【凡作】ルーキー(1990年)_イーストウッド捕まる!(ネタバレあり・感想・解説)

クライムアクション
クライムアクション

(1990年 アメリカ)
ベテラン刑事イーストウッドが新米刑事チャーリー・シーンをしごきまくる映画と見せかけておいて、後半では立場逆転して新米が暴れ狂うという珍妙な展開を迎える。王道から逸脱しすぎて、どう盛り上げればいいのか誰も分からなくなったような映画。

イーストウッド、80年代アクションに挑む

昔は地上波放送でちょいちょいやってた映画で、放送されるたびに私は見ていたが、面白いと感じたことは一度もない。イーストウッド作品の中にはファンですら擁護できない映画というものが存在するが、これはその中の一作と言えるだろう。

本作を一言で表現すると、めっちゃ変な映画。

特殊な部分が多いので、うまくやれればエッジの立ちまくった傑作になった可能性もあるんだけど、この素材の扱いを誰も分からず失敗した、そんな映画である。

まず、本作が製作された時期の状況を簡単に振り返りたい。

70年代のイーストウッドは、ハリウッド随一のマネーメーキングスターとしてその名を轟かせており、『ダーティハリー』(1971年)や『アウトロー』(1976年)といった気合の入った映画はもちろんのこと、『ダーティハリー3』(1976年)や『ダーティファイター』(1978年)といった片手間で作ったとしか思えないような映画まできっちりヒットさせていた。

まさに我が世の春を謳歌していたイーストウッドだが、80年代に入って雲行きが怪しくなってくる。

かつてマネーメーキングスターとして人気を二分していたバート・レイノルズと共演した『シティヒート』(1984年)の成績が伸び悩み、虎の子の『ダーティハリー5』(1988年)と『ピンク・キャデラック』(1989年)が連続してずっこけた。

『リーサル・ウェポン』(1987年)『ダイ・ハード』(1988年)といった新しいスタイルのアクション映画が幅を利かせる中、70年代スタイルを引きずるイーストウッド作品が時代遅れとなっていたのは明らかだった。

当時の”新しいスタイルのアクション”とは一体何だったのか?

それは「人間的弱みを抱える主人公二人」が「バディとして衝突と和解を繰り返し」つつ、「ド派手な銃撃戦や爆破を決める」というものだった。

ダーティハリーにも一応相棒はいたのだが、『3』を除いて空気同然の存在感で、気が付けば姿を消していることがほとんどだった。

ハリーは自己完結型のヒーローだったわけだが、最近はこういうのじゃないってことで、バディ映画の脚本をあてがわれた。

若手脚本家スコット・スピーゲル(『死霊のはらわたⅡ』)とボアズ・イェーキン(『パニッシャー』)によるこの脚本は、『アクション・ジャクソン/大都会最前線』(1987年)のクレイグ・R・バクスリーが監督し、ジーン・ハックマンとマシュー・モディンの共演作となる予定だったが、全米俳優協会のストライキによって中止された後、イーストウッドにお鉢が回ってきた。

ジーン・ハックマンと言えば『ダーティハリー』と同年に刑事アクションの傑作『フレンチ・コネクション』(1971年)に出演した名優である。ジミー・ドイルがハリー・キャラハンに入れ替わったというわけだ。

ハックマンとイーストウッドは次回作『許されざる者』(1992年)で共演し、イーストウッドはアカデミー監督賞を、ハックマンは助演男優賞を仲良く受賞することとなる。

本作におけるイーストウッドの相手役としては、チャーリー・シーンが選ばれた。

1984年に本格デビューし、まだ6年程度のキャリアながらアカデミー賞に絡むこと2回(『プラトーン』『ウォール街』)、ヒット作への出演も多く(『メジャーリーグ』『ヤングガン』)、当時はイーストウッドをも凌駕するほどのパワーの持ち主だった。

イーストウッドがこれほど強力な共演者を選ぶことは珍しく、崖っぷち状態だったからこそ生まれたキャスティングだと言える。

加えてイーストウッドはアクションにも相当な力点を置いた。

盟友バディ・ヴァン・ホーンを第2班監督に指名し、実に80名ものスタントマンを動員。その人数は出演者のほぼ2倍であり、俳優対スタントマン比率では過去最大規模の作品だったとも言われている。

