(1975年 アメリカ)
製作の内情を知れば知るほどグダグダの現場だったのですが、あらゆるネガティブな要素をはね返して作品の強みに変えている辺りが、スピルバーグの天才性なのだろうと思います。一つの作品を越え、職業人としてこれくらいになれればいいなという指標のような映画だし、これを20代でやりきったスピルバーグって本当に凄い人だなと感心します。

あらすじ
アメリカ東海岸の観光地アミティで、サメの襲撃と思われる若い女性の死亡事故が発生する。警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)は遊泳禁止措置を取ろうとするが、観光シーズンを控えたこの時期に騒ぎを起こされては困るという市長の意見から、不本意ながら具体的な対応策を取らないことにする。
その結果、少年がサメに襲われるという第二の死亡事故が発生する。ブロディは海洋学者フーパー(リチャード・ドレイファス)を呼び寄せて、対策に本腰を入れる。
スタッフ・キャスト
スピルバーグの長編映画2作目
泣く子も黙る映画史上最高のヒットメーカー。ただし本作製作時点で若干27歳であり、『続・激突!/カージャック』(1974年)に続く長編映画2作目でした。
あまりに若くして本作を大成功させたことから、その手柄をベテラン編集者のヴァーナ・フィールズ(『ペーパームーン』『アメリカン・グラフィティ』『続・激突!』)のものと見る向きもあったようなのですが、フィールズを起用しなかった『未知との遭遇』(1977年)も大ヒットさせたことから、監督としての評価を不動のものとしました。
スピルバーグは本作でアカデミー賞受賞を確信していたので、『カッコーの巣の上で』(1975年)に作品賞も監督賞もかっさらわれた時には死ぬほど悔しがったそうです。
なお、当初の監督は『さらば愛しき女よ』(1975年)のディック・リチャーズでしたが、契約書への調印直前の顔合わせでサメとクジラの区別が付いていない発言をしたことから原作者ピーター・ベンチリーの反感を買い、解任されました。言葉一つで信頼が崩れるという、社会人としての教訓が詰まった一幕ですね。
ブロディ署長役は『フレンチ・コネクション』(1971年)のロイ・シャイダー
1932年ニュージャージー州出身。1961年に舞台俳優としてデビューし、1963年に映画デビュー。
ウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』(1971年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、その『フレンチ・コネクション』の大ファンであるスピルバーグによって『ジョーズ』(1975年)の主演にキャスティングされました。ただしユニバーサルはロイ・シャイダーの出演に納得していなかったようですが。
チャールトン・ヘストンがブロディ役に関心を示していたのですが、スピルバーグはヘストンが出ればサメに勝ち目がないことは明確だという理由で却下しました。ヘストンは本件でスピルバーグに憤慨しており、後に『1941』(1979年)への出演依頼を断りました。
クイント役は『スティング』(1973年)のロバート・ショー
1927年イギリス出身。王立演劇学校に奨学生として入学したエリ-トであり、『暁の出撃』(1955年)の脇役で本格的な映画デビュー。
『007/ロシアより愛をこめて』(1963年)のヴィラン、『バルジ大作戦』(1965年)の実質的な主演(クレジット上のトップはヘンリー・フォンダ)でスターとしての地位を確立し、『わが命つきるとも』(1966年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされました。
スピルバーグはクイント役にリー・マーヴィンかスターリング・ヘイドンを希望していましたが、マーヴィンには断られ、ヘイドンは従前から抱えていた税金滞納問題により出演料が差し押さえに遭う見通しだったことから出演を断念。
またロバート・デュヴァルがこの役を演じたがったのですが、役柄と比較して実年齢が若すぎるとの理由で却下されました。本作の翌年に撮影された『地獄の黙示録』(1979年)でのキルゴア大佐役での怪演を考えると、デュヴァルという配役はアリだったような気もしますが。
撮影開始直前になっても配役が決まらなかったので、プロデューサーのリチャード・ザナックが『スティング』(1973年)で使ったロバート・ショーをスピルバーグに紹介。スピルバーグはその大袈裟な演技に難色を示したのですが、伝説の漁師役にはこれくらいで丁度いいかと考えを改めての起用となりました。
