(2004年 アメリカ)
ジェリー・ブラッカイマーが手掛けた珍しいガチ時代劇。割といい加減に書かれた古典を、現代の歴史学で再構築するという意欲的な企画だったが、情報の整理に失敗しておりアカデミックな部分の面白さが伝わってこないのが難点だった。

ブームにいっちょ噛みして製作された時代劇
かつて、史劇はミュージカル並みに死んだジャンルだった。
そんな折に突如制作されたリドリー・スコット監督の『グラディエーター』(2000年)は、全米で年間第3位を記録するほどの猛烈な興行成績とアカデミー作品賞受賞という大成果を上げ、ジャンルへの注目は突如として高まった。
トム・クルーズ主演の『ラスト・サムライ』(2003年)、ラッセル・クロウ主演の『マスター・アンド・コマンダー』(2003年)、ブラッド・ピット主演の『トロイ』(2004年)と来た日には、当代きってのヒットメーカー ジェリー・ブラッカイマーだって黙ってはいられない。
『グラディエーター』(2000年)の脚本家デヴィッド・フランゾーニと作曲家ハンス・ジマーを召喚し、イギリスに伝わる古典「アーサー王伝説」を映画化した。
監督は『トレーニング・デイ』(2001年)の『Michael/マイケル』(2026年)のアントワン・フークア。
それまでR指定作品しか作ってこなかったフークア監督は、自分が呼ばれたってことは当然本作もR指定で行くもんだとばかり思っていたのだが、撮影途中でディズニーがPG-13にしろと言い出したもんだから現場は混乱した。
ここでの禍根が尾を引いてか、フークアは二度とディズニーでの仕事をしていない。
DVD発売時には再度R指定に戻したディレクターズ・カット版がリリースされた。
そして現状の商品展開を見るに、ディレクターズ・カット版が主流となっている様子だ。
- アーサー(クライヴ・オーウェン)とランスロット(ヨアン・グリフィス)の少年期の描写が増えた
- ランスロットとグィネヴィア(キーラ・ナイトレイ)の絡みが増えた
- 円卓の騎士の中で最初に死亡したダゴネット(レイ・スティーブンス)の埋葬と、仲間が彼の死を悼む場面の追加
- 氷上の闘いの失敗の責任を問われシンリック(ティル・シュヴァイガー)が降格させられる場面の追加
- アーサーとグィネヴィアのセックス場面の編集の変更
- 全体的に残酷描写が盛り盛りになっている
変更箇所はざっとこんな感じだが、映画館に見に行き、後にBlu-rayでディレクターズ・カット版も鑑賞した私としては、『トロイ』(2004年)や『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)のような劇的な変化は感じられなかった。
むしろ、さして印象を変えずに上映時間を17分も短くした劇場公開版の編集の方が優れているんじゃないかと思う。
ここからは完全に余談だが、デヴィッド・フランゾーニがカルタゴの将軍ハンニバル・バルカの脚本を書いている時期があった。
ヴィン・ディーゼル主演が想定されていたその脚本は、あまりにもコストがかかりすぎるとの懸念から製作に移されることはなかったのだが、時を経た2023年、アントワン・フークアがデンゼル・ワシントン主演で『ハンニバル』を監督すると発表された。
かつてフランゾーニが書いた『グラディエーター』の脚本の手直しを行ったジョン・ローガンがデンゼル版『ハンニバル』の脚本を手掛けるとのことで、ハリウッドは意外なほど少ない人数で回している世界のようだ。
そして2026年6月、イタリアでの撮影開始直前になってデンゼル版『ハンニバル』の製作にストップがかかった。
2億ドルを超えた予算の見積もりに対して「さすがにこれはOKできんで」とネットフリックスが反発したことが原因のようで、現在はコストの再調整がなされているとのことだ。
閑話休題
攻めた設定に脚本・演出が追い付いていない
アーサー王物語と言えば、ジョン・ブアマン監督の『エクスカリバー』(1981年)の印象が強いんだが、歴史考証的に『エクスカリバー』はかなりのデタラメだ。
