ロッキー【傑作】もはや人類の教科書(ネタバレあり・感想・解説)

(1976年 アメリカ)
素質はあるが芽が出ないまま30歳を迎えたボクサーのロッキーに転機が訪れる。世界チャンピオンのアポロ・クリードの対戦相手が怪我をしたことから無名の新人にチャンスを与えるという急ごしらえの企画が立てられ、その対戦相手としてロッキーが選ばれたのだった。

アメリカンニューシネマを終わらせた映画

1970年代はアメリカンニューシネマの嵐が吹き荒れていた時代でした。アメリカンニューシネマとは従前のハリウッドの絵空事を否定し、現実社会の容赦のなさを写実的なタッチで描いた作品群であり、体制に苦しめられる若者という世代間対立が共通するテーマでした。そしてアンチヒーローが体制に挑んだ後に、悲劇的な結末を迎えることが大きなパターンとなっていました。

本作にもその影響ははっきりと表れています。ロッキーは30歳を過ぎて何者にもなることができず貧困に苦しんでおり、エイドリアンも兄ポーリーからの心ない言葉に耐えながら生活しています。若者の苦悩が作品の大きな背景となっています。

ロッキーが世界チャンプから面白半分に担ぎ出され、公開スパーリングにしかならないマッチメイクをされたというストーリーからも、どこか個人vs体制のニューシネマ的なものを感じます。

加えて、低予算映画を多く手掛けてきたジョン・G・アビルドセンが本作でも冬のフィラデルフィアでのロケを多用した結果、寒々とした写実調のルックスが出来上がっています。途中まで本作はアメリカンニューシネマなのです。

ただしこの映画が他のアメリカンニューシネマの作品群と大きく異なるのは、伝統的な人情劇との折衷に成功しているということです。

この映画には随所に温かみがあります。高利貸しのガッツォさんや、エイドリアンを苛めるポーリーなど、通常であれば悪役に位置付けられるべきキャラクターであっても、彼らなりにロッキーに協力しようとします。

それはロッキーの掴んだチャンスに便乗して利益を得ようとするものではなく、知り合いがとてつもなく大きな目標に挑もうとしているから、自分も何かやってあげようという純粋な気持ちからくるものです。

また、その協力の度合いが丁度いい塩梅なのです。ガッツォさんはロッキーに500ドルを渡してあげたり、ポーリーは勤務する精肉工場のステーキ肉をロッキーに食べさせたりと、彼らの善意に過剰な部分がないという辺りがいいのです。

こうした人情劇が世代間対立というアメリカンニューシネマのテーマの一角を崩し、一時期は絵空事として拒否された「良い話」を復活させました。本作はアメリカンニューシネマを終わらせた作品の一つだと言えます。

ロッキーの人物像が万人に沁みる

本作でもっともグッとくるポイントは、鏡に貼られた少年時代の写真と、鏡に映る現在の自分の姿を見比べたロッキーが「なぜこうなったんだ」という表情を浮かべるところです。

夢破れた者の抜け殻。なりたい自分になれる者はごく少数であり、多くの者は適当なところで妥協するか、叶わないことがほぼ分かっている夢にしがみついたまま無為に時間を過ごすのかのどちらかです。ロッキーもまた夢叶わなかった大衆の側にいるからこそ、多くの人々から共感を受け続けているのです。

アポロから思わぬチャンスを与えられた後のロッキーの目標設定も良くて、もしここで打倒チャンプを掲げていれば興ざめでしたが、最後までダウンを取られないこと、チャンプ相手に胸を張れる試合をすることで自分の尊厳を取り戻すことという、底辺ボクサーでも目指せるギリギリのラインに設定した辺りが絶妙でした。

偉大なるメンターの存在

今まで芽が出なかったロッキーがなぜ世界チャンピオン相手に善戦できたのか。この点については合理的な説明がなされています。

トレーナー・ミッキーの存在。若い頃にはチャンピオンに近い位置にまで行ったことのある人物だからこそ、ミッキーは上位ランカーの戦い方を心得ていました。加えて長年ロッキーを見ているからこそ彼の特徴やクセを知り尽くしており、チャンプと互角に渡り合う位置にまでロッキーを持って行くことができました。ミッキーの存在により話は荒唐無稽にならずに済んでいます。

また二人の師弟関係が良いんですよね。 ミッキーはこれまでロッキーを屑扱いして目もくれなかったにも関わらず、千載一遇のチャンスを掴んだ途端に擦り寄ってきます。これを手のひら返しと受け取ったロッキーは激怒し、今までの不満をぶちまけて二人の話し合いは決裂します。

「なんで今みたいなことを18歳の俺にしてくれなかったんだ!」

人生の時間を無為に過ごしてしまったロッキーの悲痛な叫びに「これは本心だな」と思ったミッキーは退散するのですが、さみしく去っていく老人の背中を見て「言い過ぎた」と反省したロッキーがミッキーに詫びに行く。何度見てもここではグっときてしまいます。

燃えるファイトシーン

ファイトシーンは怒涛の迫力でした。まずリングアナウンサーや解説者の存在により「テレビで見るボクシングの試合」のルックスを作り上げており、観客がリアリティを感じられる構図となっています。最近でこそよく見られる構図ですが、こんなことを初めてやった映画は本作が初のような気がします。

器用な監督ジョン・G・アビルドセンの演出によってリング上の試合は本当に殴り合っているように見えるし、試合のテンポもよくできています。基本的にロッキーは耐える一方で根性で立っている状態なのですが、渾身の一発が相手を捉えれば大きなダメージを与えられるので、耐えながらそのチャンスを待っています。

ロッキーを舐めていたアポロが強烈な右フックを受けてボクサー人生初のダウンをとられ、「これはヤバイ」という空気が走る辺りなんて最高に燃えました。

当初の脚本ではロッキーが試合をせずにエイドリアンと会場を去って行くという訳の分からん終わり方をすることになっていたのですが、そうしないで本当に良かったと思います。

高鳴る音楽の中で「エイドリア~ン!」と叫ぶクライマックスともなると観客もノリノリ状態で、その空気感にこの過剰演出がピタっとハマっています。

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