ペイルライダー_もうちょっとで傑作だったのに【7点/10点満点中】(ネタバレなし・感想・解説)

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中世・近代
中世・近代

(1985年 アメリカ)
カーボン渓谷と呼ばれる小さな村では、金採掘権を奪いたい地元名士が住人達への嫌がらせをしていた。そんな中、謎のガンマンがその土地に現れ、住人たちの用心棒として留まることにした。

©Warner Bros.

登場人物

名無しのガンマン

  • 牧師(クリント・イーストウッド):通りすがりの名無しのガンマン。詰襟の服を着ていることから牧師さんと呼ばれるようになった。ラフッド一味にからまれていたハルを助け、その後はしばらく用心棒としてカーボン峡谷に居付いた。背中に6つの銃痕がある。

カーボン峡谷の住人

  • ハル・バレット(マイケル・モリアーティ):カーボン峡谷で金採掘をしているグループのリーダー的存在。グループ内での発言力はあり、また対立関係にあるラフッド一味の影響下にある街への出入りも臆さずする勇気の持ち主だが、腕っぷしは弱く小市民的な側面が強い。買い出しの際にラフッド一味にからまれたところを牧師に救われたことから、彼を用心棒として使うことを考えて、カーボン峡谷に連れてきた。
  • サラ・ウィーラー(キャノー・スノッドグレス):ミーガンの母。夫に去られたシングルマザーで、現在はハルに面倒を見てもらっている。当初は牧師を胡散臭がっており、家に泊めようとするハルの意見に反対していたが、用心棒として優秀だったことから彼を受け入れるようになった。その後牧師に惚れたものの、最終的には平凡だが実直なハルとの関係を選択した。
  • ミーガン・ウィーラー(シドニー・ペニー):15歳になるサラの娘。冒頭で愛犬を殺された彼女の祈りに応えるような形で、牧師が峡谷に現れた。牧師に惚れたが、大人の対応でやんわりと拒否された。
  • スパイダー(ダグ・マクグラス):息子たちと共に一攫千金を狙って金採掘をしている。なかなかの貧乏ぶりだったが、終盤で金塊を掘り当てて一発逆転。…と思いきや、調子に乗ってラフッド一味を挑発しに行ったところ、ストックバーンが街にやってきたところというタイミングの悪さもあって、ストックバーンに射殺された。

ラフッド一味

  • コイ・ラフッド(リチャード・ダイサート):かつて金採掘でひとやま当てた街の名士。現在はカーボン峡谷の採掘権を狙っており、住人達への嫌がらせをしている。ただし本質はビジネスマンのようで、カーボン峡谷の住人達に公正な立退料を支払うことで円満に解決するという方法も牧師との間でいったんは見出した。
  • ジョシュ・ラフッド(クリス・ペン):コイの息子で、マクギルからは「坊ちゃん」と呼ばれている。カーボン峡谷への嫌がらせの筆頭であり、ミーガンを強姦しようとするなど、かなり悪質。演じるクリス・ペンは、後にイーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』(2003年)に主演してオスカーを受賞したショーン・ペンの弟。
  • マクギル(チャールズ・ハラハン):コイの腰巾着で、その部下達をまとめている。ハルへの嫌がらせには積極的に参加するが、牧師登場後にはビビって前線に立たなくなる小物。こういう小物が居てこそ西部劇は盛り上がるのです。演じるチャールズ・ハラハンは、『遊星からの物体X』(1982年)で心臓マッサージ中に胴体が突然大きな口になったり、もげた頭から足が生えてテケテケと逃げ出したりと、劇中もっとも特徴的な死に方をしたことで一部の映画ファンから非常に有名な人です。
  • クラブ(リチャード・キール):ラフッド配下の大男で、邪魔者である牧師を脅す目的でジョシュと共にカーボン渓谷に乗り込んだが、返り討ちに遭わされた。その一件で牧師に一目置くようになったと同時に、ラフッド一味の悪行には同意できない部分もあったようで、終盤では牧師の命を助ける場面もあった。演じるリチャード・キールは2m18cmの巨体で世界一大柄な俳優として有名でした。
  • ストックバーン(ジョン・ラッセル):金さえもらえば殺しでも何でもやる悪徳保安官。カーボン渓谷の住人と牧師を排除するため、コイ・ラフッドに雇われた。

