【凡作】オーメン・ザ・ファースト_そこボカさんといかんか?(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(2024年 アメリカ)
『オーメン』(1976年)の前日譚で、オリジナルとの間で整合性を図りつつも独自性も織り込んだ着想は素晴らしかった。ただし映画のテンポまでが70年代風なので、現代のホラー映画として見ると間延びして感じられるのが弱点。

往年のホラー映画の前日譚

ここ最近の投稿を見ると、砂の惑星だの猿の惑星だのマッドマックスだのビバリーヒルズ・コップだのバッドボーイズだのと、リブート・続編・スピンオフのオンパレード状態。

この秋から冬にかけては、さらにエイリアンとグラディエーターまでが行列に加わる見通しとなっており、もはやハリウッドは新しい企画を考える気をなくしたんですかと言いたくなるが、そんな中で登場したのが『オーメン』(1976年)の前日譚である。

『オーメン』(1976年)はリチャード・ドナー監督の出世作であり、280万ドルという控えめな製作費に対して6000万ドルもの興行成績を上げ、フォックスに大いなる収益をもたらした伝説のホラー映画。

さらには、オーメンで得た収益を『スターウォーズ』(1977年)に再投資して今度は史上空前の興行成績を上げたというウハウハ状態を経験したこともあり、フォックスという会社にとっても特に思い入れの深い作品なのだろう。

回を重ねる毎にジリ貧になりながらも『オーメン4』(1991年)まで製作され、2006年にはリーヴ・シュレイバー主演のリブート版が、2016年にはテレビシリーズ版が製作された。

よくよく考えてみると、大ヒットという結果を残せたのは1976年の第一作だけじゃないかという気がしないでもないが、それでも50年近くに渡ってダラダラと続いているあたりが老舗の看板のご威光なのである。

そんな老舗に新風を吹き込んだのは女性監督アルカシャ・スティーブンソン。

元はLAタイムズ紙のフォトジャーナリストであり、トランスジェンダーコミュニティにおける闇市場の豊胸手術を題材にした卒業製作映画『Vessels』(2015年)で高い評価を受けた。

テレビドラマのディレクターを何作か務めた後、本作にて長編映画デビュー。

そんな若手監督を支えたのは、アメコミ実写化企画の第一人者にして(『ブレイド』(1998年)、『ダークナイト』(2008年))、近年は続編およびリブート企画(『GODZILLA ゴジラ』(2014年)『ターミネーター:ニュー・フェイト』(2019年))でも辣腕を発揮しているデヴィッド・S・ゴイヤーである。

彼はプロデューサーとして本作を支え、また後述するレイティング問題で監督とMPAがトラブった際にも、最後まで監督の味方をし続けた。

作品の舞台は1971年のローマであり、悪魔の子ダミアン誕生秘話が描かれる。

第一作と直結する内容であり、1976年版に登場したブレナン神父も顔を出し(俳優は別人)、また終盤ではグレゴリー・ペックの顔写真も挿入される。

よくできているが面白くはない(ネタバレあり)

ここからはネタバレ全開で感想を書くので映画を未見の方はご注意いただきたい。

本作は悪魔の子を産まされることになった女性を主人公としたボディホラーである。

ボディホラーとは、肉体の変容する描写を通して、自分が自分でなくなっていく恐怖を描いたホラーのサブジャンルであり、『ザ・フライ』(1986年)『ヘルレイザー』(1987年)がその代表作。

本作の主人公は修道女のマーガレットで、アメリカ人の彼女がローマの孤児院へとやってくるのが作品の導入部である。

主人公がアメリカ人なのは英語で全編を構築する必要があるというマーケティング上の理由でしかないのだろう。そこに作劇上の合理的な説明はなされないので、そういうものだと思って受け入れるしかない。

とはいえ異国でトラブルに巻き込まれるというサスペンスの王道はきっちり押さえられており、ロマン・ポランスキー監督の『フランティック』のような美しくもいかがわしい雰囲気は出ている。アメリカ人を主人公にしたことは決して裏目には出ていない。

このマーガレット、最初は第三者として孤児院で起こる不可解な事件の謎解きをするのだが、そのうちに自分自身がターゲットだったことに気づくという『ウィッカーマン』(1973年)的展開を迎える。