何せ、5世紀の軍人がフルアーマーを着て戦っているのだ。我々がよく知るあのピカピカの甲冑が生まれたのは14-15世紀頃だと言われている。
また物語の根底にある思想は「真のジェントルマンとは何か?」であったが、ジェントルマンという価値観が生まれたのも15世紀頃のこと。
基本、年代が1000年ほどズレているのだ笑
中世の騎士達が現代風の迷彩服を着て戦い、移民問題やLGBTQといった現代的な政治テーマを語っている光景を想像いただければ、そのズレ具合をお分かりいただけるだろう。
そもそもアーサー王伝説自体が適当なものだから、まぁ如何ともし難いんだが。
wikiで適当に調べてみたところ、そもそもが民間伝承で複数の王のイメージが合成されたものの上に、中世のキリスト教的騎士物語と結びついてランスロットが聖杯探索の主人公にされたりと、自由すぎる創作活動の結果が、私たちの頭の中に何となく存在するアーサー王物語らしい。
それを「本来はこうだったのでは」という形に引き戻そうとしたのが本作の企画。
そうそう、なぜ今回、20年以上も前のコケ映画のレビューを書いているのかというと、期待でパンパンに胸を膨らませて見に行ったクリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』(2026年)が、個人的にイマイチだったから。
詳しいことは当該レビューをお読みいただくとして、現代目で見ると厳しい部分も多い古典を、どうやって現代の映画に置き換えるのかという点が、必ずしもうまくいっていないと感じた。
そこで思い出したのが本作だった。
劇場公開時に見に行って「つまらんなぁ」と思い、後にリリースされたディレクターズ・カット版を見てもパッとしなかったんだが、やたら攻めた視点で古典を再解釈しているという点だけは、妙に印象に残っていたのだ。
はい、ここから映画の感想(長い長い前置きでごめんなさい)
5世紀のブリテン島を統治していたのはローマ帝国だったが、すでに斜陽の時代を迎えており、原住民であるケルト系ブリトン人の反乱に加え、大陸から押し寄せてくるゲルマン系サクソン人の侵攻にも持ちこたえられず、植民地の放棄を決定済。
後のアーサー王となる人物は、実在したローマ軍人アルトリウス・カストゥスと設定されている。
あのアーサー王がローマから派遣された公務員だったという設定には夢もロマンもないが、実在のアルトゥリウスがブリタニアにあるハドリアヌスの長城の警備についていたという情報は、歴史学的にある程度裏が取れているらしい。
そしてアルトゥリウスが遊牧民族サルマタイ人と一緒に過ごしていたという学説もあり、本作において、円卓の騎士たちは全員がローマに徴兵されたサルマタイ人とされている。
こうして文字に起こしてみると興味深い話ではあるが、ではその面白さを活劇に落とし込めているかと言われると、そうでもない。
ローマ人にサルマタイ人にブリトン人にサクソン人と、いろんな種族が入り乱れる構図を初見で理解するのはほぼ不可能に等しい。
実際、劇場公開時には私もなんのこっちゃ理解できなかったし、そもそもジェリー・ブラッカイマー作品にアカデミックさを求めている観客は皆無である。
ブラッカイマー自身もその点の自覚はあるのか、せっかく脚本に込められた知的な部分にそこまで突っ込もうとしない。
結果、よく知ってるアーサー王物語とは随分と違うという違和感だけが残ってしまい、難しい部分は観客にとってのノイズにしかなっていない。
未整備の情報と言えば円卓の騎士達も同じくで、意識的に覚えようとしないと、誰が誰だかよく分からんという事態に陥る。
20年後の視点で見ると、マッツ・ミケルセンにジョエル・エドガートンにヨアン・グリフィズにレイ・ウィンストンと結構な豪華メンバーが揃えられており、ブラッカイマーのキャスティングセンスには毎度恐れ入るのだが、いずれも世界的に無名だった公開当時には、本当にキャラの区別がつかなかった。
そして主人公アーサーのキャラの薄さよ。
彼のリーダーシップやカリスマを高く評価するセリフが物語の随所に散りばめられているのだが、観客がそのセリフ通りの思いをアーサーに対して抱くことはない。
