(1988年 アメリカ)
殺人鬼の警官がNYをパニックに陥れ、市民はもう何を信じていいんだかという着想だけはいいんだけど、それ以外の要素がいろいろとっ散らかっているし、肝心のパニック要素も中盤から消え失せるし、映画としてのクォリティは低い。でも嫌いになれない魅力的がある。
感想
その昔に日曜洋画劇場や金曜ロードショーで放送された実績があり、そこそこの回数、放送されたと記憶している。
私の初見ももちろん日曜洋画劇場で、小学生の時に見た。
こういうのが当たり前のように地上波放送されていた時代も、子どもが見ても何のお咎めもなかった我が実家の家庭環境も、どちらも素敵だったと思う。
わが国では劇場未公開で、日曜洋画劇場によって『地獄のマッドコップ』というパンチの効いたタイトルを付けられた。
シリーズ化と共に原題の『マニアック・コップ』に改められたが、私にとって本作のタイトルは永遠に『地獄のマッドコップ』だ。
なにせ”マッドコップ”という語感が良い。
昔見てたドラマ『スケバン刑事』で(これはこれで何度でも口に出したくなる素敵なタイトルだ)、「何の因果かマッポの手先」という毎回定番の名乗り口上があり、子供心に「マッポとは何ぞや」と思ってたけど、あれは”マッドポリス”の略らしい。
しかし”マッドポリス”よりも”マッドコップ”の方が語感の良さでは勝っているだろう。
さらにその上には、ご丁寧に”地獄の”という不穏当な言葉が重ねられている。何か物凄いことが起こりそうだ。
日本人には”地獄の”が付く作品をどうしても見たくなる習性があるのだろう
『地獄の女囚コマンド』(1990年)も、『地獄の女スーパーコップ』(1992年)も、『地獄の女スナイパー』(1992年)も、『シャドーチェイサー/地獄の殺戮アンドロイド』(1990年)も全部見た。そして全部つまらなかった。
そんな中での『地獄のマッドコップ』である。
『悪魔の赤ちゃん』(1974年)のラリー・コーエンが書いた脚本を、『エクスタミネーター』(1980年)のジェームズ・グリッケンハウスがプロデュース。『マニアック』(1980年)のウィリアム・ラスティグが監督し、『死霊のはらわた』(1983年)のブルース・キャンベルが主演という、B級ホラー界のちょっとした有名人たちが集結。
テレビリポーター役でサム・ライミも出演している。
ライミはブルース・キャンベルのみならず、ウィリアム・ラスティグとも仲が良いらしい。
またラスティグは『レイジング・ブル』(1980年)でロバート・デ・ニーロが演じた元ボクシングヘビー級チャンピオン ジェイク・ラモッタの甥っ子とのこと。
そんな一癖も二癖もあるメンバー達による共同作業の成果か、本作は良くも悪くも特徴的な作品に仕上がっている。
NYで警察官による無差別殺人が発生して社会不安が発生するというのが前半部分。
ついには疑心暗鬼に陥った市民によって普通の警察官が銃撃されるという事態にまで発展し、連続殺人は直接的な被害状況以上の爪痕をNY社会に残す。
本来頼るべき警察官が連続殺人犯になるという着想にエッジが立っており、B級映画界のアイデアマン ラリー・コーエンの発想力には毎度恐れ入る。
B級ホラーに適度に社会性を纏わせ、画面に映っている光景以上の奥行を持たせているのだ。
ただし後半になるとB級メンツらしい綻びが現れ始めて、途端につまらなくなる(この落差もまたエッジと捉えていいのかもしれないが・・・)。
ブルース・キャンベル扮するジャック・フォレスト巡査がマニアック・コップではないかと疑われる。アゴに特徴があるせいだろうか?
ジャックは己の潔白を晴らすためマニアック・コップの正体を探り、やがて両者の対決に至るというのが後半部分。
筋書き的にはサスペンスホラーの王道ではあるが、ラリー・コーエンの筆が滑りまくったのか妙な捻りが入っているので、直感的な面白みには欠ける。
このジャック刑事、妻帯者であるにもかかわらず同僚の女警察官と不倫をしている。
ある晩も「夜勤にいってくる」と言って家を出ると、合流した同僚とホテルに突撃。
一方奥さんは、うちの旦那こそマニアック・コップじゃないかと疑っていて、家を出た旦那を尾行。
すると思いがけず不倫現場に遭遇して修羅場になるんだけど、そもそも奥さんが旦那を連続殺人鬼だと疑った背景がすっ飛ばされているので(夜な夜な謎の理由で家を出ることだとは思われるが)、今ひとつ感情に響いてこない話になっている。
結局、修羅場は収まらず奥さんは一人でホテルを出るんだけど、その帰り道に何者かに殺されて例のホテルに死体が置かれる。
こうしてジャックに嫌疑がかかるわけだが、よりにもよって旦那に不倫された夜に殺人鬼の犠牲になってしまうという、泣きっ面に蜂どころの話じゃない奥さんが不憫すぎる。
一方ジャックはかけられた嫌疑を晴らすことに必死で、非業の死を遂げた奥さんへの思いを表明しない。
しかもジャックのパートナーになるのは不倫相手の女警察官なので、果たしてこれがバディとして相応しいのか。
あらぬ疑いをかけられた主人公が同僚の力を借りつつ真相に迫るという話でいいのに、なぜ不倫という要素をちょい足ししたのだろうか。
あるいはラリー・コーエンには何かしらの意図があっての不倫設定だったのかもしれないが、ウィリアム・ラスティグとブルース・キャンベルの表現力ではうまく形にならなかったのかもしれない。
ともかく、本作のユニークな不倫設定は映画のお荷物になってしまっている。
その後なんやかんやあって突き止めたマニアック・コップの正体は、元警察官マット・コーデルだったと判明。
マットはNY市長とマフィアの癒着を暴こうとしたことで口封じに遭った。あらぬ疑惑をかけられて刑務所に入れられ、警察に恨みを持つ受刑者たちに殺されたのだ。
正義の警察官が復讐の鬼と化して舞い戻ってくるというドラマティックな設定なんだけど、その割にやってることが黒幕への復讐ではなく無関係な市民の無差別殺人なので、設定と物語が嚙み合っていないような・・・
また死の淵から生還した生身の人間なのか、非業の死より蘇りし怪物なのかもイマイチ判然としないので(銃撃を受け付けないところを見ると後者っぽくはあるが)、このキャラをどう見ていいのかもよく分からない。
ともかく、いろいろ詰め込んでうまくいかなくなった作品という印象で、警察官が連続殺人鬼になるというシンプルなあらすじのみで勝負してほしいところだった。
昔、『2』『3』もテレビで見たような気がするけど、これらの内容はまったく覚えていない。そんなシリーズ。
ただし懐かしの日曜洋画劇場版吹替が収録されたBlu-rayは有難く購入させていただいた。
決して面白いわけではないが、お金を払ってでも手元に置いておきたい魅力はある。これぞカルト映画だ。