(2022年 アメリカ)
ありえないほどの危機に対して負け犬が立ち上がるといういつものエメリッヒ作品なのだが、ドラマの作りこみやディザスターの完成度を考えると、本作はエメリッヒの最高傑作ではないかと思う。最後のオチで台無しになるんだが、そういうおっちょこちょいも含めてエメリッヒなので、決して嫌いにはなれない。
作品解説
史上最大規模のインディーズ映画
エメリッヒが本作の企画を思いついたのは『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』(2016年)の製作中のことらしい。
一時はユニバーサルに脚本を売っていたのだが買戻し、エメリッヒと共同制作者のハロルド・クローザーはカンヌ国際映画祭でスポンサーを募った。
その結果、中国から4000万ドル、ドイツから1500万ドル、アメリカから1500万ドルの資金を調達し、2019年5月に本作の製作を発表。
最終的に1億3800万ドル~1億4600万ドルがかかったといわれており、本作は史上最大規模のインディーズ映画となった。
興行的大失敗
北米での配給権を獲得したライオンズゲートは広告宣伝に3500万ドルを費やしたが、全米トータルグロスは1910万ドルにとどまった。
また国際マーケットでも不評であり、全世界トータルグロスは5910万ドルという大爆死となった。
こうした世界的に不入りを受けてか、当初は劇場公開される予定だった日本では配信スルーとなり、2022年7月29日にAmazonプライムにて初公開された。
感想
エメリッヒの最高傑作
上記の通り世界的に不評な作品で、個人的にはさして期待していなかったのだが、意外にもこれがエメリッヒ作品の集大成とも言える内容で、私は大満足できた。
もちろんエメリッヒ作品なので、間抜けな部分やおかしな部分は当然にある。
ただしマイケル・ベイやローランド・エメリッヒの映画は「そういうものだ」と分かって楽しむべきものであり、わざわざつっこむのも野暮というやつだろう。
それはクリストファー・ノーランの映画に向かって「難しい」「訳わからん」「生真面目」と文句を言うのと同じで、無意味である。それが彼らの作家性なのだから受け入れて見るしかない。
ではエメリッヒ監督作品としてはどうなのかというと、冗談ではなく本気で彼の最高傑作ではないかと思う。
地球的規模の危機をミニマルな人間ドラマに集約するというエメリッヒお馴染みの作劇は本作でも生きているのだが、人間関係を効率よく裁いていく前半1時間の流れるような手際には恐れ入った。
悪化する世界情勢と主人公たちのドラマをリンクさせながら映画を展開させていくという手法なんてもはや神がかっており、うまく話をまとめていくものだなぁと感心しっぱなしだった。
また深刻になりすぎるとユーモアを入れて観客をリラックスさせるというバランス感覚も、個人的には好みである。
負け犬が地球を救う
負け犬や異端児が地球を救うという『スターゲイト』(1994年)以来の定番ドラマにも、やはり胸に迫ってくるものがある。
主人公ブライアン(パトリック・ウィルソン)はベテラン宇宙飛行士であり、かつて困難な着陸に成功してクルー全員の命を救い、英雄と称された人物である。
しかし2011年のミッションにおいて、船外活動中に謎の物体に襲われてクルーを1名失った上に、物体の話を誰からも信用されず彼の不手際で部下が死んだということにされたものだから、英雄から一転していわくつきの元飛行士となった。
それからの10年間、ブライアンは仕事も家庭も、大事な息子との絆も失い、完全に腐ってしまっていた。
しかし世界的危機に直面し、再び宇宙飛行士として打って出ることとなる。この構図にはやはり燃えるものがありますな。
特に熱いのは息子ソニー(演じるのは『ゲティ家の身代金』のチャーリー・プラマー)との関係性で、かつて宇宙飛行士の父を尊敬していたソニーは、いまや警察のご厄介になるほどの不良少年である。
少年期において父への尊敬や信頼が強かった分、その失望が現在の素行に反映されているのだが、かといって父を完全に見切ったわけでもない。
心の底では父を信じる気持ちを持ち続けていたようで、今回の騒動でその証言が真実だったことを知るや、「やっぱりそうだったんだ」と態度を一気に軟化させる。
この親子の絆が絶妙で、泣きそうになるくらい良かった。
もう一人の主人公は自称科学者のハウスマン(ジョン・ブラッドリー)。
彼は宇宙に対する憧れを持ち、若い頃にはNASAへの入所も希望していたのだが、学歴があるわけでもないただのオタクだったので結局何者にもなれず、現在はごく少数の仲間内で陰謀論を披露することに生きがいを見出している。
実生活ではファストフード店でのバイトと痴呆症を患う母親の介護をしており、自分を本当の科学者だと思い込んでいる母親に対して「違うんだよ」と言い聞かせている。
仲間内では科学者ぶって振舞っているくせに、本心では自分でも本物ではないことが分かっている、そのギャップが悲しくなる。
なのだが、月が迫ってきているという今回の危機にいち早く気づき、「月は人工の建造物である」というトンデモ論も事実であると証明されたことから、彼は対策の中心人物になっていく。
まぁまぐれ当たりの部分もあるのだが、これまで熱心に取り組んできた甲斐あって軌道計算などのスキルはNASAの人材に比肩するレベルであり、プロジェクトのブレーンとして十分な機能を発揮し始める。
今まで無視され続けてきたが、それでも諦めずに蓄積したものが無駄ではなかったことが証明される。この構図にも燃えるものがあった。
好きなことをやり続けるのは大事なことだというエメリッヒの人生哲学が込められているようでもあった。
ディザスターの満願全席
エメリッヒ印のディザスター描写は今回もたっぷり楽しめる。
天体ものなので隕石が降ってくるという描写が入るのは当然のこととして、月が迫ってくるとあっては潮の満ち引きが津波レベルとなり、沿岸部の都市が破壊される。
さらに月が迫ると海水が吸い上げられて巨大な水柱になったり、さらに迫ってくると人間までが吸い上げられそうになったりと、奇想天外な見せ場が連続して目を楽しませてくれる。
その他、爆破、地割れ、パニックと、考えうるディザスターをすべてぶち込んでくれており、エメリッヒのサービス精神には相変わらず恐れ入った。
いきなり『コンタクト』 ※ネタバレあり
そして最後に分かったのは、数十億年前に月を建造した異星人たちこそが、地球に生命をもたらした者達だったということである。
その種族はすでに滅ぼされているのだが、そのマインドは月内部に宿っていてブライアンに交信をしてくる。ただし実体がないので、ブライアンの思い出の中に彼らが登場するという方式をとる。
ここでいきなり『コンタクト』(1997年)になったことには驚いたが、ハードSFの傑作である同作とエメリッヒの相性が良いはずがなく、ここから映画はグダグダになっていく。このオチだけはいただけませんでしたな。
エメリッヒは愚直に破壊だけをやってれば面白いのに、どうして最後にSFとして真っ当に評価されようとしたんだろう。