【凡作】刑事グラハム/凍りついた欲望_レクター博士は脇役(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1986年 アメリカ)
マイケル・マンの丁寧な描写や犯人ダラハイドの人物像など見るべき点は多いのですが、拍子抜けなレクター博士や持続しないサスペンスなど問題点もいろいろあって、全体としてはまぁまぁという印象でした。

あらすじ

ウィル・グレアム(ウィリアム・ピーターセン)はハンニバル・レクター博士(ブライアン・コックス)逮捕の際に受けた心の傷がきっかけでFBIを引退していたが、裕福な家庭を残忍な手段で殺害するシリアル・キラーが出現したことから、FBIより復職を依頼される。悩んだ末に、次なる被害者を出さないためにも本件の捜査を引き受けることにし、犯人の心理を解き明かすために収監中のレクター博士を訪問する。

スタッフ・キャスト

監督・脚色は『特捜刑事マイアミ・バイス』のマイケル・マン

1943年シカゴ出身。1960年代半ばにイギリスへ渡り、リドリー・スコット、アラン・パーカー、エイドリアン・ラインらとコマーシャル演出などを手掛けました。昔の仲間が凄すぎですね。

その後アメリカに帰国しテレビ番組の脚本や演出を手掛けるようになり、製作総指揮を務めた『特捜刑事マイアミ・バイス』(1984-1989年)が大人気となりました。

並行して映画界での活動も行っており、『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(1981年)で長編監督デビュー。90年代に入ると時代劇『ラスト・オブ・モヒカン』(1992年)がヒット。ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノを共演させた『ヒート』(1995年)がクライムアクションの金字塔となり、『インサイダー』(1999年)でアカデミー監督賞ノミネートと、男性映画の雄としての地位を確立しました。

製作はディノ・デ・ラウレンティス

1919年イタリア王国出身。1940年から150本以上の映画をプロデュースしており、インディペンデントのプロデューサーとしては最高峰に君臨していました。

特に1970年代から1980年代前半にかけては『キングコング』(1976年)、『コナン・ザ・グレート』(1982年)『砂の惑星』(1984年)と、質はともかくかける金は凄まじい映画を多く手掛けていました。

ただし大作路線にも限界が生じ始め、1980年代半ばには中規模路線に転向。『デッドゾーン』(1983年)、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1984年)、『ゴリラ』(1985年)などを製作しました。本作もそんな流れの中で製作された一本。

主演は『L.A.大捜査線/狼たちの街』のウィリアム・ピーターセン

1953年イリノイ州出身。大学を中退して演技を学び、劇団活動をした後にウィリアム・フリードキン監督の『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)で映画デビュー。しかし同作はヒットとならず、続けて主演した本作もコケたことから、以降はテレビ界での活動が中心となりました。

1990年代には、日曜洋画劇場での放送で日本でも話題となったテレビ映画『ザ・ビースト/巨大イカの逆襲』(1996年)に主演。

またジェリー・ブラッカイマー製作のドラマシリーズ『CSI:科学捜査班』では主任のギル・グリッソム役を9シーズンに渡って務めました。

作品解説

「ハンニバル・レクター」シリーズ第一作

本作の原作はトマス・ハリスの小説『レッド・ドラゴン』(1981年刊)。

この小説でハンニバル・レクターが脇役として初登場するのですが、サイコを操るサイコという特性から名物キャラクターとなり、以後『羊たちの沈黙』(1988年刊)、『ハンニバル』(1999年刊)、『ハンニバル・ライジング』(2006年刊)とシリーズ化されていきました。

本作の映画化権を取得したのは大プロデューサー・ディノ・デ・ラウレンティスであり、ラウレンティスは『デューン/砂の惑星』(1984年)でも組んだデヴィッド・リンチを監督に選任しました。

しかしリンチは降板し、代打として『特捜刑事マイアミ・バイス』のマイケル・マンを起用。もしリンチが監督していれば異常犯罪者とそれを追う捜査官の心象風景にフォーカスした内容にしたであろうところ、マンは捜査過程を丁寧に描写するというアプローチを取りました。

また、ダラハイドの体に彫られたレッド・ドラゴンのタトゥーがやりすぎであるとしてマイケル・マンが映画版からオミットしたことや(DVDのジャケットや当時の宣材写真には胸にタトゥーの入ったダラハイドが写っていますが、本編ではタトゥーがない)、ラウレンティスが前年にプロデュースした『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985年)がコケたために「ドラゴン」というワードを忌避したことから、映画版のタイトルは”Manhunter”に変更されました。

レクター博士役の最初の候補はウィリアム・フリードキン

レクター博士役としてマイケル・マンが最初に考えていたのは、映画監督のウィリアム・フリードキンでした。作品以上に狂った監督として悪名の高かった人物であり、この人選はトリッキーながらも「なるほどな」と思わせるものがあります。

なお、フリードキンが監督し、本作にも出ているウィリアム・ピーターセンが主演した『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)が『特捜刑事マイアミ・バイス』のスタイルとあまりに似通っていて、マイケル・マンがウィリアム・フリードキンを訴えたという噂があります。

この話はフリードキン自身が否定していてどうもガセっぽいのですが、同時期に似たような作品を作っていた同業者であるという点で、二人は意識し合っていたようです。

全米大コケ作品

本作は1986年8月15日に公開されたのですが、暗いトーンが似通っており客層が重複していると思われる『ザ・フライ』(1986年)と同時期の公開だったことや、『エイリアン2』(1986年)『トップガン』(1986年)、『ベスト・キッド2』(1986年)といった大ヒット作がランキング上位を占めていたことから伸び悩み、初登場8位でした。