フーパー役は『アメリカン・グラフィティ』(1973年)のリチャード・ドレイファス
1947年ニューヨーク出身。1960年代半ばからテレビに出演するようになり、ジョージ・ルーカス監督の『アメリカン・グラフィティ』(1973年)で脚光を浴びて本作への出演に繋がりました。
本作製作中にスピルバーグから次回作『未知との遭遇』(1977年)のビジョンを聞いたドレイファスは主演に立候補し、当初想定よりも主人公ロイの年齢を下げるという修正を経て、スピルバーグ監督作品に連続出演しました。
後の『グッバイガール』(1977年)にてアカデミー主演男優賞受賞。
作品概要
原作者を激怒させたスピルバーグ
本作の原作はピーター・ベンチリーで、ニューズウィークの編集やジョンソン大統領のスピーチライターなどを務めた人物です。
ベンチリーは1916年のニュージャージーサメ襲撃事件と1964年にロングアイランドで巨大なホオジロザメが捕らえられた事件をベースとして原作『ジョーズ』(1974年)を執筆しました。同作は44週連続ベストセラーという大ヒットとなり、出版前から映画化権を取得していたユニバーサルは映画の製作を決定。脚本の初期稿もベンチリー自身が執筆しました。
しかし監督に就任したスピルバーグは初期稿をまったく面白いとは思わず、まず自らの手で脚本を書き直し、さらに友人の脚本家カール・ゴッドリーブに脚色させました。
撮影に途中参加したリチャード・ドレイファスに対して「ほとんど別物だから原作は読んで来なくてもいい」と説明したほどの原形を留めない脚色にベンチリーは激怒し、彼はスピルバーグをこき下ろしました。
脚本なし、俳優なし、サメなしで撮影開始
監督と原作者の足並みが不揃いだったこともあって、脚本が未完成のまま撮影が開始されました。加えてクイント役もフーパー役もその時点では未定。
また撮影に当たってプロデューサー達は本物の鮫を使うことを考えていたのですが、スピルバーグの判断でロボットを使用することになっていました。しかしこのロボットが木偶の房という別問題も発生。
ロクにテストをせずに本番の撮影に入ったために初日で海に沈み、その後も不調の連続で、スピルバーグはサメを出さずにサメ映画を撮ることを余儀なくされました。
酷い時には翌日の撮影分を前日にホテルで考えるような状況であり、まともな撮影現場ではありませんでした。
荒れる現場
クイント役のロバート・ショーはアル中で、酒が抜けきっていない状態で撮影現場に姿を現わすわ、共演者リチャード・ドレイファスをいびり倒すわで、もう大変だったようです。
ロバート・ショーによる大袈裟な演技の真骨頂とされるインディアナポリス号の場面も、最初はベロベロに酔った状態で撮影現場に現れたので使い物になるテイクを撮れませんでした。反省したショー自身からスピルバーグに撮り直しの要請があり、翌日に再撮影が行われました。
また、後述する通り撮影日程は押しまくっており、家に帰れないスタッフ達からは不満の声も上がり始めました。
ユニバーサルは海を舞台にした映画を長年撮っていなかったために、新人のスピルバーグにそれがどれだけ大変なことかをアドバイスできる人間が社内に居なかったことが、現場がこれだけ荒れた原因となりました。
そして本作から20年後、ユニバーサルは『ウォーターワールド』(1995年)で再び海上撮影の恐ろしさを思い知ることとなります。人とは学ばない生き物です。
スピルバーグ、破滅を覚悟する
そんなこんながあって当初予定されていた撮影日数52日間に対して155日間まで延び、製作費も予定の3倍かかりました。ロケ地のマーサズ・ヴィニヤード島の人々は最初ロケ隊を歓迎していたのですが、彼らがいつまで経っても引き上げる様子がないので徐々にうんざりし始めたと言います。
かつてこれほど納期の遅れた監督はいなかったことから、二度とハリウッドで仕事ができなくなることを覚悟していたとスピルバーグは後のインタビューで述べています。
ただし、プロデューサーのダリル・ザナックとデヴィッド・ブラウンはスピルバーグと一蓮托生の構えでおり、スタジオからの撮影中止やロケ地変更の提案を断り、スピルバーグにそのまま撮影を続行させました。スタジオの口車に乗ってロケ地変更などをしたら最後、企画が再起動しないことを彼らは見抜いていたのです。
