【良作】エクソシスト_進路選択に悩んだ時に見る映画(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1973年 アメリカ)
悪魔がらみの描写はアッサリでホラー映画の割に怖くなかったのですが、信仰心を失いかけ、自分の人生は何もかもが間違っていたのではないかと思っていたカラス神父が、悪魔の存在を目撃したことで闘志と自信を取り戻すドラマとしては満点でした。

作品解説

ベストセラー小説が原作

ウィリアム・ピーター・ブラッディは1928年NY生まれのレバノン系アメリカ人で、敬虔なカトリック教徒の母に育てられ、イエズス会が運営する私立学校で学びました。

ジョージタウン大学在学中にメリーランド悪魔憑依事件を知り、これを小説化して『エクソシスト』(1971年)として出版。

小説執筆中のブラッティは生活保護を受け取るほど困窮していたのですが、これがベストセラーとなったことから復活を果たし、ブラッティ自身が映画化のための脚色も行いました。

不可知論者ウィリアム・フリードキンが監督

本作の監督に関心を持ったのはスタンリー・キューブリックでしたが、ワーナーはスケジュールと予算の大幅超過を懸念。

そこでワーナーがアプローチしたのは『卒業』(1967年)でアカデミー監督賞を受賞したマイク・ニコルズでしたが、リーガン役を演じられる子役が見つかるとは思えないという理由で断られました。

その後に雇われたのが、スティーブ・マックィーン主演の『華麗なる週末』(1969年)やジョン・ウェイン主演の『11人のカウボーイ』を手掛けたマーク・ライデルでした。

しかしこれに反対したのが原作者のブラッティで、彼は『フレンチ・コネクション』(1971年)のようなエネルギーが本作にも欲しいと考えており、ウィリアム・フリードキンこそが適任者であると主張。

結局フリードキンが監督に選任されたのですが、興味深いことにフリードキンは自身を不可知論者であると語っています。

神や悪魔の存在を積極的に認めていない(内心は否定しているかもしれない)フリードキンが本作を監督したことで、本作は単なるオカルト映画の領域を越えました。

難航したキャスティング

クリス役はエレン・バーンスティン

主人公クリス役にはAクラスの女優が欲しいとのことで、第一希望はオードリー・ヘプバーンだったのですが、当時の彼女の居住地だったローマで撮影するのなら引き受けるという条件を出されたことから断念。

次にアン・バンクロフトが候補に上がり、バンクロフトも乗り気だったのですが、当時彼女は妊娠中で、産後まで待てるのならという条件を出されたことから、こちらも断念。

仮に彼女の要求を聞き入れたとして、育児中のバンクロフトが本作のテーマに向き合えるとは思えないというフリードキンの判断もありました。

なお、この時バンクロフトが身ごもっていたのは後に作家兼脚本家になるマックス・ブルックスで、ブラッド・ピット主演の『ワールド・ウォーZ』(2012年)やマット・デイモン主演の『グレートウォール』(2016年)などを手掛けることになります。

次の候補者はジェーン・フォンダでしたが、無神論者の彼女は純粋に物語に魅力を感じなかったことから断ってきました。

その後、『ラストショー』(1971年)でアカデミー助演女優賞にノミネートされたばかりのエレン・バーンスティンがフリードキンに電話で直談判してきたことから、彼女に決定しました。

カラス神父役はジェイソン・ミラー

カラス神父役にはポール・ニューマンが関心を示しており、またワーナーはジャック・ニコルソンを望んでいましたが、フリードキンは非スター俳優を考えていたことからニューマンを断り、またニコルソンだと神父には見えないとして却下しました。

一時期は『フレンチ・コネクション』で仕事をしたロイ・シャイダーにしたいと考えていたのですが、ブラッティの反対でこれを断念。このことからシャイダーとフリードキンの関係に亀裂が入りました。

その他、アル・パチーノやジーン・ハックマンらも候補に挙がっていたようです。アル・パチーノのカラス神父は見てみたい気もしますが。

そんな中で最終的に選ばれたのが舞台俳優のジェイソン・ミラーで、彼自身は敬虔者ではないものの、イエズス会系の学校で学んだことから神と悪魔の存在を信じていることをワーナーに対して主張し、見事役柄を勝ち取りました。

『スリーパーズ』(1996年)『スピード2』(1997年)で知られる俳優のジェイソン・パトリックは彼の息子です。ファーストネームが同じでファミリーネームが違う血縁者って変な感じがしますが。

メリン神父役はマックス・フォン・シドー

ワーナーは、メリン神父役にマーロン・ブランドを望んでいたのですが、フリードキンは彼では個性が強すぎてブランドの映画にしかならないとして、この案を却下。

その後、原作者のブラッティからヨルダン考古局長官ジェラルド・ランケスター・ハーディング(1901-1979年)の写真を見せられて、その写真からインスピレーションを得たフリードキンは、ハーディングと同じく長身細身の俳優マックス・フォン・シドーをキャスティングしました。

