【凡作】ジャッカル_口だけで腕の悪い殺し屋(ネタバレあり・感想・解説)

軍隊・エージェント
軍隊・エージェント

(1997年 アメリカ)
70年代ポリティカルスリラーと90年代爆破アクションが互いに打ち消し合っているようなおかしな作品で、往年の名作のリメイクなのに馬鹿っぽさだけが増加して緊迫感がないし、2大スター共演のアクション大作なのに際立った見せ場もない。

作品解説

いろいろ辛かったリメイク

フレッド・ジンネマン監督のポリティカル・スリラー『ジャッカルの日』(1973年)のリメイク。

なんだが、かねてよりハリウッドの商業主義を批判していたフレッド・ジンネマンと、原作者のフレデリック・フォーサイスは本作の製作に猛反対。

当初はオリジナルと同じく『ジャッカルの日』となる予定だったタイトルは『ジャッカル』に変更され、フォーサイスの小説は原作ではなくインスピレーションを与えたものというよく分からんクレジットになった。

ジンネマンは1997年3月に逝去するが、その人生の最末期に行ったのが本作に自分の名前をクレジットするなという差し止め命令だったので、何だか申し訳ない気持ちになってくる。

そんな生みの親二人の動きに合わせて、オリジナルでジャッカルを演じたエドワード・フォックスも本作へのカメオ出演を拒否。

ここまで拒絶されたリメイクも珍しい。

ちなみに日本の地上波放送だとオリジナル版、リメイク版ともにジャッカル役を野沢那智さんが吹き替えており、こちらでは両作の繋がりを感じることができる。

脚本を書いたのは『ダークマン』(1990年)や『ハード・ターゲット』(1993年)で知られるチャック・ファーラー。当時ファーラーとユニバーサルとの間には契約関係があり、受けざるを得ない仕事だったようだ。

ファーラーはネイビーシールズ出身という異色の経歴を持つ脚本家で、前職での知識や経験がこの企画に生かされることを期待されての起用だと思われる。

その初期稿をノークレジットで手直ししたのが、映画音楽家モーリス・ジャールの息子で、スクリプトドクターとして活躍していたケビン・ジャール。

『ランボー/怒りの脱出』(1985年)や『グローリー』(1989年)など軍隊の戦術に明るいことから起用されたと思われるのだが、ジャールによって元IRA闘志デクラン・マルクィーンのキャラクターが強化された。

当初は暗殺者役にリチャード・ギア、追跡者役にブルース・ウィリスが想定されていたが、双方が役柄を気に入らず、キャストを入れ替えることで落ち着いた。

興行的には成功した

本作は1997年11月14日に全米公開され、前週1位の『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)をおさえて初登場1位を記録。しかしその後が伸びず、全米トータルグロスは5493万ドルと並程度の成績に終わった。

しかし国際マーケットでは2大スター共演というクレジットが強みを発揮し、全世界トータルグロスは1億5933万ドルのヒットとなった。

感想

つまらないが、極端に酷いわけでもない凡作

劇場公開時は日本での洋画興行全盛期だったこともあり、本作にはかなりの宣伝がなされ、一般的な知名度の高い話題作だった。

当時ボキャブラ天国で人気だったジョーダンズがナビゲーターを務める映画のPR番組も放送されて、それを見た記憶も残っている。番組内では三又又三が得意の金八先生モノマネを披露していたが、どう考えても映画と関係のないネタで理解に苦しんだ。

クラスメイトの中川から一緒に映画館へ行こうと誘われたのだが、PR番組が意味不明だったうえに、当時のブルース・ウィリスが物凄い確率で駄作に出ていることを知っていた私は本作を警戒しており、結局断った。

週明けの中川からは「クッソ面白かった!見に行かなくて損したな」と勝ち誇った顔で言われたが、そんな言い方をされると尚のことこちらの態度も硬化するもので、絶対に見に行かないことに決めた。そんな思い出の映画。

数年後、金曜ロードショーで地上波初放送されたものを見たが、つまらなくてびっくりした。かつて中川が観たのとは違う映画なのだろうかと思ったほどである。

なんだけど、一緒に見ていたうちの親父は「面白い!ダイ・ハードに並んだ!」と騒いでいたので、たぶん中川が観たのと同じなのだろう。人によって感じ方がかなり違う作品なのかもしれない。

最近、Amazonプライムにアップされていたので久しぶりに見たが、やはり面白くは感じなかった。

ちなみに、私はオリジナルの『ジャッカルの日』(1973年)もさほど好きではない。

隠密行動をとるべき暗殺者が道中で人を殺し過ぎだし、最終的に交通事故を起こしてしまうといううっかりさんぶりもどうかと思った。

なんだけどオリジナルが圧倒的に優れていると言えるのは、ポリティカルスリラーとしての風格というものの存在である。

さすがはアカデミー監督賞を2度も受賞した経験のあるフレッド・ジンネマン監督だけあって、知的で硬派な雰囲気で全編が満たされており、その中では少々のアラも気にならない。

他方、本作を監督したのは青春戦争映画『メンフィス・ベル』(1990年)や大ヒット作の続編『氷の微笑2』(2006年)のマイケル・ケイトン=ジョーンズ。あらゆるジャンルにリーチできる器用さはあるが、これと言った特徴もない業者のような監督である。