またスピルバーグには最強の保護者がいました。当時のユニバーサル社長シド・シャインバーグであり、スピルバーグの才能を見出して監督契約を締結した張本人にして、マーティン・ブロディの妻エレン役を演じるロレイン・ゲイリーの夫です。
シャインバーグは現場を視察に訪れ、問題点を解決し、ロスの本社に戻った後には他の役員達を説得して製作環境を整えました。
夏のブロックバスターを作った映画
公開当時、観客がバケーションに出てしまうサマーシーズンは映画界にとって閑散期であり、自信作はクリスマスシーズンに公開することが通例でした。本作も1974年冬に公開予定だったのですが、完成が伸びたことから1975年6月の公開となりました。
まぁここまではグダグダだったのですが、そこからの成功は驚異的で、公開後78日目で興行成績の記録を更新。史上初めて全米興行成績が1億ドルの大台を突破した作品になり、その後も勢いは止まず最終的な全米興行成績は2億6千万ドル、アメリカ国内で6700万人が鑑賞するという記録破りのヒットとなりました。
本作からサマーシーズンにブロックバスター(区画破壊を意味する軍事用語の転用で、製作費と広告宣伝費を大量投下して大ヒットさせる超大作のこと)を公開するという映画界の新常識が始まり、それは50年近く経った現在まで続いています。
感想
見えない恐怖
前述した通り、機械のサメが動かないという問題から、クランクイン後にスピルバーグは根本的な方針転換を迫られました。なんと機械のサメは淡水用であり、海水用ではなかったというとんでもないミスがあったようで、スケジュール通りに撮影を進められる状態ではなかったのです。
そこでスピルバーグはヒッチコック方式に切り替えました。見えないサスペンスで観客の恐怖を煽る、観客の想像力にはたらきかけることで実際には見ていないものを見た気にさせる。
偶然にもスピルバーグにはその素質が備わっており、現場の不備から意図せず発生した制約条件が、スピルバーグに眠っていた能力を開花させることに繋がりました。人生、何が起こるか分からないものです。
影や背びれのみで表現されたサメはかなり恐ろしく、特に子供のイタズラ騒動で胸を撫で下ろした直後に入江へ侵入するサメの影は不気味でしたね。あれはサメそのものを映すよりもはるかに効果的でした。
古典的な怪奇映画の演出手法ではあるのですが、それを真っ昼間にやったというところが新しく、伝統を換骨奪胎した素晴らしい表現となっています。
そうしてチョイ見せを続けた分、サメの姿をバンバン見せてくるクライマックスの見せ場としての別格感にも繋がっており、映画全体にもメリハリができました。
この辺りは、発注した着ぐるみがショボすぎて撮影に入ってからデザインのやり直しを始めたので、ロクにクリーチャーを映すことができなかった『プレデター』(1987年)の顛末とよく似ています。凡庸な監督だと危機に陥る局面も、才能ある監督だと作品の品質向上に繋げるのだから大したものです。
リアリティと誇張の絶妙なバランス
本作の撮影が延びた原因はスピルバーグの完璧主義にもあります。スピルバーグはセットのプールを海に見立てた通常の撮影方法を拒否し、マーサズ・ヴィニヤード島でのロケを敢行しました。そして少しでもおかしなものが写り込むとリテイクをしたという程、リアリティにこだわっていました。
その成果は驚くほどの違和感のなさにあります。製作後50年近くも経ってくるといかなる名作でもちょっとおかしな部分や、チャチに感じられる部分が出てくるのですが、本作にそうしたものは皆無。その完成度の高さは驚異的なレベルに達しています。
ただしキューブリックのように科学的に完全に正しい描写を目指しているというわけでもなく、映画的な誇張がちゃんと入っているのが面白いところです。
クライマックス、サメはライオンのような咆哮をあげ、その体は木っ端みじんに吹き飛びます。原作者のピーター・ベンチリーは論理的にありえないこの展開を批判したのですが、スピルバーグはこれだけ引きつけておいた後なら、ラスト5分で何が起こっても観客は受け入れるだろうと踏んで、リアリティよりも誇張を選択しました。
このバランス感覚こそがスピルバーグを唯一無二のヒットメーカー足らしめている要因なんでしょうね。完全にリアルにやっても面白くはならないから、観客が感じるリアリティを毀損しない範囲内でウソを入れるという、その線引きが実にうまくいっているのです。
例えばリドリー・スコットやマイケル・ベイは映像感覚ではスピルバーグを凌いでいると思うのですが、リドリー・スコットは写実的すぎて盛り上がりを逃す傾向があるし、マイケル・ベイは誇張しすぎでバカっぽくなっているし、観客に舐められずに面白くするということがなかなか難しいのです。
