【良作】アンタッチャブル_簡潔な語り口と魅力的なキャラクター達(ネタバレあり・感想・解説)

クライムアクション

(1987年 アメリカ)
2020年10月31日に死去が発表されたショーン・コネリーの代表作。簡潔な語り口と魅力的なキャラクター達が見所であり、実に端正に作り込まれた娯楽作という感想です。

あらすじ

禁酒法時代のシカゴ。アル・カポネ(ロバート・デ・ニーロ)は密造酒で莫大な利益を上げ、地元の警察や裁判所を買収し、マスコミや大衆を味方に付けて裏の市長とも呼ばれる状態となっていた。そんな状況に終止符を打つべく、財務省はエリオット・ネス捜査官(ケビン・コスナー)を派遣する。ネスは赴任早々手入れを行うが、内通者による密告によって空振りに終わり、その失敗は翌日の新聞で書き立てられた。

従来の組織では対抗できないと考えたネスは自らメンバーを厳選し、決して買収に応じることのない特捜班アンタッチャブルを結成する。

スタッフ・キャスト

監督は『スカーフェイス』のブライアン・デ・パルマ

1940年ニュージャージー州出身で、フィラデルフィア育ち。

少年期には勉強がかなりできたようで、高校卒業後にはコロンビア大学で物理学を学んだのですが、オーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン』(1941年)とアルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958年)を見て映画学科に鞍替えしました。

学生映画界では抜きん出た存在で、NYを拠点に製作した短編やドキュメンタリーでは高評価を獲得。『ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク』(1968年)ではベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞しました。

1970年に拠点をハリウッドに移し、コッポラ、ルーカス、スピルバーグ、スコセッシ、ミリアスらと知り合いました。当時、デ・パルマは彼らに対して先輩風を吹かしており、コミュニケーションが苦手なルーカスのために『スター・ウォーズ』(1977年)と『キャリー』(1976年)のオーディションを同時に開催したりもしました。

ただし完成した『スター・ウォーズ』の試写をルーカスの自宅で行った際に、「酷いものを見せられた」とこき下ろした辺りが、何となくその後のキャリアを暗示しているようでしたが(同席していたスピルバーグは『スター・ウォーズ』の大ヒットを確信していた)。

コアなファンこそ付くがなかなか大ヒットを生み出せない。70年代から80年代にかけてデ・パルマは苦労していました。後世では傑作とされる『スカーフェイス』(1983年)すら、公開当時には駄作扱いという冷遇ぶりでした。

そんな中で引き受けた本作が大ヒットして「やればできる奴」という評価を獲得し、90年代には『カリートの道』(1993年)や『ミッション:インポッシブル』(1996年)などを監督。

ただし、今までこだわり抜いてきた作家性を投げ出して適当に作ったとしか思えない『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年)の大コケで評価はガタ落ちし、以降はヨーロッパ資本を得ないと映画を作れなくなって現在に至ります。

脚本は高名な劇作家デヴィッド・マメット

1947年イリノイ州出身。大学時代より劇団を旗揚げして活動しており、オフ・ブロードウェイで活躍。1992年にアル・パチーノ主演で映画化される『摩天楼を夢見て』(1984年)でピューリッツァー賞を受賞し、現代アメリカを代表する劇作家とまで言われました。

映画界では『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1981年)と『評決』(1982年)の脚本を書き、両作とも話題となりました。後にリドリー・スコット監督の『ハンニバル』(2001年)の脚色も手掛けます。

主演はケビン・コスナー

1955年カリフォルニア州出身。高校時代には野球の全米代表に選ばれ、カリフォルニア州立大学フラトン校で経営学を学んだ後に、俳優の道に入りました。

長い下積みを経て映画への出演機会が徐々に増えていったのですが、『女優フランシス』(1982年)、『ワン・フロム・ザ・ハート』(1982年)、『再会の時』(1983年)と出演場面がことごとくカットされるという不遇を受けていました。

