(2024年 アメリカ)
期待せずにみたらなかなか面白かった新章。アドベンチャーとして王道の筋書きに当てはめつつも、ミステリー要素を加えることで先読みができそうでできない物語になっている。アクション演出もキレッキレで、続編への期待値も高まった。
感想
1968年の第一作以来、断続的とは言え50年以上に渡って製作され続ける『猿の惑星』シリーズ。
オリジナル5部作は、20世紀フォックスの経営が傾きかけていた60年代終わりから70年代初めにおいて確実に稼いでくれていたシリーズだけに、社としての思い入れがひと際強いのかもしれない。
とはいえ観客の私からすると、今更このシリーズをひっくり返したところで鼻血も出てこないだろうという感覚しかない。前作『聖戦記』(2017年)のラストで主人公シーザーは死んだ。これ以上描くべきドラマが残っているのだろうか?
正直言ってまったく期待値は上がらなかったが、2001年のティム・バートン版以降のシリーズはすべて劇場で見ている私としては(オリジナル5部作は産まれる前なので物理的に無理だった)、ここで欠席するわけにはいかんというわけで、ほぼ義務感で見に行った。
奮発してIMAX。喰わば皿までだ。
仕事終わりで映画館に行くと、初日のレイトショーだというのに客が異様に少ない。世間の期待値も私同様なのだろう。
いよいよ「これはヤバイかも」という感覚が走ったが、いざ映画が始まると、その心配は杞憂だったことが分かった。予想に反し、これがなかなか面白いのである。
シーザーの死から何世代も後の世界が舞台。
主人公のチンパンジー ノアは、自然と共生する平和な村の若者であるが、ある日、物々しいマスクを被ったゴリラ達の襲撃を受けて村は壊滅。家族や友人達は捕虜として連れ去られてしまう。唯一敵の手を逃れたノアは、村人たちを救い出すべく敵地を目指して旅に出るというのがざっくりとしたあらすじ。
ホームを失った若者が旅に出るという物語は『スター・ウォーズ』(1977年)、『コナン・ザ・グレート』(1982年)、最近では『デューン 砂の惑星』(2021年)とアドベンチャーものの王道だし、その道中で風変わりな賢者に出会うという筋書きもまたオビ・ワン的である。
そして村では「境界線を絶対に超えるな」という厳しい掟があったうえに、大人たちが何を恐れてそのような決まりを作ったのかも教えられてこなかったので、ノアにとって村の外は未知の世界。
世界の謎を探求するノアが観客の視点も担っているというわけだが、これもまたアドベンチャーものの定番の構成である。
この通り、本作は王道に当てはめてきっちりと作り込まれているので、面白くないはずがない。
そこに人間の女性ノヴァが絡んでくる。
この世界の人類は知能が低下して野生動物と化しているのだが、ノヴァだけはタンクトップのような服を着ているし、状況を理解しているような表情をしている。
そして村を襲ったマスク猿の一団は、ノヴァを追って来たものらしい。
ノヴァとは一体何者なのか、マスク猿たちは一体何を目当てにノヴァを狙っているのか、物語は大いなる謎に包まれ、これからどのように発展していくのか、皆目見当もつかなくなる。
前3部作が人類vs猿の種の存亡をかけた大決戦というはっきりとしたゴールに向かう物語だったのに対して、本作はどこに向かって進んでいる物語なのかが判然としない。
スタート時点こそ「村の仲間を救出する」という明らかなゴール設定があったが、途中からはノアにとっても観客にとっても二の次・三の次となっていき、ただただ先の読めない物語に翻弄されることとなる。
そう、これこそが1968年の第一作が持っていたテイストであり、56年もの時を経た最新作が原点に戻ってきたということには感慨深いものがある。
本作を監督したのはウェス・ボール。20世紀フォックスで『メイズ・ランナー』3部作を監督した人物だが、『メイズ・ランナー』もまた、青年の成長とアドベンチャーを絡めた娯楽作だった。
経験豊かな監督ではないのでアラもあるにはある。シリーズ史上最長のランニングタイム145分はさすがに長すぎるし、場面の密度にムラがあるので、説明的なパートに入ると猛烈な退屈さを感じた。
しかしそれを補って余りあるほど構成が良すぎるし、アクション演出もキレッキレだ。
猿が主人公という題材の特殊性を見せ場にきっちりと反映しており、縦方向で展開するアクションはユニークかつスリリングだった。
前3部作では猿の動きがどんどん人間に近づいていき、回を重ねるごとに普通の戦争映画のルックスになっていったのとは対照的に(マット・リーヴス監督の意図するところだったのだろうが)、本作では猿アクションが徹底追及されている。これはアクション映画として実に正しいと思った。
また悪役が魅力的であることも本作の強みだ。
後半にてノアの前に立ち塞がるのは暴君プロキシマス・シーザー。体が大きく、声のドスも利いており、一目見ただけで勝てない相手だと認識できるほどの強敵感を示している。
それでいて為政者としては如才なく、知識の重要性をよく理解している。
プロキシマスは一度滅んだ人類史を悪しき前例として研究対象にしていると同時に、人類文明の良いところからはちゃんと学ぼうとしている。「プロキシマス」という独特の名前についても、人類のローマ史から拝借しているのである(そして「シーザー」は猿社会のリーダーに代々引き継がれる屋号になってるようだ笑)。
また使えるものは何でも使おうとする。
ノアは自分を打倒しに来たということを知りつつも、若者が大冒険をしてこの王国にまで辿り着いたことは純粋に評価しているし、ノヴァとの関係性を構築できていて利用可能な猿であることも見抜いている。
なので感情に任せてノアを叩き潰すのではなく、まずは手厚くもてなして、自分の陣営に取り込もうとするのである。
大悪役であると同時に、リーダーのお手本のような度量を見せるのがプロキシマスというキャラクターであり、私は大いに気に入ってしまった。
なんやなんやあってノアの冒険は一応の終わりを見せるものの、新たなる戦いの火種が燻って映画は終わる。
今回は共に旅をしたノアとノヴァが、やがて各陣営のリーダーになって衝突するという未来が予想される。また賢者ポジションのラッカが明確に死亡したと言える描写がなかったので、良いタイミングで復活するであろうこともほぼ確だろう。
この通り、見終わった後にもいろいろと期待値の高まる、見事な新章だった。
≪猿の惑星≫
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