この通り、本作は『オーメン』を軸としつつも、様々なジャンルの構成要素をうまく取り入れており、構成はかなり良くできている。コラージュ力に長けたデヴィッド・S・ゴイヤーの本領発揮といったところか。

マーガレットに扮するのは大ヒットドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のネル・タイガー・フリー

『ゲーム・オブ~』では政略結婚で他国に嫁がされる王女ミアセラ・バラシオン役を演じており、理不尽な運命に巻き込まれる役柄はお手の物である。

結論から言うと、彼女が悪魔と交配させられてダミアン出産に至るという、なんとも胸糞の悪い話であり、ショック描写よりも薄気味の悪さに重きのおかれた作風となっている。

不穏な空気の醸成には成功しており、アルカシャ・スティーブンソン監督の手腕には確かなものを感じられた。

が、しかし、ホラー映画としての瞬発力には欠けることは欠点で、シリーズ最長の上映時間119分は間延びして感じられた。

特に前半部分のミステリーは、結果から振り返るとミスディレクション的な意味合いも強く、ここで時間を使いすぎているように感じた。

作品のテンポまでが70年代風で、現代の映画としては少々パンチに欠けるのである。

悪魔の子を誕生させたのは、カトリック教会の陰謀だった。

世は公民権運動の真っ只中、旧権力が否定される風潮に焦りを抱いた教会は、人為的にアンチキリストを誕生させることで、再度自分たちが頼られ、社会の中心に立てることを夢想していたというわけだ。

この新解釈には「ほ~」っと唸らされたものの、よくよく考えるとおかしな点がいくつもある。

彼らの計画は昨日今日始まったものではなく、マーガレット誕生にまで遡る。だとすると20年以上前からアンチキリスト誕生に勤しんでいたというわけで、公民権運動云々とは時代が合わなくなるような気がする。

また彼らはダミアンの父となる悪魔を地下で飼っているのだが、悪魔の子を誕生させるというしち面倒くさい計画を立てるくらいなら、この悪魔をローマ市街に放ってしまえば早いんじゃないのと思ったりで。

あんなもんが街中をうろついてれば、ローマ市民は教会に殺到するでしょ。

あと1976年版でダミアンの実母は墓地に埋葬されてたはずなんだけど、本作でマーガレットは生き延びる。じゃああの死体は一体誰なんだとなるんだが、そこに明確な答えはない。

もしかすると本作をきっかけにリブートの計画でもあり、その際に死体の謎は明かされるのかもしれないが、単品映画としての座りは悪くなっている。

突如入るモザイクはいかがなものか

あとこれは日本版固有の問題だけど、肝心な場面で無粋なモザイクが入るのはいかがなものか。

他人の出産場面に立ち会ったマーガレットは、妊婦の膣から悪魔の手が伸びてくるという幻覚を見る。

ボディホラーというジャンルを踏まえるとかなり重要な場面であり、また監督と製作者がMPA(アメリカ映画配給協会)と激しくやり合った場面でもある。

事の顛末はwikiに詳しく記載されているが、女性器の描写についてMPAは成人映画一歩手前のNC-17(17歳以下鑑賞禁止)という厳しいレイティングを課したことに対し、アルカシャ・スティーブンソン監督が猛抗議。

強制生殖というテーマにおいて必要不可欠な描写である上に、性的な見せ方をしたわけでもない。女性器が映っただけで17歳以下鑑賞禁止とは一体どういうことなのかと。

この抗議にはプロデューサーのデヴィッド・S・ゴイヤーも同調し、かなり激しいバトルの末に、ピントが合っていなければよいという妥協点を見出して、何とかR指定での公開に漕ぎつけた場面である。

そんな重要な場面であるにも関わらず、日本版ではモザイクが入っているので驚いた。公開前にどんなトラブルがあったのか配給者なら知らないはずがないだろう。なのにモザイクで隠すって・・・

百歩譲って、劇場公開時にはシネコンでの上映ができなくなるという興行上の問題があってやむなしだったかもしれないが、動画配信においては成人指定にしたうえで、監督の意向通りの作品を出すべきではなかろうか。

かつてのフォックスジャパンは映画ファンの期待に応えるよう全力を尽くす会社だったが、ディズニーによる買収後には杓子定規の雑な仕事が増えてきたなぁという印象である。

作家性を尊重するという意味でも、本作の扱いには再考をお願いしたい。

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