(2009年 アメリカ)
SFアクションの凡作。テクノロジーを扱ったSFの割に世界観に魅力がないし、アクションにもこれと言ったものがない。浅いドラマに重いメッセージを乗っけたことで作品全体が崩壊気味で、90分未満というかなり短い上映時間にも関わらず、途中で飽きてくる。
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作品解説
コミック原作をジョナサン・モストウが監督
本作は2005年から2006年にかけて出版されたコミックを原作とした作品であり、ディズニーが映画化権を取得。
女優のエリザベス・バンクスとその夫で映画プロデューサーのマックス・ハンデルマンがプロジェクトを進めており、『U-571』(2000年)のジョナサン・モストウが監督に、『ゲーム』(1997年)のマイケル・フェリス&ジョン・ブランカトーが脚本家として雇われた。
この3人は『ターミネーター3』(2003年)や『ザ・ボディガード』(2017年)でも組んでいる仲良しチームである。『ゲーム』(1997年)はもともとジョナサン・モストウが監督する予定の企画だったし。
また主演には、『アルマゲドン』(1998年)や『シックス・センス』(1999年)などでディズニーとの付き合いの深いブルース・ウィリスが起用された。
興行的には失敗した
2009年9月25日に全米公開されて初登場2位を記録したものの、翌週には売上高が45%も減少して4位にまで落ち込み、全米トータルグロスは3857万ドルに留まった。製作費8000万ドルのSFアクションとしてはかなり悪い数字である。
ブルース・ウィリスのネームバリューもあって海外ではある程度巻き返したが、それでも8386万ドルで、全世界トータルグロスは1億2244万ドルに留まった。
映画館側の取り分や広告宣伝費を考えると製作費の3倍が損益分岐点と言われているが、本作はそれを大幅に割り込んでおり、かなりの赤字が出たもの思われる。
感想
時代を14年先取りしていた凡作
作品評が悪かったこともあり、劇場公開時にはスルーして、ソフト化された際にBlu-rayで見た作品だが、当時からパッとしない映画だという印象で、その後、特に見返すこともなかった。
なんだけど、最近ニュースで「アバター婚」なるものを見て、そこで思い出したのが本作だったので、ディズニープラスで再見することにした。
「外見より性格が多数派」アバター同士の驚く恋愛メタバース上での恋愛はどうなっているのか(東洋経済オンライン 2023年2月9日)
きっかけとなったアバター婚について軽く触れておくと、メタバース空間で自分のアバターを操る男女が交流するというもので、外見や性別に囚われることなく、相手の内面のみで関わり合いになれるのが良いってことらしい。
で、アバター同士が親しくなってきたところでLINEなどを交換して人間同士の付き合いに発展させ、やがてリアルで会ってみるというのが想定される流れのようなのだが、そこまで漕ぎつけて交際にまで至った例が、今のところどれだけあるのかはよく分からない。
メタバース上の交流からリアルで会うという点に大きな断絶があるような気がして、個人的にはまったくうまくいくモデルだとは思えないが。
「外見に囚われたくない」と言っているのは、自分自身も外見で判断されたくないという思いを持っている、すなわち自分の外見にも自信のない人たちだろうと思われるので、アバター越しに仲良くなった相手に対して自分の姿を見せることには、凄まじい抵抗があるんじゃなかろうか。
かわいいアバターでハードルを上げまくった分、余計に自分の顔を晒しづらくなり、結果、バーチャルな関係に終始する例が大半だろうと思われる。
そういうものだと思って楽しむのなら全然いいと思うのだが、リアルな恋愛に繋がっていくものだとは期待しない方がいいと思う。
と前置きが長くなったが、この「自分を託した代替物による社会活動」を14年先取りしていたのが本作だったので、着想に先見性はあったということになる。
ただし良いのは着想部分だけで、テクノロジーや世界観の具体化には失敗している。「こういう未来が本当に訪れるかもしれない」という感覚を観客に抱かせることには失敗しているのだ。
近未来、サロゲートと呼ばれる身代わりロボットの普及率が驚異の98%に到達し、ほとんどの人はサロゲートを遠隔操作することで社会生活を送り、家からは一歩も出なくなっていた。そんな折、サロゲート越しにオペレーターが殺されるという事件が発生。
この社会においては実に15年ぶりの殺人事件であるが、担当のFBI捜査官グリアー(ブルース・ウィリス)とピータース(ラダ・ミッチェル)は、犯罪捜査の先に社会を揺るがす事項を突き止めるというのが、ざっくりとしたあらすじ。
