【良作】ショーガール_ロバート・デヴィに泣かされるとは(ネタバレなし・感想・解説)

その他
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(1995年 アメリカ)
最低映画の称号を欲しいままにする作品だが、腰を据えて見てみるとそんなに悪くない。エンタメ業界の魑魅魍魎をかなり極端な形で描いた作品で、一定の真理を突く鋭さはある。

作品解説

『氷の微笑』トリオ再び

『氷の微笑』(1992年)は性的な内容ながら世界的大ヒット作となり、ほぼ無名だったシャロン・ストーンを一躍大スターの座に押し上げた。

同作の製作マリオ・カサール、監督のポール・ヴァーホーベン、脚本のジョー・エスターハスはその直後から次回作の検討に入り、ラスベガスを舞台にしたロック・ミュージカルがエスターハスより提案された。

これに乗ったヴァーホーベンはエスターハスと共に現地ラスベガスに取材に行くなどしていたが、程なくマリオ・カサールより別企画の提案を受けて、そちらを優先することに。

それは『ワイルドバンチ』(1968年)のウォロン・グリーンが脚本を書いた『クルセイド』という史劇で、『トータル・リコール』(1990年)で組んだアーノルド・シュワルツェネッガーが主演の予定だった。

その後、『クルセイド』はモロッコにオープンセットを建設するところまで進行したが、その途中で資金難に直面。

1億ドル以上の製作費がかかるという見通しが明らかになったことからマリオ・カサールは難しい判断を迫られ、ほぼ同時期に進行していたレニー・ハーリン監督の海賊映画『カットスロート・アイランド』(1995年)に資金を集中し、『クルセイド』は製作中止とされた。

いまだに「『クルセイド』を見たかった」と言う映画ファンは多い。

こうして体の空いたポール・ヴァーホーベンは本作に戻ってきた。

ただし初期稿はエスターハスが以前に製作した『フラッシュ・ダンス』(1983年)とあまりにも似通っていたことから大幅な修正が必要であり、その結果、いかにもヴァーホーベンらしい誇張されたアメリカ文化という作風になった。

製作費は4500万ドルと非アクション映画としては異例の巨費となったが、フランスの会社が出資を決定したことで金の問題は片付いた。この頃のヴァーホーベンは大ヒット請負人として圧倒的な信頼を得ていたのだ。

制作陣は新人ダンサーにドリュー・バリモア、ショーのスターにマドンナのコンビを望んでいたが、あまりのヌードの多さにバリモアは二の足を踏む。

主人公のノオミ役を探すためのオーディションが行われ、シャーリーズ・セロンやアンジェリーナ・ジョリーもその候補に入っていたといわれるが、トップレスどころかアンダーヘアまでを晒すことが決まっていた上に、ダンス経験はマストだったことから対象者はほぼ絞られており、全くの無名だったエリザベス・バークレーが選ばれた。

撮影現場は恐ろしくド派手だったが、当時マリオ・カサールが製作していた他の映画と比較すると金額的インパクトは小さくて誰も気に留めなかったので、ポール・ヴァーホーベンは好きにやれた。

その結果、性的表現はどんどん過激なことになっていき、のちのインタビューでヴァーホーベン自身が「あれはやりすぎた」と反省するに至る。

90年代最悪映画

本作は公開されるや凄まじい酷評に遭い、その年のラジー賞では13部門ノミネート、最低作品賞を含む7部門を受賞という空前の悪評を受けた。

オランダ人のヴァーホーベンはラジー賞というものを知らなかったのだが、知り合いの記者から君の作品が対象になっているよと教えられ、授賞式に行ってみようと誘われた。

かくしてヴァーホーベンは実際に授賞式に現れた史上初の受賞者となり、自分の失敗を認める潔さと懐の広さに賞賛が集まった。

2000年には1990年代最悪映画賞も受賞したが、あれはラジー賞側からの敬意の表明と解釈すべきだろう。

ビジネス的には成功した

4500万ドルの製作費に対して、興行ではたったの2000万ドルしか稼げなかった。劇場公開時には大赤字だったのだが、ソフトで巻き返す。

やはりエロは強いらしく、セルとレンタルあわせて1億ドル以上を稼ぎ、MGM史上もっとも稼いだホームメディアの一つとなった。

ヴァーホーベンが本作のことを笑って話せるのは、ビジネス的には成功して関係者を損させなかったからだろう。

なお、本作の内容をほめる人も少なからずいて、映画監督のジム・ジャームッシュやアダム・マッケイは作品に込められた風刺を評価している。またクエンティン・タランティーノは搾取を描いた作品としてその重要性を認めている。

また著名な映画評論家のロジャー・イーバートは、悪評の存在は認識しているが、言われるほど悪くはないとしている。

感想

言われるほど酷くはない

失敗作だの最低映画だのと酷い言われようだが、なんだかんだで知名度は高い作品。悪名は無名に勝るという諺を地で行っていると思う。

私の初遭遇は信じられないことにテレビの地上波放送だった。一昔前には年末年始の深夜枠で大量の映画が放送されていたのだが、その中の一作として断片的に見た記憶がある。

21世紀初頭までテレビ地上波はやりたい放題で、深夜帯ならば裸はいくらでも映してOKという状態だった。そこに正月のめでたい気分も乗っかって、成人映画でも流しちゃえとなったのだろう。

ただし、当時の私は歴史的駄作という前評判に引っ張られすぎて映画として真面目に見ようとしていなかったうえに、エロ目的で見るにしても裸があまりに多すぎるので、数十分で飽きて観るのをやめてしまった。

なので全編を見たことは一度もないのだが、この度、突然思い立ってBlu-rayを買ってしまった。このサイトでもよく書いているが、つまらない可能性が高い作品でもソフトを買ってしまうというおかしなクセが私にはある。

