【凡作】SF/ボディスナッチャー_意外と逃げようがある(ネタバレあり・感想・解説)

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(1978年 アメリカ)
不穏な空気が全体を包む前半部分は面白かったのですが、ボディスナッチの仕組みが明らかにされると、それが意外とユルユルで短期的には回避可能と思われる仕組みだったので、緊張感は減衰しました。もっと逃げ場のない設定にしてくれると良かったのですが。

作品解説

『盗まれた街』二度目の映画化

本作の原作はジャック・フィニィ著の『盗まれた街』(1955年)。SF小説の古典として名高い作品だけあって過去に4度も映画化されており、本作はその2番目の映画化となります。

最初に映画化したのはアカデミー名誉賞を二度も受賞した経験を持つ大物プロデューサーのウォルター・ウェンジャーで、監督には後に『ダーティハリー』(1971年)などを手掛けるドン・シーゲルを起用。

ある日突然、知り合いが別人に変わるというストーリーは共産主義に傾倒した人々の暗喩のようであり、マッカーシズム吹き荒れる当時のアメリカ社会の世相を大きく反映した作品でした。なお、シーゲルはバッドエンドを望んだのですが、ウェンジャーからの指示でハッピーエンドで締め括られています。

そして70年代のSF映画ブームの最中に二度目の映画化企画として本作が製作されましたが、監督のフィリップ・カウフマンと脚本家のB・D・リクターは意識して政治色を排除し、純然たるSEスリラーとして全体を構築しました。

三度目の映画化『ボディ・スナッチャーズ』(1993年)は軍事基地を舞台に、軍関係者の家族である少女を主人公としています。監督が『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(1992年)のアベル・フェラーラ、『ZOMBIO/死霊のしたたり』(1985年)のスチュアート・ゴードンや『空の大怪獣Q』(1982年)のラリー・コーエンが脚本に参加というぶっ飛んだメンツによる作品であり、個人的には4度の実写化企画の中で最高の出来だと思っています。。

そして直近の映画化がジョエル・シルバー製作の『インベージョン』(2007年)で、ボディスナッチという設定を捨てて感染として描き、「抗体保持者」がいるなど現実的な感染パニックとして作られています。

興行的・批評的に成功した

本作は1978年12月22日に全米公開され、2494万ドルの興行成績を挙げました。350万ドルという比較的低予算だった製作費を考えると、採算性は高かったと思われます。

また批評面でも高評価を獲得し、監督のフィリップ・カウフマンがサターン監督賞を受賞しました。本作の前年には『スター・ウォーズ』(1977年)のジョージ・ルーカスと『未知との遭遇』(1977年)のスティーヴン・スピルバーグが、翌年には『エイリアン』(1979年)のリドリー・スコットが受賞したというSF界では相応の格式のある賞であり、SFブームだった70年代後半においても本作の評価はとりわけ高かったということが伺えます。

感想

原作からの改変部分が興味深い

侵略者によって住民が徐々に入れ替わっていくという作品の骨子は原作同様なのですが、いくつか改変が加えられています。

舞台は田舎町から都会に変更。他人の変化に鈍感な都会でこそ、人知れず侵略が進むのではないかという解釈からでした。

実は本作も原作通りに田舎町を舞台にする予定で進んでいたのですが、脚本家のB・D・リクターが都会の方がテーマと一致しており、視覚的にも豊かになるとの判断をし、撮影開始1か月前に舞台をサンフランシスコに変更。

ユナイテッド・アーティスツは「ちゃんと製作できるのなら変更しても構わない」と言って急遽の変更を許可したのですが、リクターは撮影と並行して脚本を書き直すという現場となりました。

そして原作の主人公は精神科医であり、知り合いが別人になっているという相談から侵略の事実に気付くという流れだったのですが、本作では公衆衛生官に変更。

人間の変化ではなく「見慣れない植物が生えている」ということから異変を察知する流れとなっており、都会人は他人の変化に鈍感であるという先ほどの設定と整合した見事な変更だったと思います。

おっさんの恋路が切ない

主人公は公衆衛生官のマシュー(ドナルド・サザーランド)。その職業が示す通り細かくて文句の多い性格であり、その性格が災いしてか良い歳をしても所帯を持っていません。

マシューは職場の同僚にして友人のエリザベス(ブルック・アダムス)に対して好意を抱いているようなのですが、エリザベスはジョフリーという恋人と同棲中です。

で、エリザベスは普通の友人とは思えないほど込み入った相談をマシューにしてきて、マシューも「君の性格を考えると~」と、これまた普通の友人とは思えないほど込み入った回答をするので、過去に二人の間で何かあったんだろうとは思うのですが、70年代の映画らしくその辺りの明確な説明はありません。

そしてマシューはエリザベスの相談に乗りつつも、ここでジョフリー下げが出来ればワンチャンあるかもという下心もあって、「やっぱりジョフリーって奴はダメだと思ってたよ」「良ければうちに泊まりにおいでよ」なんてことを言ってエリザベスとの距離を縮めようとします。

しかしエリザベスの気持ちは依然としてジョフリーにあるようで、相談こそしてきてもなかなかこちらにはなびいてくれません。

マシューは基本的に他人への関心は薄いタイプなのでしょうが、エリザベスに取り入りたいという邪な思いからボディスナッチの事実に気付くというドラマの建付けはよく出来ていたし、良い歳をしたおじさん(サザーランドは撮影時43歳)が美人の同僚を何とかしようとして足掻くが、なかなか意図したとおりにはいかないという光景には切なくなりました。

職場にもたまにいますね。若い子の話題に合わせて話し相手にはなるんだけど、会話の取っ掛かりから「じゃあ今度一緒に行ってみる?」なんて言って誘おうとすると華麗にかわされるおじさんが。それを見ている感じでした。

モテようとするおじさんの姿って切ないんですよ。

いよいよ世界がヤバイとなってきてからは意中のエリザベスとの逃避行を繰り広げるという、ある意味で男の夢のような展開を迎えるのですが、結局は悲劇的な終わり方をするので何とも報われません。

マシューの物語には思いっきり感情移入しながら見てしまいました。中年の星マシュー頑張れと。

ボディスナッチの仕組みがユルユル

そんな感じで前半部分は面白い人間ドラマと、徐々に世界が侵食されていくというスリラーで見応えがあったのですが、侵略の事実が決定的となりボディスナッチの仕組みが明確にされると、恐怖は減衰します。

寝落ちしてすぐにボディスナッチされるわけではなく、眠ると徐々にコピーが進んでいき、完了したところでオリジナルが消されてコピーだけが残るという仕組みなので、何人かで組んで交代で眠り、オリジナルが消される直前のタイミングで起こすということを繰り返せばれば、当面は生存可能ではないかと思うのです。

『インベージョン』(2007年)などは、その辺りの設定不備を解消するためにボディスナッチという根本的な設定を捨てて脳の感染症というアプローチに切り替えたのだろうと思います。

そんな感じで後半は今一つだったのですが、それでも主人公達の眠気や疲労感を表現して見せたフィリップ・カウフマンの演出力のおかげで最後まで退屈することはありませんでした。

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