感想

神格化されたガンマン

イーストウッドの出世作は『荒野の用心棒』(1964年)ですが、そこでの役名はジョー。ジョーとは名前が分からない男性に付ける仮称のようなものであり、その本名も正体も謎のままでした。そして『荒野の用心棒』は黒澤明監督の『用心棒』(1961年)の翻案作品でしたが、『用心棒』の主人公もまた、たまたま見かけた桑畑にちなんで桑畑三十郎と名乗っているだけで本名は不明。また『用心棒』はダシール・ハメットのハードボイルド小説『血の収穫』(1929年)の影響下にありますが、そちらもまた主人公が「俺」と名乗っているだけで本名は不明でした。

どこから来て、そしてどこへ行こうとしているのかも分からない名無しの主人公には、正義を為すために現れた神の化身のような雰囲気が漂うのですが、本作の主人公”牧師”は、その路線を極限にまで突き詰められた存在となっています。

ミーガンの祈りに応えるようなタイミングでカーボン峡谷に姿を現し、一切のピンチに陥ることなく多勢を倒して回ります。会話をしても感情の揺らぎがなく、敵の脅しにもまるで動じません。背中の銃痕に係る説明はないものの、これだけ撃たれたら普通死んでるだろというほどの深い傷であることが、無念の死を遂げた者の器を借りて神が降臨したというバックストーリーを連想させます。

マカロニウェスタンで名無しの主人公を演じ続けてきたイーストウッドは、人間とは思えない超越的な主人公役に見事な説得力を与えています。

「卑劣ないやがらせからの逆襲」という鉄板の流れ

アメリカの西部劇も日本の時代劇も、主人公やその周辺人物が忍従を重ねた末に悪党へと逆襲し、追い込まれた悪の総元締めに死ぬほどの後悔をさせるというカタルシスが鉄板の流れとなっていますが、本作においてもその定型がきっちりと守られています。

ラフッド一味は集団で寄ってたかってハルひとりを暴行するようなクズ中のクズの集まりで、カーボン峡谷の住人達はその嫌がらせにひたすら耐えています。そこに牧師が現れ、圧倒的な戦闘スキルでラフッド一味を片付けていく様の爽快感には堪らないものがありました。安定の面白さですね。

カーボン渓谷の住人達がアホすぎる点はマイナス

ただし、その庇護の対象であるカーボン渓谷の住人達がアホ揃い。彼らのアホな行動がトラブルを引き寄せているような面もあり、その点にストレスを感じました。

例えば、牧師とコイ・ラフッドが手打ちの金額を話し合い、住人に対して十分な立退料を提示するところにまで持って行ったにも関わらず、住人達が妥協しなかった場面。ここでの金額はラフッド側が最大限に折れたと言える程度のものであり、ここで妥協できないのなら次は全面対決しかないという局面だったにも関わらず、住人たちは弱っちいくせに「ここは俺らの土地だ。金で奪われてたまるか」みたいなおかしなプライドを燃やしてこの提案を蹴ってしまうのです。それを主張できる立場か、あんたらはという感じでした。

また、巨大な金塊を掘り当てたスパイダーが、わざわざラフッド一味を挑発しに行く場面。このまま勝ち逃げできるところなのだからさっさと峡谷を離れればいいものを、「おい、ラフッド!俺は金持ちになったぞ!」と掘り出したばかりの金塊を持ってフラフラと街の酒場に出向いて行くという、死亡フラグがぶっ刺さったかのような行為は見るに耐えませんでした。

まとめ

伝統的な西部劇の面白さがあったのですが、アホな住人達というノイズがその面白さを邪魔していました。もう一歩で西部劇の決定版となったかもしれないのに、脚本レベルの詰めの甘さが全体のクォリティを押し下げたという印象です。

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