(1996年 アメリカ)
シュワが「コメディもいける!」と勘違いしていた時期に主演した凡作。ウケを取りにいっているシュワの姿が痛々しいが、かといって見ていられないほど酷くもない。まさに凡作。
感想
むか~しゴールデン洋画劇場で見たけど、シュワを神として崇める私をもってしても擁護が難しい失敗作で、その後は一度たりとも見返してこなかったシュワの黒歴史。
いつもいつもお世話になっている午後のロードショーが、なつかしのゴールデン洋画劇場版の吹替でオンエアーしてくださったので、20数年ぶりの鑑賞となった。午後ロー様にはいつか菓子折り持ってお礼に行かなくっちゃ。
80年代、シュワは武骨な暴力装置として人気を博したが(『コナン・ザ・グレート』(1982年)、『ターミネーター』(1984年)、『レッドブル』(1988年)etc…)、その路線に行き詰まりでも感じていたのか、次第に人間味を求めるようになっていた。
ただしファンが望むのはムスっとした顔でハードな暴力をふるう大男であって、シュワに人間味を求める声など皆無。
どうもシュワはそんな世間からの期待を読み違えていたキライがあるのだが、アイヴァン・ライトマンやジェームズ・キャメロンといった彼の使い方を心得ている監督たちは、それでもうまくやってのけた。
まっすぐで、融通が利かなくて、破壊的でというアクション映画そのままのシュワを登場させたうえで、ダニー・デヴィートやジェイミー・リー・カーティスといった芸達者な共演者にリアクションを取らせてコメディに変換するというアプローチをとっていたのだ。
これならシュワ自身はいつも通りなので彼の演技に破綻がなかったし、旧来のファンにとっても許容できる内容だった。
そうした作品群が一定程度の成功を収める中でシュワはコメディに対する自信を持ち始めたのか、今度は自分で笑いを取ろうとし始めた。
そんな中で生み出された失敗作が本作である。
90年代半ば、クリス・コロンバス監督とシュワは『猿の惑星』(1968年)のリブート企画に取り組んでいたが、いつまで経ってもフォックスが脚本にゴーサインを出さないのでコロンバスが離脱し、本作『ジングル・オール・ザ・ウェイ』の企画に取り掛かり始めた。
一方シュワは依然として『猿の惑星』への出演を希望し続けたものの、ローランド・エメリッヒ、ジェームズ・キャメロン、ピーター・ジャクソンと短期間で何人もの監督の名前が挙がっては消えていく企画に愛想尽かしたのか、それからほどなくして降板した。
そんな折にフォックスから提案されたのが本作である。
クリスマスの一日を描いた、なんてことないファミリー向けコメディであるにも関わらず2000万ドルものギャラが支払われたので、シュワとしては笑いが止まらなかったことだろう。
クリス・コロンバスは製作に引っ込み、『フリントストーン/モダン石器時代』(1994年)のブライアン・レヴァントが監督に就任した。
大物監督とのコラボの多いシュワにとっては例外的な小粒監督だったが、シュワの出演承諾が1996年2月のことで、その年の11月には公開したいという突貫スケジュールだったことを考えると、贅沢も言っていられなかったのだろう。
今回シュワが演じるのは仕事人間のハワード。
悪い人ではないのだが、仕事に前のめり過ぎる余り家族との予定はすっぽかしがち。
息子の大事なカラテ発表会にも間に合わなかったハワードは、クリスマスこそ家族の期待に応えることを約束するものの、息子が欲しがっているターボマン人形は売り切れ続出の大人気商品だった。
現代ならばプレ値を受け入れて転売ヤーから買えば何とかなるところだが、1996年当時は在庫を持っている実店舗を足を使って探す以外に道はない。
クリスマス当日のお宝ゲットを狙って家を出るハワードの前には、同じ人形を探している怪しげな郵便配達員、困ってるこちらの足元を見てくる量販店員、パチもんを製造販売しているサンタ軍団、杓子定規な白バイ警官、愛する妻とのワンチャンを狙っている隣のシングルファーザーらが立ち塞がる。果たしてハワードは夕暮れまでにターボマン人形を手に入れることができるのか・・・
こうしてあらすじを書き出してみると、アドベンチャー映画の王道シナリオが当てはめられているということに気付く。
シンプルな冒険の動機、タイムリミットの設定、困難な旅路、次々と主人公に襲い掛かってくる脅威、間に挟まれる理不尽なイベントと、短い上映時間ながらアドベンチャー映画としてきちんと一巡しているのだ。
人気おもちゃの購入という小さなイベントを、王道アドベンチャーの骨格に当てはめて大袈裟に作ったこと自体がひと笑いになっており、シナリオレベルでは意外と良く計算されている。
クリス・コロンバスは『グーニーズ』(1984年)の脚本で注目を浴び、後にハリー・ポッターシリーズやパーシー・ジャクソンシリーズを手掛けるアドベンチャー映画の巨匠である。
うまい人が考えた一癖ある企画ということで、製作前には実に有望な作品であると評価されていたのだろう。フォックスはこの企画に6000万ドルもの予算を付けたが、変に肥大化させてしまったことでかえって笑いが薄まっている。
ハワードは次々とバカバカしい困難に巻き込まれるのだが、一つ一つの見せ場がなまじちゃんと作られているせいで、コントっぽい粗さがない。
また先述した通り、シュワが喜劇役者として振る舞っていることも笑いを削ぐ要因となっている。
スタンダップコメディアンのシンバッド、『サタデーナイトライブ』のレギュラー経験もあるフィル・ハートマン、『レッドブル』(1988年)でシュワとの相性は確認済のジェームズ・ベルーシらが配置されているのだから、笑いは彼らに任せておけばいいのに、シュワ自らがやりにいっているのだ。
もしもクリス・コロンバスが監督していれば、なんだかんだ言いくるめて必要以上にシュワを出しゃばらせなかったはずだが、経験の少ないブライアン・レヴァントでは、当時世界一の大スターだったシュワを抑えることができなかったのだろう。
「どうです?面白いでしょ」と言わんばかりに変顔をするシュワ、ウケる気満々で”Put the cookie down now!!”(クッキーを今すぐ下ろせ‼︎)と絶叫するシュワ、トナカイとのドタバタを繰り広げるシュワetc…これらすべてが私の表情を凍り付かせた。
どんどん肥大化していく見せ場も、シュワが演じるといつもの彼に戻っているだけなので、エスカレートしていく過程の高揚感がない。もっと小市民的な俳優が主演すべき映画だったのだろう。