(1997年 アメリカ)
全米年間興行成績No.1となった大ヒット作。大作らしい爆発的な盛り上がりには欠けるものの、黒スーツ&サングラスという主人公たちのファッションが決まっていたり、随所に挿入される小ネタが面白かったりと、細部の出来が非常に良いので見て損はない映画である。

アメリカンコミックの実写化
1990年に出版された同名コミックが原作。意外なことにオリジナルはシリアスなトーンの作品らしい。
1992年、『ウォー・ゲーム』(1983年)、『レナードの朝』(1990年)でアカデミー賞ノミネート経験を持つウォルター・F・パークスと、その妻で製作パートナーでもあるローリー・マクドナルドが映画化権を取得。スティーヴン・スピルバーグの製作会社であるアンブリンで製作することにした。
二人は『ビルとテッドの大冒険』(1989年)、『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(1993年)の脚本家エド・ソロモンを雇って脚本を執筆させた。
また二人は『アダムス・ファミリー』(1991年)を大ヒットさせたバリー・ソネンフェルドに本作の監督を依頼したが、当時のソネンフェルドはジョン・トラボルタ主演の『ゲット・ショーティ』(1995年)にかかりっきりだったので、これを辞退。
続いて『34丁目の奇跡』(1994年)のレス・メイフィールドが起用されるも短期間で降板。SFコメディには不向きだと判断されたようだ。
その後、ジョン・ランディスやクエンティン・タランティーノから断られているうちにソネンフェルドのスケジュールが空いたので、念願叶ってソネンフェルドが監督に就任した。なおジョン・ランディスは本作のオファーを断ったことを後悔しているとのこと。
元の脚本はワシントンD.C.からカンザス州を舞台にしたもので、シークレット・サービスの主人公がMIBの活躍に触れる中で、大統領警護よりも大事なミッションの存在を知るという内容だったのだが、「変装したエイリアンが紛れ込みやすいのはNYだろ」というソネンフェルドの考えで、舞台はNYに変更された。
脚本には問題が多かったらしく、エージェントK役をオファーされたトミー・リー・ジョーンズは、脚本を改善するというスピルバーグの言葉を信じてこれを引き受けた(『ジュラシック・パーク』(1993年)、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年)のデヴィッド・コープがリライト)。
またエージェントJ役(原作では白人)はクリス・オドネルやデヴィッド・シュワイマーらに依頼するも断られ、ソネンフェルドは『私に近い6人の他人』(1993年)で注目していたウィル・スミスに白羽の矢を立てた。
『インデペンデンス・デイ』(1996年)の撮影を終えたところだったスミスは、「またエイリアンか…」と思ってこのオファーを断ろうとしたのだが、後の妻となるジェイダ・ピンケットからの説得で思い直し、これを引き受けることにした。
1996年3月より主要撮影が始まったが、土壇場での変更が相次ぐ。
ウィル・スミスがエイリアンを走って追いかける場面は、元々リンカーン・センターで撮影する予定だったが、ビルのオーナーが使用料を請求すると言い出したので、グッゲンハイム美術館に変更となった。
また撮影開始後5か月が経過した時点で、ソネンフェルドはクライマックスの変更を主張した。
当初の脚本ではエージェントJとバグとの実存主義的議論が描かれていたが、これでは面白くないと判断したソネンフェルドは、エージェントKがバグに喰われてJが単独で戦うという内容に変更。
この変更によって、リック・ベイカーが8か月かけて製作したバグのアニマトロニクスは放棄され、CGによって代替されることに。この変更だけで追加費用が450万ドルもかかった。
1997年の全米年間No.1ヒット作
そんな現場の苦労が報われて、本作は猛烈な大ヒット作となった。
公開週末には5110万ドルを稼ぎ、『バットマン フォーエヴァー』(1995年)と『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年)に次いで歴代3位のオープニング興収を記録。
北米で2億5060万ドル、その他の地域で3億3870万ドルの興行収入を上げ、全世界で合計5億8930万ドルもの売上高を記録。その年の全米興行成績でNo.1となった。
製作総指揮のスピルバーグにとっては、監督を務めた『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年)とのワンツーフィニッシュ。当時のスピルバーグの勢いの凄さがよく分かる。
また配給を行ったソニーピクチャーズにとっても重要な作品となった。
その年の第3位である『エアフォース・ワン』(1997年)と共に社の業績拡大に貢献し、1989年のコロンビアピクチャーズ買収から8年目にして、ついにハリウッドでもっとも高い興行成績を上げた映画会社となったのである。