ただし付き合った監督たちからはそのスター性を評価されるようになり、『再会の時』のローレンス・カスダン監督は次作『シルバラード』(1985年)のメインキャストの一人としてコスナーを起用したし、そのカスダンと関係の深かったスピルバーグは、テレビシリーズ『世にも不思議なアメージング・ストーリー』で自ら監督したエピソード『最後のミッション』の隊長役にコスナーを起用しました。

本作においてはプロデューサーのアート・リンソンがコスナーを推したのですが、ブライアン・デ・パルマは無名俳優に主演を張らせることに消極的であり、旧知の仲だったカスダンやスピルバーグに電話をしてその実力を確認したと言います。

カスダンやスピルバーグの見立て通り本作後にコスナーは大スターとなり、『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1991年)、『JFK』(1991年)、『ボディガード』(1992年)などのヒット作に立て続けに出演しました。

『ロビン・フッド』(1991年)では僅かな場面ながらショーン・コネリーと再共演を果たしています。

共演のショーン・コネリーがアカデミー賞受賞

1930年エディンバラ出身。義務教育終了後には英国海軍含め職を転々としつつボディビルジムに通い、1953年のミスター・ユニバース・コンテストで入賞したことから演技の道に進みました。

『007 ドクター・ノオ』(1962年)が大ヒットし、同作出演前に交わした5本契約を全うして『007は二度死ぬ』(1967年)までに出演。ただし本人はジェームズ・ボンド役に良い印象を抱いておらず、その後二度ボンド役に復帰することになるのですが、高額なギャラと引き換えでなければ出演に応じませんでした。

『007』後には様々な役柄にチャレンジしたもののなかなか当たり役を得られず、本作出演時には低迷していました。デ・ニーロの高額ギャラを支払うためにコネリーのギャラが削られたという裏話をドルフ・ラングレンが明かしています(当時、コネリーとラングレンには同じマネージャーが付いていた)。

しかし本作が起死回生の作品となり、俳優人生で初のアカデミー賞ノミネートとなり、受賞にまで至りました。

マローンはアイルランド系なのにコネリーが思いっきりスコットランド訛りで喋っているのはどういうことだという批判もあったようなのですが、英語訛りの区別のつかない我々日本人には関係ない話ということで。

『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』(2003年)が最後の出演作となり、2006年に引退を宣言。2020年に旅行先のバハマで死去しました。

アル・カポネ役にロバート・デ・ニーロ

1943年NY出身。『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1943年)でアカデミー助演男優賞受賞、『レイジング・ブル』(1980年)で主演男優賞受賞という実績を持つ、当代きっての演技派俳優です。

特にマーティン・スコセッシ監督とのコンビネーションの評価は高く、『タクシードライバー』(1976年)『キング・オブ・コメディ』(1983年)、『グッドフェローズ』(1990年)などの傑作を生みだしています。2012年に発表された『映画史に残る監督と俳優のコラボレーション50組」では第1位に選出されました。

キャリア初期にはブライアン・デ・パルマ監督のコンビが多かったことから本作での起用となったのですが、多忙のデ・ニーロが本当に出演可能なのか微妙だったため、パラマウントは念のために『ロジャー・ラビット』(1988年)のボブ・ホスキンスも立てていました。

作品解説

実在の捜査官エリオット・ネス

エリオット・ネスと彼の率いる特捜班が本作のモデルであり、その活躍を元にした小説が原作となっています。

エリオット・ネスは1903年出身の財務省捜査官であり、1927年に財務省酒類取締局に入局。ハーバート・フーヴァー大統領からアル・カポネ摘発の指示を受けた財務長官アンドリュー・メロンの命により特捜班を設立しました。