第2週にはトップ10圏外へと弾き出され、全米トータルグロスは862万ドル。1500万ドルという当時の標準的な大作レベルの製作費がかけられていたことまでを考えると(『トップガン』とほぼ同額)、大惨敗と言える結果でした。

感想

マイケル・マンらしい緻密な描写

映画監督デビュー作『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(1981年)での本格的なコンバットシューティング導入、テレビシリーズ『特捜刑事マイアミ・バイス』(1984-1989年)での銃器や捜査手法へのこだわりなど、従前よりマイケル・マンはリアリティに目配せした緻密な描写で名を挙げてきた監督でしたが、本作でもその強みは発揮されています。

指紋や頭髪採取といった通常の刑事ものであれば省略される部分をあえてクローズアップし、当時の最新テクノロジーと科学捜査班の職人的な技術をじっくりと見せていきます。

また、当時まだ珍しかった犯罪者プロファイリングの描写にもこだわり、グレアム捜査官が現場の状況や遺留品から「犯人はなぜこんなことをしたのか」→「犯人はこういう人間ではないか」と分析していく過程が丁寧に描かれます。

グレアム捜査官(ウィリアム・ピーターセン)がブツブツ言いながら犯人像を絞り込んでいく様はなかなか面白く、従来の探偵ものとは似て非なる雰囲気を出すことにも成功しています。

グレアム捜査官はかっこいいけど浅い

グレアム捜査官を演じるのはウィリアム・フリードキン監督の『LA大捜査線/狼たちの街』(1985年)で映画デビューしたウィリアム・ピーターセン。精悍な顔立ちとスリムな体躯で、本作でもかっこいい捜査官像をモノにしています。

ただし演技に深みがないので、ギリギリの精神状態で持ち堪えているグレアムの危なっかしさなどは表現できていませんが。

本作のグレアム捜査官はハンニバル・レクター逮捕の際に自らの精神も冒され、犯罪者に飲み込まれかけて捜査官を辞職したという過去を持っています。

犯罪者プロファイリングという手法には捜査官の心の闇までを刺激する恐ろしさや、犯罪者と同一化してしまうような危険性があり、かつてそれを経験したからこそグレアムは慎重になっているのですが、ピーターセンの演技は表層的で、精神をえぐられた者の痛みまでを表現できていません。

レクター博士は脇役

かつてグレアムに心の傷を与えたハンニバル・レクターもまた、本作では普通のおっさんという感じで拍子抜けでした。

演じるのはブライアン・コックス。『ジェイソン・ボーン』シリーズのCIA高官アボットや『X-MEN』シリーズのストライカー大佐など、悪の総元締め的な役柄を得意とする人ではあるのですが、如何せんハンニバル・レクターと言えば後任者アンソニー・ホプキンスの印象が余りに強く、ホプキンスの大クセ演技と比較するとコックス版レクターは凡庸なものに感じられました。

本作製作時点では『羊たちの沈黙』の原作(1988年刊)すら発表されておらず、ハンニバル・レクターの人物造形が原作者レベルでも深掘りされていなかった時期なので、後の作品と比較されると不利っちゃ不利なのですが、そうした状況を考慮してもなお薄味に感じられました。

しかも本作はダラハイドの描写に重きが置かれているので、レクターは前半でちょっと出てくる程度。『羊たちの沈黙』(1991年)のようなレクター博士大活躍を期待すると少なからず裏切られます。

ダラハイドの心の闇の深さ

他方、フランシス・ダラハイドの人物造形や、それを体現するトム・ヌーナンの演技は満足のいくものでした。

本作のダラハイドの設定には原作から変更が加えられています。

原作のダラハイドは少年期に祖母から受けた厳格な躾によって自己肯定感を持てなくなった孤独な中年男であり、『大いなる赤き竜と日をまとう女』(The Great Red Dragon Paintings)という絵画の影響から、殺人によって人間を超えた存在になろうとする異常者という分かったような分からんような設定でした。

しかし本作では祖母のトラウマと赤き竜(レッド・ドラゴン)という二つの柱が両方とも取り払われ、見た目のコンプレックスに悩むブサメンが幸せな家庭を妬み、特に美人の奥さんがいる裕福な家庭を狙うという下世話な話となっています。

この大幅な変更が吉と出ています。

悶々と生きる孤独な中年男の描写には物悲しさが宿っているし、ようやく結ばれた盲目女性が希望の光になるかと思いきや、ダラハイドの自己肯定感の低さと経験のなさゆえに女性の思いを信じ切ることができず、最終的には女性の浮気を疑ってしまって(実は同僚男性と友人として接していただけ)狂気に歯止めが利かなくなるという点は切なくも激しいものでした。

これを演じるのはトム・ヌーナン。『ロボコップ2』(1990年)のケインや『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年)のザ・リッパーなど悪人顔で活躍している俳優なので、嫉妬に狂うブサメンという役柄に素晴らしく適合しています。

ダラハイドの物語には非常に見応えがありました。

ミステリーとしては不発

こんな感じで各要素は良かったり悪かったりなのですが、全体としてはどうにもうまく回っていませんでした。

一つ一つの描写はよくできていても、観客の関心を持続させるような強い流れを生み出せておらず、謎が解き明かされる過程にも興奮が宿っていません。 本作後のマイケル・マンのフィルモグラフィを眺めてもミステリー映画には手を出していないことから、向いていないジャンルだったようです。

≪ハンニバル・レクターシリーズ≫
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