スウェーデン人のシドーは同じくスウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン監督の常連俳優で、『偉大な生涯の物語』(1965年)でハリウッド進出していました。

シドーは撮影当時44歳だったにも拘らず初老のメリン神父役としてまったく違和感がなかったという点も、超自然的な現象を扱う本作には合っています。

クリス役のバーンスティンとはたったの3歳しか年齢が違わないのにこの仕上がりは、悪魔的としか言いようがありませんね。

リーガン役は新人のリンダ・ブレア

マイク・ニコルズ監督の断り文句の通り、もっとも難航したのはリーガン役のキャスティングでした。

まずフリードキンが当たったのはすでに実績のある子役でしたが、有名子役達には代表作のイメージが染みついていることから、いきなりリーガン役をやっても違和感しかないという判断となりました。

また特殊メイクを施して汚い言葉を吐くという台本に、子役の親たちが拒否反応を示したことも問題でした。

そこでフリードキンは実年齢よりも幼く見えるミドルティーンは居ないかと思って探したのですが、やはり適任者は現れませんでした。

リーガン役のオーディションには、後に有名女優になるメラニー・グリフィス、キム・ベイシンガー、シャロン・ストーン、ローラ・ダーンらも参加したと言われています。

その後、エージェントから提出されたリストには載っていなかったリンダ・ブレアが浮上。呼ばれてもいないのにアポなしで面接に現れたのだとか。

彼女は子役として理想的な顔立ちではないことから推薦から外れていたのですが、「賢いけど早熟ではなく、かわいいけど美しくはない、普通の幸せな少女」というフリードキンのイメージにはピッタリ合っていたし、演じる役柄に対してしっかりとした発言もできたことから採用となりました。

なお、本当に問題のある場面では大人の俳優アイリーン・ディーツが代役を務めています。

空前の大ヒット

無名出演者のホラー映画だし、ユニバーサルの『スティング』(1973年)と衝突するしということでワーナーは期待していなかったのですが、本作は驚異的な勢いで興行記録を伸ばし、1億9300万ドルという史上空前の大ヒットとなりました。

その後、2000年にディレクターズカット版がリリースされて興行成績はさらに上乗せされ、全米トータルグロスは2億3267万ドルとなりました。

2020年の貨幣価値に換算すると、なんと10億3631万ドル。

これは『アバター』(インフレ調整後9億1179万ドル)『アベンジャーズ/エンドゲーム』(同8億9269万ドル)を上回る歴代9位という大記録で、ワーナーにとっては史上最高の収益をあげた作品の座にいまだに君臨し続けています。

アカデミー賞10部門ノミネート

本作は作品評も高く、アカデミー賞では10部門(作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、助演女優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、音響賞、美術賞)にノミネート。

本作はアカデミー作品賞にノミネートされた初のホラー映画となりました。

ただし大御所監督ジョージ・キューカーが「こんな映画に作品賞を与えるなら、わしは映画芸術科学アカデミーを辞めるぞ!」と吠えたことが影響したのかしなかったのか、主要部門は軒並み『スティング』(1973年)に持っていかれ、受賞は2部門に留まりました(脚色賞、音響賞)。

感想

悪魔に重きが置かれていない

うちの父親が本作の大ファンで、どんなホラー映画を見ても「『エクソシスト』に比べれば大したことない」と言うもので関心を持ち、10代の頃に初めて鑑賞したのですが、その時からの一貫した私の感想は「そんなに怖いか?」というものでした。

これだけの有名作品なので、ゲロを吐きかけたり首が回転したりといった一連のショックシーンが知れ渡っており、現在の目で見るとサプライズ要素がなかったという点が怖くなかった理由の一つなのですが、それ以上に、そもそも悪魔とかエクソシズムを重く扱う気がないという点が引っかかります。

クリス(エレン・バーンスティン)が娘リーガンの症状を悪魔の仕業だと確信するのが開始から65分頃、メリン神父(マックス・フォン・シドー)が到着して本格的な悪魔祓いが始めるのが95分頃で、主題に対して使う時間が明らかに短いのです。

じゃあその時間を使って一体何を見せられるのと言うと、執拗なまでのデティールの描写の嵐。

例えば、娘の奇行に困り果てたクリスが医者に相談しに行く様子が、繰り返し繰り返し映し出されます。『フレンチ・コネクション』(1971年)の車解体場面並みに。

言わんとすることは分かります。それまで宗教などとは無縁だった親子がいきなり悪魔憑きを疑い、教会に駆け込むことはおかしいので、まず行く場所は病院でしょということで物語に説得力を持たせているんでしょう。

それにしても、です。

そんなものは「一応病院に行きましたが」程度の補足的な描写でも十分なのに、肝心の悪魔祓いよりも長くて詳細なのだから、かなりバランスがおかしいなと。

一方で悪魔に関する説明は驚くほど不足していて、冒頭の発掘場面と本編がどう関係あるのかが分からないし、なぜリーガンが憑りつかれたのかも不明。こっくりさんで遊んでいたという状況こそあるものの、それが原因であるとは誰も指摘しないので、本当のところはわかりません。

