【良作】ボーン・アルティメイタム_ビターなのに爽やか(ネタバレあり・感想・解説)

軍隊・エージェント
軍隊・エージェント

(2007年 アメリカ)
ボーンの達人技は冴えわたり、敵も強力に。3部作で最大ボリュームの作品であり、激しいアクションの数々におなか一杯になった。ドラマのオチの付け方も絶妙であり、よくぞここまでやり切ったと感動した。

作品解説

脚本を書きながら撮影

『ボーン・スプレマシー』の続編を製作する予定はなかったのだが、同作が大ヒットになったことから、スタジオは続編製作を指示。

前2作のトニー・ギルロイが三度脚本を担当したのだが、マット・デイモンによると、その初期稿は読むに堪えないほどひどいものだったらしい。アカデミー脚本賞受賞経験のあるデイモンの言うことなので、恐らくその通りなのだろう。

監督デビュー作『フィクサー』が控えていたギルロイはその初期稿を残したまま製作現場を去っていき、完成後何年も本作を見ることはなかったらしい。

続いて『オーシャンズ12』のジョージ・ノルフィが雇われて脚本の書き直しを行ったのだが、それは撮影が始まってからも続いた。明確なビジョンのないまま進んでいくプロダクションは、猛スピードで迫りくる列車の前に線路を敷いていくような作業だった。

全米公開の1週間前まで編集作業を行っていたというのだから、いかに本作の現場が混乱していたかが分かる。

興行的・批評的大成功

そんな製作時点の混乱などモノともせず、完成した作品は好評を持って迎えられた。これが一流クリエイターの底力というものなのだろうか。

2007年8月3日に全米公開され、2位に2倍以上の金額差をつけるぶっちぎりの1位を獲得。全米トータルグロスは2億2747万ドルで、シリーズ最高の興行成績を記録した。

国際マーケットでも同じく好調であり、全世界トータルグロスは4億4410万ドルで、こちらもシリーズ最高の成績だった。

加えて、アカデミー賞でも3部門を受賞(編集賞、録音賞、音響効果賞)。ジェイソン・ボーン シリーズでオスカーを受賞した唯一の作品となった。

感想

ついにCIA本体が敵に

第一作はCIAの一部長の暴走だったし、第二作はCIA本部も騙されたようなものだった。

これまでCIAという組織がハッキリとジェイソン・ボーンと敵対したことはなかったのだが、今回ついに、CIAが明確な意図を持って襲い掛かってくる。

洗脳により強力な兵士を作り上げるブラックブライアー(黒薔薇)作戦を進めるCIAだが、イギリスの新聞記者に暴露記事を書かれてしまう。その情報が正確であったことから内部告発者がいると考えたCIAは記者を追い、その向こう側にいる裏切者を探し出そうとしている。

一方、前作のモスクワでのカーチェイス以降は行方をくらましていたジェイソン・ボーンも別の事情から新聞記者に接触し、CIAにその生存を認識されたものだから、この大捕り物の当事者に。

このブラックブライアー、作戦当事者がCIA局長であるため、今回は組織総出で対応に当たることとなるのである。

エシュロンを駆使して世界中の通信からターゲットと思しき人物を見つけ出し、即座に現場へとエージェントを送り込むという、圧倒的な組織力を見せつけるCIA。

これまでもCIAが個人に襲い掛かってくる映画は存在していたが、これほどまでに彼らが強力に描かれたことはなかった。

現場と指令室を交互に見せる編集の絶妙さもあり、CIAがターゲットを追い込む様には圧倒的な熱量もあって、これはこれで一つの見せ場としても機能している。

そして、CIAは巨大な官僚組織でもある。

局長をヘッドにしたピラミッド型の組織ではあるが、必ずしも一枚岩ではない。

局長の言いなりになって我が身の保全を図ろうとする者もいれば、面従腹背で状況次第では局長の首を取ってやろうとする者もいる。局長自身にも自己保身の動機があり、組織のためとは言いつつも、各自は異なった思惑を持って動いている。

このパワーゲームもまた本作の魅力となっている。

トレッドストーン≒MKウルトラ作戦

一方ジェイソン・ボーンはというと、相変わらずマリーの死への贖罪意識を持っている。

  • マリーが殺されたのは、自分が彼女の人生に関わったためだ
  • 自分がCIAの殺し屋でなければ、マリーは死ななかった
  • 自分を殺し屋に変えた奴こそ、マリーを殺したようなものだ

この三段論法で今回のボーンは動き出す。かなり強引なこじつけにも感じるのだが、とりあえずそういうことらしい。

自分を殺し屋に変えたトレッドストーン(踏み石)作戦を追いかけるボーンは、今回の暴露記事の情報源が真相を知っていると踏んで、新聞記者に接触する。

が、「情報源は教えられない」と当然のことを言う新聞記者。

なのだが、直後に記者はCIAに狙撃されて死亡。ボーンは記者の残した資料を持ち逃げして、調査を続行する。

ここで分かりづらいのがトレッドストーンに執着するボーンの心境なのだが、これはMKウルトラ作戦がモチーフになっていると考えると腑に落ちた。

MKウルトラ作戦とは1950~60年代にかけてCIAが行った人体実験である。

ジョン・フランケンハイマー監督の『影なき狙撃者』(1962年)でも描かれていた通り、当時、共産国は米軍捕虜を被験体とした洗脳実験を行っていた。

これへのカウンターとして、CIAも研究機関と連携して人体実験を行っていたのだが、被験体は自国民だった。しかも同意なく行われるケースも多かったようで、研究者さえ、実験の最終目的を知らされていなかったと言っている。