その点、スピルバーグはここぞという場面でウソをつくことがうまいので、芸術性と娯楽性のバランスが見事にとれています。
音楽の力
音楽を担当したのはジョン・ウィリアムズ。アカデミー賞受賞5回、ノミネート実に48回という映画音楽界の巨人ですが、本作製作時点では『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)で脚光を浴びたばかりの気鋭の作曲家でした。
本作のシンプルな旋律を最初に聞かされた時、スピルバーグは「マジか…」と思ったらしいのですが、シンプルさゆえにアレンジ次第で様々な表情を出すことができるこの旋律は、劇中で素晴らしい効果を発揮しています。
特にサメを映すことができないという制約条件を克服する際に、この音楽は最大限の効果をあげました。「この音楽が鳴り始めるとサメがいますよ」という狼煙のような音楽なので、何度かこれを繰り返すことで、徐々に観客は実際には見ていないサメを見たような気になってくるのです。
スピルバーグは、映画の成功の半分はこの音楽の手柄であると評価しています。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」(1913年)にそっくりじゃないかってことは、この際言わないってことで。
またオルカ号の出航場面や、サメを追跡する場面では明るく勇壮な音楽が流れており、これはこれで良くできていて聞かせ所となっています。
くたびれた中年男の成長譚
今度はドラマに目を向けましょう。
主人公はアミティ警察署長のマーティン・ブロディ(ロイ・シャイダー)。元NYPDの警察官だったものの都会に疲れ、ロクに事件の起こらない田舎町に転居してきたという人生の負け組的な背景を持っています。
そんなブロディが人食い鮫事件に遭遇し、「今度は逃げられない」として大きな脅威に立ち向かおうとするドラマが作品の主軸となっています。本作は派手な見せ場を持つ娯楽大作である割には、くたびれた中年男の成長譚という地味な側面もあって、自分自身も中年男になった現在の目で見ると、これが物凄く良い味付けに感じられました。
若い女性が犠牲になった最初の事件を、市長をはじめとした街のえらいさん達は「これから観光シーズンだというのに人食い鮫騒動はマズイだろ」と言って有耶無耶にしようとします。ブロディは違和感を覚えながらも、経済事情を心配する市長たちの言い分も分からんでもないということで、自らの職責を果たすことを半ば放棄して彼らの判断に従ってしまいます。
その結果、男の子が犠牲になるという第二の事件が発生し、犠牲者の遺族から厳しい言葉を浴びせられます。ここでブロディは腹を括ります。誰かに言われたとか、命令されたとかではなく、警察署長の自分が最終決裁者となって正しいことをやりきるのだと。
そして学問に人生のすべてを捧げている海洋学者フーパー(リチャード・ドレイファス)と、頑固な職人気質の漁師クイント(ロバート・ショウ)という、良くも悪くも我が道を行く奇人二人との関わり合いの中で、優柔不断な性格で今までブレブレだった人生に一本筋を通すということを覚えるのでした。
サメが絡んだ大きなイベントとブロディ個人の物語が実にうまく絡んでおり、本作の脚本は絶好調です。
フーパー=スピルバーグ
もう一つここで面白いのが、若い学者フーパーが中年の警察署長ブロディのメンター的な存在になるという捻じれた構図であり(普通は逆ですよね)、当時27歳のスピルバーグならではの発想だと思いました。年下が先生になる場合もあるだろという。
一見すると非力なリチャード・ドレイファスをキャスティングした点から考えても、スピルバーグはフーパーに自分を投影していたことは間違いありません。
ほとんどのスタッフ・キャストが自分よりも年上という環境下で、周囲に言うことを聞かせねばならない撮影中のスピルバーグ自身の姿が反映されたキャラクターなんだろうと思います。
そして、年齢に関係なく耳を傾けてくれるブロディは良い大人で、話している内容ではなく年数とか経験のみで相手を判断してくるクイントは悪い大人というスピルバーグの偏った視点も入っていて、そのことが結果的に主人公ブロディの好感度を上げるということにも繋がっています。
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