収賄に応じない職員を選りすぐったことから特捜班は「アンタッチャブル」と呼ばれ、妥協のない捜査によってアル・カポネ逮捕に貢献しました。

カポネ逮捕後にはシカゴやオハイオの酒類取締局の主席捜査官を歴任し、1935年にはクリーブランドの公共治安本部長に就任。

しかし在任時に発生した連続猟奇殺人事件を解決できなかったことや、貧困地区を犯罪の温床と見做してホームレスの居住地域を焼き払うという強硬策に出たことによって人気を失い、飲酒運転での当て逃げ事件を起こして本有長を辞任しました。

以降は民間警備会社の会長職を務めたり、クリーブランド市長選に打って出たりしたもののすべてうまくいかず、借金生活を送ることとなりました。

1956年、UPI通信のスポーツライターであるオスカー・フレイリーよりカポネとの戦いを本にしてはどうかと薦められ、ネスのインタビューを元にフレイリーが『アンタッチャブル』を執筆しました。

1957年に出版された『アンタッチャブル』はベストセラーとなったのですが、ネスは出版直前に死亡しており、自身の名声が世界的に響き渡る様を見ることはありませんでした。

原作と史実の相違点

原作では特捜班アンタッチャブルに買収されたものは居なかったとされているのですが、実際にはカポネに買収された者が数名いたとのことです。

また原作においても映画版においても手入れの際には銃撃戦が行われたという描写があるのですが、実際には発砲は一度もありませんでした。

そもそも、カポネ逮捕にネスが貢献したのか疑問であるという意見もあります。

カポネ摘発にあたって財務省が立てたのは脱税容疑での立件と、禁酒法違反容疑での立件という2つのシナリオであり、それぞれに別チームを作って捜査に当たらせました。

うちネスが率いていたのは禁酒法違反チームだったのですが、財務省の本命は脱税チームであり、目立ちたがり屋のネスが陽動目的で使われていたとの説があります。

実際、カポネを立件したのは脱税チームだったし、カポネ側の記録からネスの名前が出てこなかったこともあり、ネスが捜査における重要な役割を担っていなかったのではと言われています。

テレビドラマ化(1959-1963年)

1950年代に『アイ・ラブ・ルーシー』などのヒットドラマを量産していたデシル・プロダクションズが、このエリオット・ネスの小説を原作としてテレビドラマ化に着手。

デシルが最初に企画を持ち込んだテレビ局はCBSであり、1959年4月20日と27日に前後編のパイロット版がCBSで放送されて好評を博したのですが、当時のCBS会長ウィリアム・S・ペイリーがシリーズ化を望まなかったために、シリーズはABCで放送されました。

1959年10月15日に初回が放送されるや視聴率40%を超える大ヒットになり、合計4シーズンを放送。またエリオット・ネス役を演じた主演のロバート・スタックは1960年にエミー賞最優秀男優賞を受賞し、批評的にも成功を収めたのでした。

パラマウントによる映画化

1968年、デシル・プロダクションズはガルフ&ウエスタン・インダストリーズに買収されました。ガルフ&ウェスタンは映画会社パラマウントも所有していたことから、デシルはパラマウントのテレビ事業部として再編成されました。

こうしてパラマウントはデシルが製作したテレビドラマの権利を保有するに至り、1980年代に本作の映画化企画がスタートしました。

監督には同じくパラマウントの『危険な情事』(1987年)を断ったブライアン・デ・パルマを起用。デ・パルマはアル・カポネをモデルにした『暗黒街の顔役』(1932年)のリメイク企画『スカーフェイス』(1983年)を監督した経験もありました。

ただしデ・パルマもプロデューサーのアート・リンソンもオリジナルのテレビシリーズを好きではなかったようです。

なお、同じくデシルが製作したテレビシリーズ『スパイ大作戦』(1966-)の映画化企画も本作と同時期に進んでいたのですが、こちらは一旦中止となり、90年代半ばに同じくブライアン・デ・パルマが監督して『ミッション:インポッシブル』(1996年)のタイトルで公開されました。

