【凡作】インベージョン_理想郷か現状維持か(ネタバレあり・感想・解説)

クリーチャー・メカ

(2007年 アメリカ)
『盗まれた街』の4度の映画化の中で最大規模の大作。製作はジョエル・シルバーで、ニコール・キッドマンとダニエル・クレイグの二枚看板ですからね。ただし見せ場は単調で飽きてくるし、哲学的な問いかけは中途半端な形で切り上げられてしまうしと、あまり出来が良いとは感じませんでした。

作品解説

『盗まれた街』四度目の映画化

本作の原作はジャック・フィニィ著の『盗まれた街』(1955年)。SF小説の古典として名高い作品だけあって過去に4度も映画化されており、本作はその直近の映画化となります。

最初の映画化企画『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年)より、一連の映画化群は低予算で製作されてきたのですが、本作のみ例外的に製作費8000万ドルの大作として製作されています。

『マトリックス』(1999年)のジョエル・シルバーが製作し、大スターのニコール・キッドマンが主演。往年の名作を豪華仕様でフルリニューアルするという鼻息の粗さが伺えます。

混乱した現場

ワーナーが『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年)のリメイクに着手したのは2004年のことで、気鋭の脚本家として注目されていたデヴィッド・カイガニックが雇われました。

2005年7月にはドイツ人監督オリヴァー・ヒルシュビーゲルを起用。心理サスペンス『es[エス]』(2001年)で注目を浴び、『ヒトラー~最期の12日間~』(2004年)で重厚な歴史劇を構築したことから、本作に丁度良い資質を持っていると見做されたのでしょう。

2005年8月にはオスカー受賞経験もある大スター ニコール・キッドマンの主演が正式に決定し、2005年9月より撮影開始。撮影は45日間で終了し、当初の予定では2006年6月にリリース予定でした。

しかしワーナーはヒルシュビーゲルが完成させたバージョンに不満を持ち、『マトリックス』シリーズで懇意にしていたウォシャウスキー兄弟(現・姉妹)に後半部分の書き直しを依頼。

本撮影終了から13か月後の2007年1月、『V・フォー・ヴェンデッタ』(2006年)のジェームズ・マクティーグ監督によって追加撮影がなされたのですが、これが1000万ドルもの追加予算をかけた大規模なものでした。

興行的には失敗した

難産の末に完成した作品は当初予定から14か月遅れの2007年8月17日に全米公開されたのですが、ニコール・キッドマン主演の大作であるにも関わらず初登場5位と大苦戦。

2週目にして10位にまで後退し、3週目にしてトップ10圏外へと弾き出され、全米トータルグロスは僅か1507万ドル。ニコール・キッドマンにギャラとして支払われた1700万ドルの回収すらできませんでした。

国際マーケットでも同じく苦戦し、全世界トータルグロスは4017万ドル。製作費8000万ドルの大作としては残念過ぎる結果に終わりました。

感想

サバイバルの要件はよりハードに

1978年版のレビューでも触れた通り、実はボディ・スナッチという侵略方法は穴だらけで、人類側にも対処のしようがあります。

ハリウッドもその点は認識済みのようで、1993年のアベル・フェラーラ版では個人に対する行動制限を加えやすい陸軍基地を舞台にすることで、侵略の成就可能性を高めていました。

それから14年後の本作ではさらに合理的な侵略方法を作り上げています。一番大きな変更点は、もはやボディ・スナッチではないということ。

過去3度の映画化では睡眠中に人間のコピーが作られ、コピーが完成するとオリジナルが消滅するという方式をとっていましたが、本作では感染症のように異生物が体内に侵入し、睡眠中にDNAレベルでの融合がなされることで、本人は本人なのだがマインドの一部を乗っ取られた状態になります。

よってタイトルが『ボディ・スナッチャー』から『インベージョン』に変更されたわけですね。

で、従前の方法ではうっかり寝てしまっても、コピーが完成する前に目覚めさえすればコピー側が消滅するという規則があったので、仲間と組んで相互に見張り合っていれば意外と簡単にボディスナッチを回避可能だったわけです。

この点、本作では融合プロセスが始まった後に無理矢理起こすと、本人が死んでしまうという新規則が置かれています。

すなわち、うっかり寝てしまったら最後、そのままインベージョンされるか死ぬかの2択しかないのです。

サバイバルのハードルをより高めた本作での変更は良かったと思います。

主人公はヤブ医者

本作の主人公はニコール・キッドマン扮するキャロル。職業は精神科医です。原作『盗まれた街』の主人公の設定を引き継いだものと思われます。

キャロルは都心一等地で開業しており、そのクリニックはラグジュアリー感溢れる内装なので成功した医師だと思われるのですが、診療方法はかなり雑です。

1978年版にも出演したヴェロニカ・カートライト扮するウェンディという患者がいて、彼女は「旦那の様子がおかしい」と訴えます。その内容はと言うと、飼っている犬が旦那に向かって吠えるようになり、旦那は彼女の目の前で犬を殺したというものでした。

侵略の兆候云々を度外視しても普通にヤバイ話であり、ウェンディの安全確保のために警察への通報などを考えるべき重大案件なのですが、キャロルは「続きは今度にしましょう。お薬だけ出しておきますね」と言ってサラッと終わらせてしまいます。

どう聞いてもウェンディの精神状態の問題ではなく、旦那が危険な状態にあるという話なのに、安定剤を出して終わりとはどういうことなのでしょう。旦那が犬を殺したという話はウェンディの妄想として処理したということでしょうか。

キャロルのヤブ医者加減に、開始早々不安になりました。

007、フラれる!