ジンネマンとジョーンズの演出力の違いには如何ともしがたいものがあって、本リメイクは全体的に馬鹿っぽく、脚本上のアラが余計に際立っている。

しかもクライマックスまでこれと言った見せ場もないので、馬鹿馬鹿しくも楽しいアクション大作としても突き抜けていない。

70年代風ポリティカルスリラーと90年代風爆破アクションが双方打ち消し合う形で同居しているような映画で、決して良い出来ではない。

ただし筋書き自体はオリジナルを丁寧になぞっているので極端な破綻もなく、90年代にブルース・ウィリスが出演してきたインパクトある駄作(『スリーリバーズ』(1993年)『マーキュリー・ライジング』(1998年))ほど酷いわけでもない。

これぞ凡作中の凡作である。

毒を以て毒を制すというコンセプトが死んでいる

米ロ合同の捜査チームがモスクワでチェチェン・マフィアの大摘発を行うのだが、その際に発生した揉み合いでボスの弟を殺してしまう。

派手な報復で定評のあるチェチェン・マフィアはジャッカル(ブルース・ウィリス)という殺し屋を呼び出し、7000万ドルもの高額報酬と引き換えに要人の暗殺を命じる。

捜査チームはジャッカルが雇われたという事実のみを掴むのだが、標的は誰なのか、いつ実行されるのかも分からない。

しかもジャッカルはこれまで一度たりとも捕まったことがなく、捜査チームには全く情報がない。そこでジャッカルと同じく闇稼業に生きてきた者を追跡者として使うという点が、本作最大の特徴である。

ここで起用されるのが元IRA闘志のデクラン・マルクィーン(リチャード・ギア)。ジャッカルの顔を見たことがある世界でも数少ない人間の一人である。

IRAと言えば90年代アクション映画界におけるテロリストの代名詞的存在であり(『パトリオット・ゲーム』(1992年)『ブローン・アウェイ/復讐の序曲』(1994年)etc…)、テロリストが暗殺者を追いかけるというアクション映画ファンが泣いて喜ぶ激アツ設定が置かれることとなる。

なんだけど、毒を以て毒を制すというコンセプトがイマイチ生きてこない。

というのもデクランに非情さや過激さがなく、捜査官と大差のない普通のヒーローになってしまうのである。

デクランは、アメリカで結婚し子を持っている元恋人(『スペースバンパイア』のマチルダ・メイ!)の平穏な人生を守ることを戦いの動機としているのだが、その時点で普通の良い男である。

やはりIRA闘志には危険な男であってほしかった。

加えてFBIにも「元IRAを監獄から出して使わざるを得ないほど追い込まれている」という焦りがない。

デクランを出所させればまたテロを働くのだろうが、背に腹は代えられないので仕方なくこいつを起用するという苦渋の決断を下した形跡がないし、中盤以降はジャッカルの脅威に焦っている様子すらなくなる。

「たった一人の暗殺者に何ができる。ハッハッハ」みたいな態度をとるFBIのお偉方に対し、「いやいや、本気で対策しないとえらいことになるぞ」と忠告する元テロリスト。

もはや立場が入れ替わっている。

ブルースが腕利きの殺し屋に見えない

対するジャッカルは、全然有能に見えない。

オリジナルのジャッカルは目立たない男という設定だったが、本作は大スター ブルース・ウィリスが演じるので目立ちまくり。

それを補うかの如く、今回のジャッカルには変装の名人という設定が付加されているのだが、あの長い鼻の下を見れば一目でブルース・ウィリスだと分かるので、変装が意味をなしていない。

劇中においても、ジャッカルに自宅を隠れ家として使われたゲイの男が、テレビに映し出された変装後のジャッカルの写真を一目見て、目の前にいるのと同一人物であると気づいてしまう。

素人目にも見抜ける変装ってどうなのよ。

そして本作のジャッカルはオリジナル以上に足跡を残しまくりで、今までどうやって捕まらずに活動できたのか不思議になるほど。

中盤でジャック・ブラックを殺したことで完全に足取りを掴まれてしまうんだけど、ありふれた武器ではなく特殊なガトリング砲で撃ち殺し、殺害現場を片付けもしないのだから、「わたくしジャッカルは今日ここに参りました」と言ってるようなものである。

あまりにも出鱈目すぎて何か陽動的な意味合いでもあるのかと思っていたのだが、結局はただのうっかりさんだった。

しかも生前のジャック・ブラックに対して「用事が済んだら引き渡せ」と厳しく言っていた銃の台座の設計図を置いていってしまい、FBIに暗殺の手口を知られてしまうのだから愚かにもほどがある。

暗殺前夜にはマチルダ・メイ宅を襲うのだが、これが暗殺任務とは無関係なデクランに対する挑発行為でしかないので、やはりプロっぽさを感じない。

腕利きの殺し屋ならば、任務達成のためにすべての私怨は封じるべきではなかろうか。

そして暗殺当日であるが、オリジナルのジャッカルがたった3発の銃弾で標的を仕留めようとしたのに対して、本作のジャッカルは一分間に数百発を放てるガトリング銃を使ったのにミスってしまう。

普通に腕が悪い。

このガトリング銃が搭載された車を、海兵隊のスナイパーがたった二発の銃弾で爆破するのだが、マフィアも高額報酬でジャッカルを雇うくらいなら、この海兵隊員をスカウトした方が確実だったんじゃなかろうか。

暗殺失敗後のジャッカルはデクラン一人に追われているだけで、危険な殺し屋ならばデクランなんてさっさと排除してしまえばいいのに、逃げようとしたり人質を取ったりで直接対決を避けようとする。

実は弱いという自覚を本人も持っているのではなかろうか。

重ねて言うが、7000万ドルものフィーを受け取るレベルの腕利きではない。

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