基本、難しい顔をしているだけだし、男ぶりも発揮しない。グウィネヴィアとのセックスすら受け身という草食男子ぶりなのだ。
演じるクライヴ・オーウェンは良い役者だと思うけど、彼が得意とするのは寡黙な職人タイプであって、集団の統率をするタイプには向いていない。
なおアントワン・フークア監督がアーサー役に希望していたのはダニエル・クレイグだったが、次期007に選ばれるのはクライヴ・オーウェンだと信じていたブラッカイマーが、オーウェンをゴリ押ししたとのこと。
ご存じの通り、007に選ばれたのはダニエル・クレイグだったのは皮肉な話だ。
もしもクレイグを起用していれば、『007 カジノ・ロワイヤル』の2年前にジェームズ・ボンドとル・シッフルの共演が実現していたということになるが。
アーサーと円卓の騎士たちは、ハドリアヌスの長城の向こう側、ブリトン人の支配地域にいる高貴なローマ人一家の救出へ行けと言われる。
見ず知らずのローマ人を救うため、なぜ俺たちが敵地に入らなきゃいけないんだと抗議する騎士たちと、任務なのだから仕方ないと、不承不承ながら彼らを率いて敵地に赴くアーサー。
この辺りは、まんま『プライベート・ライアン』(1998年)でしたな。
騎士達ですら恐れる敵地に、なぜ高貴なローマ人一家が住んでいるのかはよく分からんが。
そしてブリトン人の襲撃を受けつつも何とかローマ人一家の邸宅に辿り着いた一行は、大勢いる家の使用人たちを引き連れてハドリアヌスの長城を目指す。
この辺りは、まんま『ティアーズ・オブ・ザ・サン』(2003年)でしたな。
一行が連れ帰る人々の中には、屋敷に監禁されていたブリトン人の王女グウィネヴィア(キーラ・ナイトレイ)も含まれていた。
グウィネヴィアと恋仲になったアーサーは、やがてブリトン人を率いて侵略者サクソン族と戦うこととなる。
この辺りは『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)、あるいは『アバター』(2009年)でしたな。
この通り、良く言えば娯楽作の王道に当てはめた、悪く言えば過去の成功作のツギハギ構成でしかないのだが、これがまったく面白くなっていかないのは罪だと思う。
前述の通りローマvsブリトンvsサクソンという三つ巴の構図が直観的に分かりづらかった上に、非現実的な古典とリアルな戦記ものの間をフラフラ行き来するアクション演出もいただけない。
基本、物語は『ブレイブハート』(1995年)のようにしっかりとした時代劇として推移するのだが、アーサー・円卓の騎士にグウィネヴィアを加えた8名でサクソンの大群の前に立ちふさがるという、実際の戦争なら絶対そんなことせんやろという展開が2度ほどある。
8名で物陰から奇襲攻撃を仕掛けるというレベルではなく、仁王立ちで大軍を待ち構えるのだ。
で、1名の犠牲だけで敵の足止めに成功してしまうというデタラメぶり。
このような荒唐無稽な見せ場があると、この映画をどう見ていいのかが分からなくなってくる。
加えて、敵がただ殺戮を欲するだけの純粋悪という点もガッカリだった。
扮するステラン・ステルスガルドはオファーを3度断ったらしいが、スカルスガルド以外の候補者を立てていないほど彼の出演を熱望していたアントワン・フークア監督の熱意に押されてOKした。
そこまでして口説き落としておきながら、こんなにもつまらん悪役像に留めてしまったのは、さすがにどうかと思うが。
とにかくこいつは殺すことしか考えておらず、何の目的でアーサー一行を追いかけているのかすら判然としない。
劇中では名言されないものの、スカルスガルドが演じているのは後にウェセックス王室の始祖となるセルディック王という設定らしい。
現代の英国王室にまでつながる歴史上の重要人物を、ただの血に飢えた殺戮者として描いたのは、これはこれで面白い試みだったかもしれない。
しかし、結果的には何の深みもない単純悪となってしまったのだから、アクション映画的には失敗だったと思う。