それどころか、本編中では悪魔の名前にすら言及されません。パズズというのはクライマックスで映るシルエットから観客側が推測したに過ぎず、本編中ではその正体に誰も言及しないわけです。

悪魔の描写が圧倒的に少なく、その目的も正体も定かではない。

これってウィリアム・フリードキン監督の趣向がドバッと出た結果なのだろうと思います。上記「作品解説」の通りフリードキンは不可知論者なので、悪魔の類には心底関心がなかったのでしょう。

不可知論とは哲学用語で、人間が認識しようのないものは議論しないという考え方です。よって神や悪魔という人知を超えた存在に対しては、肯定も否定もしないという立場を取ります。

これが不可知論の本質的な意味合いなのですが、西洋社会においてはしばしば「不可知論者≒無神論者」という図式が成り立ちます。

なぜなら無神論をはっきり公言できる日本社会とは違い(むしろ神はいると公言することの方が憚られる)、海外では神を否定された途端にブチキレてくる層が一定数いるので、その社会の無神論者たちは「神は居るとも居ないとも言えません」というやんわりとした姿勢を示すわけです。

そんな感じなのでフリードキンは悪魔憑きや悪魔祓いなんて眉唾だと思っていて、「どういう状況になれば悪魔憑きを認めるしかなくなるのか」という点に関心が向き、他のすべての可能性を消すという作業にかなりの時間を使ったのかなと。

それはそれで面白いんだけど、対象そのものを描く気がないので怖さは減衰したように思います。

職業に自信を持てなくなったカラス神父

そんなわけでホラー映画としては赤点だと思うのですが、では一体何が良かったのかと言うと、悪魔祓いを行うカラス神父(ジェイソン・ミラー)の話が猛烈によく出来ていたことです。

カラスは、同僚の神父に対して「信仰心を失った」と言います。神父の立場でどれだけ信者と話しても、誰一人救えた実感がない。自分の母親すら孤独死させてしまった。神って本当に居るんでしょうかという心境にあるわけです。

このカラス神父、もともとは精神医学を学んでいたのですが、人を救う道として医学ではなく神学を選択したという過去を持っています。

もしも医師になっていれば大勢を救えたかもしれないし、経済的にも豊かになるので母親にも良い環境を与えられたかもしれない。なのになぜ、自分は誰も救えない、清貧の誓いで家族に良い目も見せてやれない神学なんぞを選んでしまったのだろうかと後悔しています。

私は、学生時代にバイトしていた居酒屋の常連客を思い出しました。

その客は老人なのですが、京都大学を卒業した後、当時としては優良企業だった財閥系の石炭会社に就職してしまったために、人生が台無しになったという話を繰り返し私にしてきました。

就職してしばらくすると石炭業は斜陽となったが、終身雇用の時代にあっては新卒で入社した会社を辞めるという選択肢もなく、炭鉱の閉鎖や事業の縮小に大事な人生を使うしかなかったと。

新卒の時になぜあの会社を選んでしまったのか、別の会社に行っておけばより良い人生を送れたはずなのにということをずっと愚痴っていて、聞いているだけでも気が滅入ったのですが、カラス神父もこんな感じだったと思います。

若い頃の優秀な自分には他の可能性もあったのに、なぜ大ハズレの道を選んじゃったんだろうと。

そこに舞い込んできたのがリーガンの悪魔憑き騒動です。

神学で母を救えなかったカラス神父と、医学で娘を救えなかったクリスは対照的な存在として描かれており、一義的には母を救えなかったカラスが今度はリーガンを救おうと死力を尽くす話ということになるのですが、私の目には仕事のやりがいを取り戻した男の話として映りました。

クリスからリーガンの話を持ち込まれた時、カラスは「悪魔なんていやしませんよ」という態度をとるのですが、実際にリーガンを見ると悪魔がやっているとしか思えない現象が発生するので意見を変えます。

そして、悪魔がいるということは神もいるということであり、ここでカラスは自分の社会人人生が間違っていなかったという確信を持つわけです。

信仰よりも医学の方が優れているのではないかと思っていた神父が、医学ではお手上げ状態の少女を信仰で救うことになるという捻じれた構図。

ここからムクムクとやる気が沸き上がっていくのですが、それはリーガンを救いたいという思い以上に「ついに信仰が役に立つぞ!」「今までの俺の仕事は無駄ではなかった!」という自己肯定だったと思います。

これが私にとっての本編中最大の見せ場だったし、今の仕事に対して確信を持てなくなった時には、カラス神父の事を思い出すようにしています。

正しい筋道に立っているのに、たまたま悪いことが重なったせいで確信を持てなくなっただけなのか、もしくは完全に道を誤っているのかを整理しなければならない時に、カラス神父の物語は実に参考になります。

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