【駄作】ザ・スタンド_マクティアナン不調の原点(ネタバレなし・感想・解説)

その他
その他

(1992年 アメリカ)
見せ場らしい見せ場はないし、ドラマは陳腐だし、メッセージ性の高い作品である割にはテーマを煮詰め切れていないし、残念なことしかない映画でした。80年代末に隆盛を極めたマクティアナンが90年代以降には一気にダメになりましたが、そのキャリアの分水嶺として見ると興味深くはありました。

作品解説

シナージ・ピクチャーズ第一回作品

90年代からの筋金入りの映画ファンの方は、↓のロゴマークに見覚えがあるのではないでしょうか。

これはシナージ・ピクチャーズという映画製作会社のロゴマークであり、本作『ザ・スタンド』(1992年)はその第一回作品でした。とりあえずシナージ社のラインナップをご覧いただきたいのですが、

どうですか、このボロボロ加減は(笑)。

この中でちゃんとヒットしたのは『ダイ・ハード3』だけだろというご指摘はその通り。1998年には経営破綻し、第一回作品から6年で早々と店じまいしたのでした。

シナージ・ピクチャーズの創業者はアンドリュー・G・ヴァイナという人物であり、この人は伝説の独立系製作会社カロルコの共同設立者でした。

80年代から90年代前半にかけてヒット作を連発していたカロルコでしたが、どういうわけだかその絶頂期の1989年にヴァイナはもう一人の創業者マリオ・カサールと袂を分かち、新会社シナージを立ち上げました。

カロルコでブイブイ言わせていた(死語)ヴァイナの新会社ということで業界内での注目度も高く、ディズニーの実写部門であるハリウッド・ピクチャーズがその配給を担うこととなりました。

ただし作る映画のほとんどが興行的にも批評的にも伸び悩んだものだから、資金繰りがうまくいかなくなったというわけです。

その後、同じくカロルコを潰したマリオ・カサールと再合体し、C2ピクチャーズを設立。

1500万ドルの大枚はたいて権利を購入した『ターミネーター3』(2003年)こそヒットしたものの、『アイ・スパイ』(2002年)や『氷の微笑2』(2006年)などが大コケしたために2008年に倒産しました。

『レッド・オクトーバーを追え!』のコンビ

本作の主演はショーン・コネリー。

80年代前半にはキャリアの低迷期を迎えてマネージャーがドルフ・ラングレンと兼任という時期もあったのですが、『アンタッチャブル』(1987年)でのオスカー受賞で復活。80年代末から90年代にかけては第二のキャリア黄金期と言える状態で、大作に引っ張り凧でした。

そんなコネリーがどういうわけだか製作総指揮まで兼任したのが本作であり、年に数本の出演をこなしていた当時のコネリーが、本作には特別力を入れていたことが伺えます。

監督はジョン・マクティアナン。『プレデター』(1987年)『ダイ・ハード』(1988年)の連続ヒットで男性映画の雄と期待されており、コネリーとのコンビ作『レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)も大ヒットしていました。

批評面での失敗

そんな鼻息荒く作られた本作ですが、ふたを開けてみると批評面ではボロボロ。この低調な船出が、その後のシナージ・ピクチャーズの行く末を暗示しているかのようでした。

本作は多くの批評家からの低評価を受けたのですが、とりわけやり玉にあげられたのはヒロイン役のロレイン・ブラッコの演技であり、彼女はその年のゴールデンラズベリー最低女優賞にノミネートされました。

興行面での失敗

1992年2月7日に全米公開され、初登場1位を記録。しかし翌週にはマイク・マイヤーズのコメディ『ウェインズ・ワールド』(1992年)に敗れ、全米トータルボックスオフィスは4,550万ドルにとどまりました。

マクティアナン×コネリーの前作『レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)の興行成績1億2200万ドルと比較すると随分と見劣りする金額である上、製作費は4000万ドルとかなり高額だったこともあって(レッド・オクトーバーを追えは3000万ドル)、興行的には失敗したと言えます。

感想

見せ場が皆無

ショーン・コネリー×ジョン・マクティアナンとくれば盆と正月が一緒に来たような一大アクションを期待するのが人情というやつですが、本作にそういう見せ場はまったくありません。