完璧な安全が実現されたかに見えた社会だが、実は重大なエラーが秘匿されていたというストーリーは、『マイノリティ・リポート』(2002年)のようであり、『デモリションマン』(1993年)のようでもある。
すなわちSFアクションとしてはありふれたストーリーではあるのだが、そんな中での本作の特殊性はサロゲートという技術にあったといえる。
ただしこのサロゲート、ユーザー側にどんなメリットがあるのかサッパリ分からない。
代理ロボットと言われて真っ先に思いつくのは、パーマンのコピーロボットみたいに面倒な社会活動をロボットに押し付けるという機能なんだけど、このサロゲートはあくまでリモート操作なので、勤務時間中はオペレーターもがっつり拘束される。
結局仕事は自分でやるしかなく、特にオフィスワーカーにとっては何のメリットもない。
人々はクラブで遊んだり観劇に行ったりといった余暇の活動までをサロゲート越しにやっているのだが、さすがにそれは自分の体験として残したい部分ではないだろうか。
また、自分以外の人間になりきれる、コンプレックスを克服できるということがサロゲートのもう一つのメリットだと思うのだが、冒頭に登場する金髪美女(実はスキンヘッドのおっさん)を除き、この社会の人々は馬鹿正直に自分を模したサロゲートを使用している。
これでは楽しみの大部分を放棄しているに等しい。
サロゲートでは男の中の男ブルース・ウィリスだが、それを操っていたのはスティーヴ・ブシェミみたいなヘタレだった。FBI全体がマッチョに憧れるもやしっ子の集まりだったので、いざサロゲートを離れての活動となると捜査に行き詰まるって話にすれば面白かったと思うんだけど。
その他、起きている時間帯はずっとサロゲートを操作し続ける生活って逆に疲れないか、たまには外に出たくならないか、バイザーを長時間着用では全人類が近眼になるんじゃないかとか、サロゲートというテクノロジーに対しては疑問符しか浮かばない。
またここまで生身の人間が出会わなくなった社会で、どうやって出産・育児がなされているのだろうかという点もよく分からない。もしかしたら超高齢化社会を迎えているという裏テーマがあったのかもしれないが、はっきりとは言及されないので見ている側はモヤモヤしてしまう。
本作と同時期にディズニーは『ウォーリー』(2008年)を製作していて、そちらではテクノロジーにより堕落した人間性をちゃんと描けていたのだが、本作では説得力ある形で未来のテクノロジーを提示できていない。
これこそが本作最大の欠点である。
主人公のドラマが不完全燃焼
そしてブルース・ウィリス扮するグリアーの物語だが、こちらも不完全燃焼を起こしている。
グリアーは社会活動をサロゲート越しに行っているに留まらず、家の中で妻マギー(ロザムンド・パイク)とも久しく顔を合わせていない。
生身での社会活動を行っていた時期に幼い息子を交通事故で亡くしており、それ以来、サロゲートという仮面に隠れてしか生きられなくなっていたのである。
そんな2人がいかにして人生の痛みと向き合うのかというのが横軸にあったドラマ要素だと思うのだが、観客に何かを感じさせるレベルには至っていない。
問題を抱えたヒーロー像はブルース・ウィリスの十八番だし、相手役のロザムンド・パイクは後の『ゴーン・ガール』(2014年)でアカデミー賞のノミネートされる演技派なので、役者は揃っている。
にも拘わらずここまで不完全燃焼ということは、単純に脚本の完成度が低かったのだろう。
そして土台にある主人公の成長譚が弱かったものだから、テクノロジーの革新に伴う人間性の喪失という大テーマも中途半端に終わっている。
二転三転するどうでもいいストーリー
一方犯罪捜査の部分はというと、サロゲート越しに人を殺せる超兵器というものを通じて、サロゲートが抱える脆弱性を暴こうとする者と、秘匿しようとする者の争いになっていく。
そこにサロゲート最大手企業を追い出された創業者と、古巣企業のパワーゲームまで絡んできて、ストーリーはどんどん壮大になっていく。
加えて、外観と中の人が必ずしも一致しないサロゲートという設定を生かし、意外な人物がオペレーターだったという仕掛けも組みこまれており、こうして思い出してみると結構よく考えられた話だと思うのだけど、見ている間は意外なほど盛り上がらなかった。
基本的な世界観やドラマが脆弱過ぎて、「実は〇〇は××でした!」と言われたところで、「ふーん、それで?」としかならないのである。
SF作品において世界観の作りこみがいかに重要であるかを思い知らされた一作だった。