(1992年 アメリカ)
スタローンが自身の最低作と認める駄作で、コメディなのにまったく笑えない前半部分は確かに酷い。しかし親子のバディで事件解決する後半部分は、割と真っ当なクライムアクションでそこそこ楽しめる。

感想
中学時代の私は、ランボー初期3作品や『コブラ』、『デッドフォール』、『ロックアップ』などをベビロテで見るほどのスタローンファンだった。
そんな当時の私でも擁護のしようがなかったのが本作『刑事ジョー ママにお手あげ』である。
初見はゴールデン洋画劇場で、確か中3の頃だったと思う。
同じくスタファンだった川村の家で録画を見たのだが、あまりの壮絶なスベりっぷりに二人とも凍り付いた。
とはいえご本尊のように崇めていたスタローンを腐していいものか、川村と私は互いに「あいつはどう言うのだろう」と反応を探り合っていた。
無理やりにも「面白かった」と言ってこの場をやり過ごすという選択肢も私にはあったのだが、一方川村は正直な男だった。
「・・・つ、つまらんかったよな?」
川村が本当のことを言ってくれたおかげで肩の荷が下りた私も、彼の意見に同調した。
人間、正直であることが何よりも大事だということを学んだ15の夜だった。
以降、本作を見返すことは長らくなかったのだが、この度、午後のロードショーさんが放送してくださったので、あらためての鑑賞となった。
しかし青春時代に受けた印象はあまりに強く、午後ローで放送されたのが6月のことだったが、ようやっと録画を見たのは10月に入ってから。実に3か月以上もの間、男なのにグズグズしていたのである(©宇宙刑事)。
で、あらためて見ての感想だが、記憶していた通りコメディとしては相当に酷い。まったく笑えない。
スタローンが扮するのはジョー・ボモウスキー刑事。冒頭では手荒な捜査で犯罪者を追い詰めるジョーの雄姿が描かれるのだが、彼の弱みは田舎のお母さんだった。
気ままな独身ライフを送るジョーの元にママが押しかけてきて、10代の子どものように扱われる。こうしてタフガイ=スタローンの面目が丸潰れになるというのが作品の骨子である。
本作のプロデューサーを務めたのは『ツインズ』(1988年)でアーノルド・シュワルツェネッガーのコミカルな面を引き出したアイヴァン・ライトマンで、脚本を手掛けたウィリアム・オズボーンとウィリアム・デイヴィスもまた『ツインズ』の関係者だった。
確かな実績を持つチームの作品だけあって、アクション俳優として停滞気味だったスタローンは大船に乗った気分でいたのだろうが、これが思わぬ泥船だった。
スタローンが本作の脚本を受け取ったのと同時期、シュワルツェネッガーにもオファーが行っていたのだが、コメディにおいては一日の長のあるシュワはこの脚本がクソであることを見抜いていた。
そしてアクション俳優としては目の上のタンコブだったスタローンを追い落としたいシュワは、自分が本作に関心を持っているという噂をハリウッド界隈で流して、スタローンが慌ててこの企画に飛びつくよう仕向けたのだった。
後に『エクスペンダブルズ』シリーズで心温まる友情を見せるシュワ・スタコンビとは思えないほどのドロドロエピソードだが、兎にも角にもその見立て通りになったのだから、当時のシュワの慧眼、恐るべしというところである。
そのシュワも後には『ジングル・オール・ザ・ウェイ』(1996年)や『バットマン&ロビン』(1997年)といった恐ろしいものに出演することとなるのだが、それはまた別の話ということで・・・
本作でジョーのママ役を演じるのは、80年代のシットコムで次々とヒットを飛ばしたエステル・ゲティ。
小柄なゲティとムキムキのスタローンという、絵的に面白いコンビを作り上げたことは『ツインズ』チームの成果ではあるが、このコンビをどう動かすのかという点で完全に行き詰っている。
幼少期のジョーの話をして恥をかかせるママというネタをひたすらに繰り返すだけなのだ。
ゴールデングローブ賞やエミー賞のコメディ部門での受賞歴豊富なゲティをしても面白くないのだから、よほど脚本の出来が悪いのだろう。
加えてスタローンの受け身演技がうまくないので、ボケとツッコミが機能していない。
結果、ゲティが振り切った演技をすればするほど「何?この変なおばさんは」という白けた空気になる。
ジョーに迷惑をかけまくっているという自覚だけはあるママは、息子へのプレゼントに銃を買いに行く。
しかし正規の銃器店では入手に2週間はかかるということを知らされたママは、路地裏の密売屋からサブマシンガンを購入。
「毎度あり」と言ったその瞬間、密売屋はマフィアに襲われ、ママは殺人事件の目撃者になってしまう。
こうして本筋が動き出すのだが、すべてがママの非常識な行動を起点としているので、彼女は迷惑だが愛すべき人物ではなく、ただのトラブルメーカーにしかなっていない。
元の脚本では、ママはジョーの恋路の邪魔をするなど醜悪な人物として描かれていたらしく、それだとトラブルメーカーぶりと整合するので筋も通ったような気がするのだが、ゲティの出演が決まった際に、彼女を愛すべき人物とするよう脚本が書き換えられたらしい。
ここで全体のバランスが狂ったのだろう。後にスタローンも、元の脚本通りならもうちょいマシだったんじゃないかと分析している。
かくしてまったく面白くないドタバタ劇が繰り広げられる前半部分では、ママに恥ずかしい話をされた時のジョー並みに私の表情も死んでいたのだが、ストーリーの折り返し地点から映画は息を吹き返す。
それまでひたすら素っ頓狂な態度を繰り返していたママだったが、殺人事件の様子をジョーに話す際に驚くべき洞察力と記憶力を披露し、タダモノではなかったことを息子と観客に対して見せつける。
ここからジョーとママは一風変わったバディとして捜査を開始し、やがて銀行家による陰謀にまで辿り着くこととなる。
体力担当のジョーと推理担当のママという役割分担は月並みながらもよくできているし、後に『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997年)を手掛けるロジャー・スポティスウッド監督のアクション演出も冴えている。
滑走路から飛び立たんとする飛行機にスタが運転するトラックがぶつかっていくというクライマックスなんて『フェイス/オフ』(1997年)や『96時間/レクイエム』(2014年)を先どっていたし、バディアクションとなる後半部分はなかなか見れたものだった。