発覚を恐れたCIAは1973年に関連資料を廃棄し、全容解明は不可能となったのだが、こういうことがあったのは事実らしい。

まぁ酷い話ではあるのだが、不謹慎ながら興味深い話でもあるため、『ジェイコブス・ラダー』(1990年)、『陰謀のセオリー』(1997年)、『エージェント・ウルトラ』(2015年)など、多くの映画の元ネタとなっている。

で、本作のトレッドストーン作戦もMKウルトラ作戦の同種だとするならば、被験体は騙される形で殺し屋に改造されたことになる。恐らくボーンは、そのストーリーにすがっているのである。

自分は殺し屋として大勢を殺し、愛するマリーまでを巻き込んでしまったが、そもそもは自分も誰かに騙された被害者であると。

が、事の真相はそれほど単純ではなかったというのが本作のオチではあるのだが。

グリーングラスの達人技が頂点に達する

ともかくボーンは、CIAに追われつつもトレッドストーンの真相を追いかけるのだが、今回のボーンは前作をも超える大活躍を見せる。

序盤のウォータールー駅での追っかけは白眉の出来で、いまだCIAに存在を悟られていないボーンは我が身を隠しつつも、CIAに追われている新聞記者を安全にナビゲートしようとする。

敵工作員と思しき人物や監視カメラの視界を即座に読み取り、「奥の通路へ行け」「今は動くな」など、的確な指示を与える。

ここで格闘や銃撃にとどまらないボーンの凄腕ぶりが披露されるわけだが、下手な監督が撮れば訳の分からん場面になったかもしれないところ、空間演出を得意とするポール・グリーングラス監督と編集のクリストファー・ラウズは、観客に対しても正確に位置関係を理解させるという神業的な演出を披露する。

スピルバーグが『マイノリティ・リポート』(2002年)で試みた演出の発展形と言えるのだが、グリーングラスの手腕はスピルバーグをも凌駕している。本当に凄かった。

中盤のモロッコでの追っかけも同じく。

ニッキーを追うCIA工作員、CIA工作員を追うボーン、ボーンを追う地元警察という複雑な構図があって、ボーンは屋根を飛び回り、窓をぶち破るという激しいアクションを繰り広げるのだが、ここでもまた神業的な演出が炸裂して、大きな混乱を起こしていない。

どうすればこんなにうまいアクション演出ができるのだろうかと、素人ながら感心するほどである。

格闘や銃撃も相変わらず素晴らしい。

前作まではいぶし銀のようなベテラン工作員がボーンの敵だったが、今回はブラックブライアー作戦で生み出された工作員達がメインであるため、全員が若い。

若くてイキのいい工作員とボーンの戦いは双方達人技の応酬戦となり、見た目にもかなり派手なものとなる。

こちらも見応えがあった。

最後の最後にはシリーズお馴染みのカーチェイスが繰り広げられるのだが、満身創痍のボーンが死力を振り絞っているということが分かるようになっており、激しいアクションに情感までが乗っている。

これもまた凄い演出だった。

ビターなのに爽やかな結末 ※ネタバレあり

そんなこんながありつつもCIAニューヨーク支局という本丸に辿り着いたボーンは、トレッドストーン作戦の真相を知る。

上記の通り、ボーンは騙されて殺し屋にされたというストーリーに賭けていた。また部分的にフラッシュバックする記憶からも、自分が人殺しに抵抗していたという自信はあった。

そしてついに実験の当事者と対面するのだが、そこで聞かされたのは「君は志願してここに来た」ということだった。

現場を訪れたことで完全になった記憶も、やはり「最初は抵抗したが、最後には自分で人を殺した」ということを示しており、ボーンは今の姿を自ら選択していたことを知る。組織に改造された哀しき殺し屋という、シリーズ全体に流れていたドラマを全否定するオチである。

信じてきたストーリーが崩壊して茫然自失のボーンだが、追っ手がやってきたことから建物の屋上に逃れる。

川に飛び込んで脱出しようとした瞬間に放たれる銃弾。

ストーリー的にもボーンが死んで幕引きするしかない状況であり、実際、川に落ちたボーンは身動きをしない。

長い旅の結末がこれかという絶望感に満ちていた。

が、どっこいボーンは生きており、次の瞬間に力強く泳ぎ始める。

この泳ぎだすまでの間が素晴らしかった。続いて映し出されるニッキーの不敵な笑みもかっこよくて、とてつもない高揚感があった。

ビターなのに爽やかという、何とも言えない落とし方には唸らされた。

続いてシリーズ通してのテーマ曲である”Extreme Ways”が流れるのだが、初めて翻訳字幕の入った歌詞の内容とのシンクロ具合に、これまた震えた。

これ以上ないくらいに完璧な幕引きだったと思う。

以降に作られた2本の続編はいずれもイマイチだったが、これに続ける話を作るのは無理ですって。

≪ジェイソン・ボーン シリーズ≫
【良作】ボーン・アイデンティティ_本物らしさの追求
【良作】ボーン・スプレマシー_ハードな弔い合戦
【良作】ボーン・アルティメイタム_ビターなのに爽やか
【凡作】ボーン・レガシー_シリーズで一番つまらない
【凡作】ジェイソン・ボーン_よせばいいのに

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