インポッシブル』(1996年)のスティーヴン・ザイリアンを起用。ザイリアンは良い仕事をするが、とにかくギャラが高かったとDVDの特典映像でラウレンティスが述べています。

そしてもっとも問題だったのが主演女優であり、前作のポスターのキービジュアルがジョディ・フォスターだったことや、原作者のトマス・ハリスがジョディ・フォスターに感銘を受けて小説版『ハンニバル』の執筆を行ったこと等、この企画からは切っても切れない関係にあるように見えました。

しかしフォスターは2000万ドルの基本給+収益の15%という破格の条件を受け入れなければ脚本も読まないと言ってきたので、ラウレンティスは彼女の降板を決定。代打のジュリアン・ムーアは300万ドルのギャラで引き受けてくれました。

ムーアはメジャーとインディーズの間を自由自在に行き来するタイプの女優であり、一般的な知名度とうるさい映画ファンからの評価の両方を持っていたことが決め手でした。

感想

史上もっとも豪勢なゲテモノ映画

本作以前に製作された『刑事グラハム/凍りついた欲望』(1986年)と『羊たちの沈黙』(1991年)は犯罪者プロファイリングを中心に据えた映画であり、そのジャンルは間違いなくサスペンスでした。

そこに来て本作ですが、従前は安楽椅子探偵のような活躍をしていたレクター博士が野に放たれ、彼に恨みを抱く富豪と、報奨金に目がくらんだ者達がレクターを追いかけ、犯罪者プロファイリングの話ではなくなっています。

かわって描かれるのは、いかに残酷に人間の体を損傷させるかという悪趣味描写とカニバリズム。レクター博士が人喰いをしていたという設定こそ小説第一弾『レッド・ドラゴン』から存在するものですが、設定としてのみ存在するということと、物語の構成要素として機能することには天と地ほどの差があります。

本作は、猟奇的な描写を見せ場にしたゲテモノ映画となったのです。

ただしプロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスは金にモノを言わせて一流スタッフを揃え、悪趣味でしかない物語を徹底的に美しく洗練した描写と語り口で描きます。何せ、呼ばれたのはデヴィッド・マメットにスティーヴン・ザイリアン、そしてリドリー・スコットですからね。

アカデミー賞でも狙いにいけるメンバーを集めてゲテモノ映画を撮る。何とも贅沢な映画ではありませんか。

炸裂するリドリー・スコット節

リドリー・スコットは、その期待に応えてすべてのショットを美しく収めています。

フィレンツェを舞台にしたロケ撮影はどの場面を切り取っても絵画のような美しさだし、重厚なセットを不気味なライティングで照らして、往年の怪奇映画のような雰囲気を醸し出しています。

それは残酷描写においても同じくで、血糊や飛び出す内蔵などにも下品さがなく、どこかアートっぽくすらあります。

その真骨頂はクライマックスの晩餐会であり、並みの監督ならばどう描こうか思い悩むであろうところ、美しい撮影で観客に対して過度のショックを与えないという技を持っているスコットは、はっきりと描写するという道を迷わず選択しています。

あの場面を一般客がギリギリ見ていられるレベルに落として描写してみせたのはスコットならではの技だったと言えます。これぞ巨匠の仕事です。

レクター博士の魅力は半減

3度目の映画化で、レクター博士(アンソニー・ホプキンス)はついに主人公に昇格。

原作者も監督もレクター博士を高く評価し、もはや猟奇殺人犯であることを忘れているかのようなのですが、製作者たちのそうした姿勢はレクター博士の魅力を半減させることに繋がっています。

今回のレクターはクラリス(ジュリアン・ムーア)を守るという明確な行動原理を持ち、下品な人間、不埒な人間を成敗するというしっかりとした判断基準を観客に対して提示してきます。ただしそのことが神秘性や超越性を奪うことに繋がっています。

また、本作のレクターは何でも説明してくれるのですが、彼は「もうあと一言欲しい」というところで情報提供をやめるからこそ、何でもお見通しの大天才に見えていたのです。何でもかんでも口頭で説明してくれるようになると、かえって彼の限界が見えてしまいます。

その他、フィレンツェではちゃんと高級スーツを着ていたレクターが、ワシントンDCだと一般人に紛れるため普通の私服になっていたことも残念だったし、いったんヴァージャーの手に落ち、クラリスの助けのおかげで切り抜けるという展開にもガッカリでした。

我々が望むレクター像とは、何を考えているのか凡人にはサッパリ理解不能だが、判断ミスを決して犯すことがない異常天才なのです。本作では標準的なキャラクター像に近づきすぎて失敗したようです。

ジュリアン・ムーアのクラリスは可もなく不可もなく

レクターの意中の人であるクラリス・スターリング捜査官は前作でアカデミー主演女優賞を受賞したジョディ・フォスターからジュリアン・ムーアへと変更していますが、適役だったジョディより明らかに見劣りするでもなく、かといって独自のクラリス像を構築するわけでもなく、可もなく不可もなくといったところです。

クラリスは前作での主人公ポジションから本作では脇役ポジションに落ちており、狂言回し的な役回りだったことを考えると、ジュリアン・ムーアが実現した温度感は最適だったと言えなくもありませんが、少なくとも前作でホプキンスとフォスターが起こしていた化学反応は本作にはありませんでした。

如何せん話がつまらない

500ページもの長大な原作を2時間強の標準的な映画の尺にまで圧縮し、無理やり感や駆け足感もない仕上がりとしたデヴィッド・マメットとスティーヴン・ザイリアンの脚色は優れています。さすがは一流と呼ばれる脚本家です。

ただし、彼らの力をもってしてもなお本作にはこれといった面白さがなく、リドリー・スコットの力技が炸裂するいくつかの強烈な場面を除くと、なんだか眠たい内容となっています。

本作で描かれるのはレクターとクラリスのラブストーリーなのですが、その根本的な方向性自体が間違っていたのではないかと思います。

確かにレクターは『羊たちの沈黙』(1991年)でもクラリスに対して特別な感情を示していたのですが、あれはお気に入りの人形を愛でるような感覚だったから良かったのです。

相手を対等な関係と見做す恋愛感情をレクターがはっきりと示し始めた時点で漂うこれじゃない感、クラリスに対して自分の所在地のヒントを与えて、クールに振る舞いながらも本心では「早く来て!」と思っているというツンデレ加減はレクターには不要でした。

アンソニー・ホプキンスがジュリアン・ムーアにマジ恋愛しているという一歩引いた構図にもちょっと引きますよね。

そして、メイスン・ヴァージャー(ゲイリー・オールドマン)やクレンドラー(レイ・リオッタ)は彼らの恋路に立ちはだかる障害物、『タイタニック』(1997年)のキャルみたいな立ち位置にあるのですが、メインのラブストーリーが不発なのでは、彼らの存在も生きてきません。

「主人公二人が早く出会って欲しい」という感覚を観客が抱かないラブストーリーにおいては、すべての構成要素が機能不全を起こしています。 クラリスの存在をより軽くして、レクターvsヴァージャーという変態格闘戦を膨らませた方がまだ面白くなったのではないでしょうか。

≪ハンニバル・レクターシリーズ≫
刑事グラハム/凍りついた欲望【凡作】レクター博士は脇役
羊たちの沈黙【良作】クラリスとバッファロー・ビルは似た者同士
ハンニバル【凡作】史上最も豪勢なゲテモノ映画
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