こうして盤石ともいえる体制で製作された本作だが、どうにもこれが盛り上がっていかない。

明らかに金はかけられている、素材もぎっしり詰まっている、なのに全然ハートに響いてこないのだ。

受け身のイーストウッド、暴走するチャーリー

交通課の刑事ニック・パロヴスキー(クリント・イーストウッド)は、高級車ばかりを狙う強盗団を追っている。

ついに窃盗現場を押さえるところまで追い込んだのだが、いざ逮捕という場面で窃盗団のリーダー ストロム(ラウル・ジュリア)に相棒を殺されたうえ、大規模なカーチェイスも空しく強盗団を取り逃がしてしまう。

失意のニックの新相棒として、成績優秀だが現場経験のない新米刑事デヴィッド・アッカーマン(チャーリー・シーン)が当てがわれる。

デヴィッドは会社経営者の息子であり、父の敷いたレールへの反発から刑事になったおぼっちゃまだ。

一方ニックはというと、ブルーカラー出身で生活のベースがなかったためレーサーになるという夢を諦め、喰うため刑事になったという過去がある。

ニックにとっては、腰掛けで刑事やってるようなデヴィッドのやることなすことがすべて気に喰わない。だから彼が何をやっても否定し、つらくあたる。

一方デヴィッドにも、言われても仕方のない甘ちゃんな面が多くある。

こんなソリの合わない二人が、強力な敵を前に、やがて強い絆で結ばれていく物語を想像するところだが、中盤を過ぎた辺りから脚本はその斜め上を行き始める。

ストロム一味を逮捕寸前にまで追い込んだニックとデヴィッドだったが、デヴィッドが撃つことを躊躇ったため形勢逆転され、ニックが敵の手に落ちてしまう。

ストロムはニックの身代金として200万ドルを要求してくるのだが、市警は支払を拒否。相棒が組織から見捨てられた形となったデヴィッドは、単独でニック奪還に走る。

刑事が捕まって身代金を要求されるという展開は斬新だし、しかも若手ではなくベテランの方が捕まるという流れは意表を突いたものだった。普通、捕まるのは若手だろう。

そしてここから物語は異様な方向へと手をのばしていく。

相棒の命を救いたい一心のデヴィッドは、ニックをも上回る暴力刑事へと変貌するのだ。

愛車ハーレーにまたがりノーヘルで公道を爆走、敵の居場所を知っていると思しきオヤジのバーを全焼させ、邪魔する奴に対しては容赦なく鉄拳をぶちかます。

同棲する恋人が悪漢の手に落ちたとあれば、ハーレーを爆走させて自宅のドアをぶち破る。そこに恋人がいたらどうすんだということは一切お構いなしだ。

あまりの暴れっぷりに、彼の上司はデヴィッドを逮捕するよう命じる。もう滅茶苦茶である。

一方捕まっているニックはというと、敵の女に逆レイプされるといううらやまけしからん展開を迎える。

本作で一番印象に残っているのはこの場面なんだけど、普通のアクション監督なら絶対に撮らないであろう場面をなぜイーストウッドは撮ったのか、皆目見当もつかない。

めっちゃくちゃになっていく物語と、ただ撮ってるだけ状態の演出。両者は全然噛み合っていない。

もしもウィリアム・フリードキンあたりが監督していれば、暴力刑事ものの新たな傑作になっていたかもしれないが、イーストウッドの演出は妙に落ち着いているので、脚本上で起こっていることにふさわしい熱を帯びていかない。

カーアクションもかなり頑張っているのだが、やはり起こっていることにふさわしい熱量を感じない。

暴走中のトレーラーから車を落っことすアクションなんかは『バッドボーイズ2』(2003年)を13年も先取っている。

CGのない時代にライブでこれをやっているのは凄いことだと思うんだけど、全然迫力を感じないのは見せ方がうまくないからだろう。

クライマックスでは敵の小型機がジャンボ機にぶつかって大炎上という『ダイ・ハード2』(1990年)みたいなスペクタクルと、空港を舞台にした大捕り物という『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)『ヒート』(1995年)を組み合わせたようなアクションの贅沢コンボが飛び出すんだけど、これもまた面白くなっていかない。

本作で娯楽アクションに限界を感じたイーストウッドはドラマやサスペンス分野に軸足を移していくこととなる。

まぁそれも仕方のない作品ではある。

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