そのセンサーに今回はショーガールが引っ掛かったのである。

で、全編を見た感想だが、確かに面白くはない。面白くはないんだけど、90年代随一の駄作というほど酷くもない。これよりも酷い映画はいくらでもある(『ハドソン・ホークス』(1991年)とか)。

またポール・ヴァーホーベンの演出意図を考えながら見ると、さほど外した部分もないように思う。

登場人物全員ゲス野郎

本作でヴァーホーベンが意図したのは、アメリカ大衆文化の誇張だろう。大量消費社会やメディアを皮肉った『ロボコップ』(1987年)や、正義のための戦争を皮肉った『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)などとも通底した、ヴァーホーベンの十八番である。

本作で皮肉っているのはバカみたいに肥大化したエンタメと、そんなエンタメに漠然とした夢を見出す頭の悪い若者と、そんな若者をうまいこと言って搾取する悪い大人達の歪な関係性である。

主人公のノエミ(エリザベス・バークレー)は田舎からラスベガスに出てくる。金がないのでヒッチハイクだが、露出度の高い服を着ていれば男はホイホイ車に乗せてくれる。相手はスケベ心全開だと分かっているのでナイフを見せて威嚇。

そんなノエミの夢はダンサーになること。しかしダンサーとしてどの程度の素養があるのか、どんなダンサーになりたいのか、見ているこちらにはちっとも伝わってこない。ただ漠然と「ラスベガスでダンサーになりたい」と言っているだけのバカなのである。

運良く大手ホテルの看板ショーへの出演チャンスを掴むのだが、これが出演者全員裸で踊り狂うというイカレた内容で、実のところ一大ストリップショーでしかない。

実態は裸目当ての下品なショーなのだが、芸術性やエンタメを口実にすることでそれなりにパッケージ化されており、若者たちは実態も分からずホイホイと参加してしまう。そして下劣な主催者たちは美しい若者たちを食い物にする。

右も左も分からないオーディション会場で「よし服を脱げ!」「君のおっぱいは綺麗だな!」「乳首を立たせて来い!」とか、もうめちゃくちゃなんだけど、それらしきおっさんが言ってるのでノエミは「これも芸術の内か」と納得してしまう。

ショーの責任者はザック(カイル・マクラクラン)という男。いかにもやり手らしい風情で、それらしきことを滔々と語りもするんだけど、実態は出演者に手を出す下衆野郎である。そしてノエミは枕営業でザックに気に入られる。

出演者は出演者で足の引っ張り合いをしており、ライバルを蹴落とすため舞台に小細工をするくらいのことは平気で横行している。

唯一、ダンスのことを真面目に考えていそうなのは『スピード』(1994年)でキアヌ・リーブスに車を奪われたお兄ちゃんで、彼はノエミに対して「君にはダンスの素質があるから僕のところに来い」と言ってしつこく勧誘。

今でこそ落ちぶれてはいるが、過去に何事かを成し遂げたことのあるような口ぶりであり、『あしたのジョー』の丹下団平や香港映画のカンフーマスターを思わせるので、彼がノエミのメンター役になるのかなと思う。

しかしこのお兄ちゃんもダンスを口実に女性をナンパしているだけの男で、ダンサーとしては二流もいいところ。舞台では観客からのヤジを受けている。

隅から隅まで登場人物が下衆野郎揃いというのが本作の素晴らしいところである。

ロバート・デヴィに泣かされるとは

そんな物語だが、まともな心を持った人間もわずかながら登場する。

それはラスベガスに流れ着いた当初のノエミが食い扶持を得るために勤務した、場末のストリップ小屋のおじさんとおばさんである。

うちおじさんを演じているのはロバート・デヴィで、80年代から90年代にかけてのアクション映画でよく見かける顔だった。

ラスボス格だった『007/消されたライセンス』(1989年)という例外こそあれど、多くの場合はセコイ小悪人を得意とし、ブルース・ウィリスの足を引っ張る無能なFBI捜査官を演じた『ダイ・ハード』(1988年)や、ダニー・グローバーの足を引っ張る無責任なテレビレポーターを演じた『プレデター2』(1990年)辺りが代表作というブレのない御仁である。

そんなロバート・デヴィなので、本作のストリップ小屋のおやじもゲスい感じで登場する。

趣味の悪いスーツに身を包み、マシンガンのように話すのだが、その内容の9割は下ネタと金の話というどうしようもない奴で、これぞ風俗産業の男と言える。

ただし彼には嘘がない。女の子を騙して裸にしているわけでもなければ、うまいこと言って自分に奉仕させようともしていない。

自分たちがやっているのは場末のストリップ小屋であり、人生の一時期、こういう業界に入らざるを得ない女の子たちもいる。そして自分は彼女らと持ちつ持たれつでいるという、フェアな精神の持ち主なのである。

だから、一流ホテルのショーに引き抜かれていったノエミのことを心配している。あそこは虚飾に満ちた場所で、容赦なく若者の夢や心が食い物にされる。

居ても立っても居られなくなったおじさんはノエミに面会に行くのだが、かける言葉がない。「いつでも戻って来いよ」という思いこそあれど、ストリップ小屋なんて戻ってくるべき場所ではないからだ。

彼はノエミに何の解決策も提示してあげられないのだが、それでも彼女の身の上を純粋に心配するという思いだけは溢れ出ている。

ストリップ小屋であれだけ喋りまくっていたおっさんが所在なさげに黙りこくってしまう場面で、私は涙が溢れそうになった。まさかジョンソン捜査官に泣かされそうになる日が来るとは思わなかった。

こう書き連ねてみると、案外良い映画なのかもしれない。

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