【凡作】ドクター・モローの島_熱血漢が秩序を壊す(ネタバレあり・感想・解説)

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(1977年 アメリカ)
チャチな特殊メイク、平板なキャラクター、凡庸な演出と、映画としてはあまり面白くなかった。学者バカのモロー博士vs熱血漢ブラドックの対比と、結果的にブラドックの正義感が島の秩序を破壊するという顛末は良かったけど、面白さとはちょっと違うしなぁ。

感想

まったりしてて面白くなかった

H.G.ウェルズ著『モロー博士の島』(1896年)の二度目の映画化作品であるが、実を言うと今の今まで見たことがなかった。

10数年前に安売りされていたDVDを購入したのだが、やはり関心が持てなくてずっと放ったらかしで、そのうち自分がこの映画を所有していることすら忘れていた。

なのだが、その昔に見てつまらないと認識していた三度目の映画化作品『D.N.A./ドクター・モローの島』(1996年)を再見したところ、その含蓄に富んだ内容にハマってしまい、となると本作への関心もわいてきたので、併せて鑑賞してみた。

が、残念なことにこちらはつまらなかった。

監督は『新・猿の惑星』(1971年)、『オーメン2/ダミアン』(1978年)など、他人のふんどしで相撲を取りまくる男ドン・テイラーなので、演出が実に凡庸。

古典の映画化なのだから獣人が出てくることなんてみんな知っているのに、この手の映画のテンプレに当てはめて獣人の登場にまでたっぷりと時間をかけ、無駄に勿体ぶるものだから、前半はまぁつまらない。

ならば後半に向けてエンジンがかかるのかというと、そういうわけでもない。

何だか物凄くこじんまりとした世界観で、見せ方の工夫もないので画は単調。

獣人は顔にだけ特殊メイクを施し、ボディはまんま人間という激安仕様だし、監督はその弱点を見せ方で誤魔化そうともしない。しかも獣人達には個性らしい個性がないので、キャラクターとしての魅力に欠ける。

娯楽作としては赤点ですな。

無関心なモロー博士vs熱血漢ブラドック

ただしよかった部分もある。それは、この島をコントロールしているモロー博士(バート・ランカスター)と、島にとっての異分子となる機関士ブラドック(マイケル・ヨーク)の対比である。

本作のモロー博士は紳士的で理知的。

島に来た当初のブラドックに対して、モロー博士は「これが動物の胚なんだが、この時点ではどれも同じ。それが変わっていくというのが遺伝子の役割なんだよ。その仕組みを解き明かせば、新しい世界を作り出せるんじゃなかろうか」的なことを言う。

恐らくこれがモロー博士の本質であり、良くも悪くも研究のことしか考えていない学者バカなのである。

その先にはきっと良い結果が待っているはずだという漠然とした楽観論があるので、自分が悪いことをしているとはつゆとも思っていない。ただ時代が追い付いていないだけという感覚なのである。

そしてモロー博士にとって獣人とは研究の途中段階で出てきた副産物みたいなものであり、決してああいうものを作りたいわけでもないので、彼らに対する関心はさほどないようだ。

かと言って、生み出された獣人をほったらかしにしておくと、いつ我が身に危険が及ぶか分からないので、戒律を作って彼らをコントロールしているのである。

そんな魂胆なので冷酷っちゃ冷酷ではあるが、その非人道性がシステマチックな管理を可能にしている面もある。実際、モロー博士による管理下の島は安定している。

そこに熱血漢ブラドックというこの島にとっての異物が現れたものだから、獣人達が信じてきた戒律が揺らいでしまう。

ブラドックは獣人達に同情し、親身になってしまうものだから、モロー博士の定めた戒律もケースバイケースで破っていく。「掟なんかよりもっと大事なことがあろうが!」という考え方なのである。

獣人達は「汝殺すなかれ」を徹底的に刷り込まれている。その理由は「人間は殺さないから」なのだが、ブラドックは人道的見地から獣人の一人を殺害する。

その獣人は苦痛から逃れるため殺して欲しいと懇願し、これを聞き入れたブラドックは安楽死を与えるわけだが、これを受けた他の獣人達には「え?人間も殺すの?」という動揺が走る。

こうして戒律自体の信用性が揺らぐと、全体の秩序が崩れ始める。

ブラドックは善意をもって破壊を為す、もっとも厄介なタイプである。

同族殺しは最大のタブー

なのでモロー博士も扱いに困り、処置を施してブラドックを獣に退化させようとするのだが、人間を改造するのは流石に酷すぎるというわけで長年の相棒であるモンゴメリーからの反発を招く。

困った博士はモンゴメリーを殺してしまうのだが、それを目撃していた獣人達は「モロー博士も人を殺したぞ!俺たちに嘘を吹き込んできたらしい!」と言って大騒ぎになる。

獣人達はモロー博士の首を括り、メキシコの麻薬カルテルの如く屋敷の入り口に吊るすわけだが、ブラドックによる殺人を目撃した時よりも、はるかに騒ぎ方が激しい。

ブラドックの殺人が人間vs獣人という異種間でのことだったのに対し、モロー博士の殺人は人間vs人間の同族間でのことだったのが大きいのかなと思う。

やはり同族で殺し合うというのは動物から見ると禁忌であり、衝撃が大きかった。そして、それをやるのは人間だけというのが、本作の辿り着いたテーマなのだろう。

動物以上に残虐なことをするのが人間であり、そんな本性を持ちながら、どうして動物を野蛮だと否定できるんですかと。

これもまた興味深かった。

しつこく言うが、全体としては面白くはなかったが。

死闘!虎vsスタントマン

あと本作で驚いたのが、猛獣とスタントマンを実際に絡ませていることだった。

中盤で獣人が虎を殺してしまうくだりがあるのだが、『ザ・ワイルド』(1998年)『ダブルチーム』(1997年)のようにテクニカルな撮影や編集で絡んでいるように見せかけているのではなく、がっつり虎が人間に乗ったりしているではないか。

現代では絶対に不可能な見せ場であり、昔の人のド根性には心底恐れ入る。

猛獣の前に生身で出ていくに留まらず、猛獣に襲われても獣人の演技を続けているスタントマンの演技派魂には、『サンゲリア』(1979年)の鮫vsゾンビ並みの驚きがあった。

クライマックスでも獣人軍団vs放たれた猛獣軍団というもの凄い場面があったんだが、もはや見せ場を越えたガチンコの修羅場である。

ここまで来ると映画にのめり込むとかいうレベルではなく素でスタントマンの身を案じてしまうので、作品の見せ場として本当に機能しているかといわれると微妙なのだが、兎にも角にも物凄いものは見れるので要注目である。

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