本作の大成功によって、版権を保有していたマーベルコミック社は自社IPの有効活用に積極的となり、ソニーと共に『スパイダーマン』(2002年)を製作するに至る。
感想
私が高校時代の映画で、結構な話題作だったので映画館に見に行ったけど、個人的にはあんまりハマらなかった。
その後は本作のことを特に気にせず生きてきたのだが、ふとNetflixで見かけたので再見してみることにした。
・・・が、感想は以前と同じ。大作らしいド派手さに欠けており、アクション映画としてのスリルも今ひとつ。全体的にゆる~い出来だなぁと。
実はこの地球には多数のエイリアンが暮らしており、彼らにまつわるトラブルに人知れず対応している黒服の男たち(メン・イン・ブラック)がいる。
ある日、NY市警の刑事ジェームズ・エドワーズ(ウィル・スミス)が偶然にも宇宙人案件に関わってしまい、その際に見せた対応力からメン・イン・ブラックに引き抜かれてエージェントJに転身。ベテランのエージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)とのバディで地球存亡の危機に立ち向かうというのが、ざっくりとしたあらすじ。
観客目線と同化する新米エージェントJが主人公なんだけど、当時のネームバリューの問題か、クレジットはトミー・リー・ジョーンズの方が上。何とも世知辛い世の中ですな。
そういえば中盤以降のキーパーソンとなる検視官ローレル(リンダ・フィオレンティーノ)も観客目線を担っており、Jとポジションがかぶっていることが気になった。
エイリアン騒動に驚く素人という、前半でJがやったことの繰り返しを演じており、短い上映時間ながらも重複が発生している。これは無駄だと感じた。
本作のエンディングで彼女はエージェントLになったにも関わらず、続編には登場しなかったが、Jと立場が重複していることを考えると仕方なかったのだろう。
閑話休題
エージェントJとKは、地球にいるエイリアンたちが逃げるように出国していることに気付く。
昨夜NYの宝石商が何者かに殺される事件が発生したのだが、実はこの宝石商はアルキリアン星の王であり、バグ(ヴィンセント・ドノフリオ)という不法入国エイリアンに殺されたのだった。
バグが狙ったのはアルキリアンが持っていた「銀河系」であり、これを奪われたことにアルキリアン星は激怒。1時間以内に「銀河系」を返さないと地球を滅ぼすと最後通牒を突き付けてくる。
これが後半部分の物語なのだけど、まぁ分かりづらい。
一度見ただけでは説明を理解できず、アルキリアンの説明のくだりは巻き戻して見返したほどだったので、映画館で見た人はほとんど話を理解できなかったんじゃなかろうか。
バリー・ソネンフェルドも話が分かりづらいことを懸念していたようで、製作中にアルキリアンまわりの脚本を書き換えているのだが、それでも分かりづらい。
なぜアルキリアンの王がNYにいるのか、大事な「銀河系」を母星ではなく地球に置いているのか、腑に落ちない点も多々ある。
また「銀河系」が奪われたのはアルキリアン対バグの問題なのに、なぜ地球側が管理責任を問われ、惑星を滅ぼすとまで言われているのかも分からない。とんだとばっちりである。作劇上の悪役であるバグ以上に、アルキリアンの方がヤバイ連中ではないだろうか。
そんなわけで作品全体の軽いノリのわりに、後半の話がストンと腹に落ちてこない点は大きな欠点だと思う。
加えて、地球規模の危機が迫っているのにピリっとした緊張感が漂わないので、アクション映画としての締まりもない。
アルキリアンは「宇宙時間の1週間以内(地球時間の1時間)に返さないと地球を攻撃する」という無茶を言ってきており、タイムリミットサスペンスの様相も呈してくるのだが、その割に一刻を争うようなヒリヒリ感がない。
締めるべき所はしっかり締めて欲しかったなぁ。
というわけでアクション映画としての欠点は目立つのだけれど、では全然ダメかと言うと、そういうわけでもない。
本作はとにかく小ネタがよくできているのだ。
非凡な能力を発揮する有名人には宇宙人が多いとか、タブロイド紙に事実が書かれているとか、NYに多数ある変なオブジェはエイリアンの宇宙船だとか、クスっと笑えて「確かにそうかも」と思わせるような小ネタがよく効いている。
またスーツとサングラスでビシっと決めたMIBのファッションはかっこいいし、一見すると旧型車だが変形機能をもったMIB専用車といった、男の子のハートを掴むアイテムも充実している。
加えてコメディでありながらもVFXや特殊メイクにまったく抜かりがなく、コロンビア・ピクチャーズがかつてリリースした『ゴーストバスターズ』(1984年)のような「オシャレな大人が作ったハイセンスな娯楽作」という空気感を纏っている。
キャッチーな主題歌をモノにできたという点でも『ゴーストバスターズ』と共通している。
スピンオフの「~インターナショナル」(2019年)も含め、現在までに4作が製作されているMIBだが、こうした空気感は第一作のみのものであり、公開時に大ヒットを記録したことにも納得はできる。
「この映画を好きになりたい」と思わせる魅力が確かにあるのだ。