最後くらいは不埒な開発業者相手にコネリーが怒りを爆発させて原住民とゲリラ攻撃を行うのかななんて密かに期待していたのですが、そんな気の利いた展開もありませんでした。

最初から最後まで本当に何も起こらないので、アクション映画という見方は早めに捨てるべきだったのでしょう。

脚本の出来が悪すぎ

では本作で何が描かれているのかというと、アマゾンの奥地で新薬開発に挑む変わり者の学者キャンベル(ショーン・コネリー)と、その監視にやってきたエリート学者クレイン(ロレイン・ブラッコ)の交流です。

キャンベルは3年間もアマゾン奥地に引きこもっているのですが、特にレポートも出してこない割に資材と人だけは寄越せと研究財団に要求してきます。で、キャンベルが何をやってるんだか不安になった財団は監視役としてクレインを送り込んだというわけです。

そんな特命を帯びているので、当初クレインはキャンベルに対して批判的なのですが、彼が癌の特効薬に辿り着きつつあることを理解して、その協力者になるというのがザクッとしたあらすじ。

現場主義のベテラン学者と、経歴こそ優秀だが実地経験のない若手学者の対比という非常にベタな構図があって、対立と和解を経て協力体制を築くというありがちな物語がゆるゆると進捗していきます。

本作のオリジナル脚本を書いたのは『いまを生きる』(1989年)でアカデミー脚本賞を受賞したトム・シュルマンで、300万ドルもの高値が付きました。さらにテレビ界のベテラン脚本家サリー・ロビンソンが雇われて書き直しを行い、その作業にも100万ドルかかったと言います。

それほどの費用をかけて練り上げられた脚本なのに、この手の映画のテンプレートにでも当てはめて作られたかのような個性のなさはどうしたものでしょうか。

非合理主義への傾倒に違和感

また、このあらすじであればキャンベルとクレインが学者として難題に挑むという内容にすべきなのに、次第に彼らが研究らしい研究をしなくなるという点も変でした。

キャンベルが突き止めた癌の特効薬の正体とは、地元原住民の祈祷師(原題”Medicine Man”の由来)手製の薬でした。これを腫瘍ができた別の原住民に接種させたところかなりの短期間で治癒したため、キャンベルはその効能を確信するに至ったのでした。

ただし祈祷師がこの薬をどうやって作ったのかが分からない。この地にあるもので作られたはずなのでキャンベルはいろんな植物の組み合わせで薬を再現しようとするのですが、一向に同じものはできあがりません。

そこでキャンベルとクレインはアマゾンの悪路を通って遠く離れた祈祷師の元に行き、薬の原材料や調合方法を聞き出そうとします。これが後半の山場。

って、主人公二人は研究者らしいことを何もやってないわけです。祈祷師に聞きに行くことなんて研究者自身でやる必要ないし。

また西洋的な合理主義では解明できませんでした、地元の知恵の方が勝っていましたという非合理主義への傾倒にも違和感を覚えました。こういうのは勝った負けたの話ではなく、民間伝承的な土着の知恵を科学により合理的に裏付けるという協力関係であるべきです。

あまりにも単純な対比構造に落とし込んでしまったことで、西洋的合理主義と土着の知恵の邂逅というテーマがかえって薄まっています。

目の前の生命か科学の発展かという命題があやふやに

また祈祷師に教えを乞いに行く直前には、残り少ない薬を研究開発目的で温存しておくか、癌を患った子供のために使い切るのかという命題にも直面します。

目の前の生命か科学の発展かという興味深いジレンマなのですが、キャンベルは特に深く悩むこともなく残りの薬を子供に投与してしまうために、せっかくの命題が台無しになっていました。

この通り、本作は全体的に「ただ撮っているだけ」という状態であり、面白くなりそうな論点にフォーカスしきれていません。この拘りのなさには困ってしまいました。

80年代末には絶好調だったジョン・マクティアナンは90年代に入ると一気にダメになったのですが、そのキャリアの分水嶺に本作は位置しています。

彼はその後何本もの駄作を撮ることになるのですが、実は本作の段階でその限界は露呈していたというわけです。

スポンサーリンク
公認会計士のB級洋画劇場