そんなキャロルにはダニエル・クレイグ扮するベン・ドリスコルという友人がいます。ベンも医師なのですが、キャロルとは違って勤務医です。

キャロルはベンを友人として認識しているのに対して、ベンはキャロルに対して好意を抱いているのですが、キャロルの想いをはかりかねているのか、彼はあくまで友人として振る舞い続けています。

そんなある日、出席した大使館のパーティでおじさんおばさん達から「お似合いのカップルじゃないの」とおだてられたものだから、この流れならいけるかもと思って帰りの車中でベンはキャロルに迫っていきます。

しかしキャロルから発せられたのは、男を傷つける言葉No.1「あなたとは良い友達でいたい」であり、ベンのチャレンジはあえなく失敗。気まずい感じで帰っていきます。

男女の微妙な関係性とは原作小説にまで遡ることのできる要素であり、好きという感情が相手に伝わらない、相手が自分をどう思っているのか分からない、相手のことをどれだけ思っても関係が成就するとは限らないという恋愛の不完全性が、人間らしさを象徴しているのだろうと思います。

で、1978年版ではドナルド・サザーランドが叶わぬ恋に悩む大人の男に扮しており、あの独特なフェイスで美人女優アダム・ブルックスに迫っていく感じが私にとってツボでした。

叶わぬ恋って、恋焦がれている側がイタければイタいほど悲しく切ないものに感じられるのですが、その点で、本作のダニエル・クレイグは適任ではありませんでした。彼なら普通にモテそうなので。

中盤でベンは「君のためなら僕は何だってできる」とキャロルに言い残して捨て身の行動に出るのですが、これもダニエル・クレイグがやってしまうと様になり過ぎてジェームズ・ボンドにしか見えないんですよね。月並みなアクション映画のヒーローになってしまうわけです。

しかし人間性を描く本作に置いてヒロイックな人物像は相応しくなく、ブサメンが最後だけカッコつけて突撃していくような悲壮な場面であるべきでした。

同じ展開の繰り返しで飽きる

キャロルには別れた旦那がいて、可愛い一人息子オリバーを元旦那のところに預けているのですが、その元旦那が感染者であることから、キャロルはオリバーを救いに行きます。これが後半の展開。

しかもオリバーは感染しても発症しない免疫保持者。人類にとっては希望の光、侵略者にとっては邪魔な存在なので、侵略者たちのガードも鉄壁です。これをどう掻い潜るのかが後半の山場になります。

で、過去作品同様に感染者のふりをしていれば自分がまだ人間であることを誤魔化すことができるため、キャロルはその一芸のみで街に潜入します。

従前より表情が硬いだのプラスチックビューティーだのと揶揄されてきたニコール・キッドマンに表情のないフリをさせるとは一体どんな冗談だと思いますが、作品は「無表情で歩く→バレて逃げる」を何度か繰り返すだけなので、いい加減飽きてきます。

街をただフラフラ歩いているだけならともかく、面と向かって話してもキャロルが人間だとバレないので、これを見抜けない侵略者側が間抜けに見えてくるのだから困ったものです。

主題が尻切れトンボに終わる

この侵略には功罪あって、感染症が猛威を振るっている期間中には国際紛争はピタリと止まり、人類が抱えていた問題は立ちどころに解決。テレビでは北朝鮮やパキスタンなど問題を抱えていた国が次々に平和を勝ち取る様が流されます。

感染者達は発症を拒むキャロルに対して「我々に他者はないから争いごとも起こらない」と言い、彼らの世界観は『新世紀エヴァンゲリオン』の人類補完計画みたいなものであることが分かります。

人類は争いや混乱を収めたいと願ってきたのですが、それらが人間が人間であるがゆえに起こることだとすれば、人間を捨てることでしか理想郷は訪れないということなのでしょう。

そして、発症しても現在の記憶や思考はそのまま残り、自我だけが取り払われた状態になるので、完全に自分がなくなるというわけでもなさそうです。残るべきものは残り、様々な問題を起こす自我だけがなくなる。

よくよく考えればそう悪くもない話です。

しかも、パーソナリティのうち問題のある部分だけを抑えるという処置は、精神科医であるキャロルが患者に対して常にやっていることです。

いよいよ侵略者側の理屈がもっともらしく感じられ、みすみす彼らを滅ぼしてしまうと、混乱という人類の病への処方薬を失うということにもなってきます。

ここで観客に対しても「あなたならどちらを選びますか?」と問いかける内容にしてくれれば深くなったと思うのですが、終盤はワクチン開発の鍵であるオリバーを救出するという単純な話になってしまうので、せっかくの哲学的な問いが中途半端に終わってしまい残念でした。