興行的・批評的成功

本作は1987年6月3日に全米公開され、初登場2位。

『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987年)と競合したために全米No.1は獲れなかったのですが、それでも1987年のオープニングでは6番目に高い金額での好スタートでした。

また2週目、3週目の売上高の落ち込みが少なく1か月以上に渡って安定的な興行成績を維持したことから、トータルで7620万ドルを稼ぎ出しました。1987年の全米年間興行成績では第4位という好記録でした。

加えて夏のブロックバスターの割には批評家受けもよく、アカデミー賞では4部門にノミネート(助演男優賞、美術商、衣装デザイン賞、作曲賞)、ショーン・コネリーが助演男優賞を受賞しました。

ここで評価されたのがロバート・デ・ニーロではなくショーン・コネリーだったことに意義を感じます。

感想

魅力的なキャラクター達

本作は魅力的なキャラクターがズラっと並んでおり、基本的にはキャラクター劇なんだろうと思います。

主人公エリオット・ネス(ケビン・コスナー)は家庭を愛し法と秩序に生きる清廉潔白な捜査官であり、特捜班の精神的支柱を担います。

演じるケビン・コスナーの異常なまでのイケメンぶりが曇り一つないヒーロー像に見事マッチしており、思わず応援したくなるような主人公像をモノにしています。

彼を支えるマローン(ショーン・コネリー)は初老のパトロール警官なのですが、コネリーの漂わせる只ならぬ気配から、実力不足ゆえに現在のポジションに甘んじているのではなく、持ち前の正義感から長いものに巻かれなかったため閑職に追いやられているということが伝わってきます。

そしてアル・カポネ(ロバート・デ・ニーロ)ですよ。弁が立ち、派手好きで、陽気な男なので周囲には常にマスコミが群がり、大政治家のような風格すら漂わせています。しかし気に食わない質問が飛んできた瞬間に「え?」と聞き返して周囲を凍りつかせる様は完全にヤクザであり、威圧感のみで触れちゃいけない領域を認識させるという極道らしいコミュニケーションスキルには真に迫るものがありました。

また、子分を集めた総会では笑顔や冗談を交えながら野球について話し始めるのですが、「仲間がヘマをやらかしたらどうなる?チームは崩壊だ」と言った瞬間に手に持っていたバットを振り下ろし、子分を撲殺する様の冷徹さもショッキングでした。

笑顔で話していた次の瞬間に突然暴力を振るう、何が感情のスイッチになるのかが分からないというのは本当に怖いヤクザやヤンキーの常套手段であり、目の前でこんな光景を見せられた子分達はミスや裏切りなんて絶対にやらないぞと心に誓うわけです。

本心からの怒りと組織のマネジメント手法がない交ぜになったカポネの行為には戦慄するしかありませんでした。

簡潔な語り口

こうしてキャラクターを振り返ってみると、驚くほど各自の過去には触れられていないことにも気付きます。

エリオット・ネスはシカゴに来る前に何をしていたのか、どんな命令を受けて赴任してきたのかが割愛されているし、マローンに至ってはあの歳で家族が居ないとか、マフィアの買収に応じている署長との関係性とか、恐らくは存在していたと思われる設定にまるまる触れられていません。

すべてのドラマは作品中における現在のみで構成されており、過去のいきさつなどには触れないことでスピード感を出し、展開を矢継ぎ早に片づけていく。

だからと言ってキャラクターの描き込みが浅いというわけでもなく、現在の状況を眺め、短いセリフの端々から読み取れる情報を繋ぎ合わせれば何となく察しはついてくるのだから、デヴィッド・マメットの脚本は神がかっています。

恐らくコッポラやスコセッシでは本作をこれほどの短い尺に落とし込むことは不可能だったはずなのですが、視覚に訴えることを得意とするデ・パルマだからこそ、説明を省いたマメットの語り口にも対応できたのでしょう。この辺りのチームワークも見事なものでした。

意外と人を殺しまくる捜査官達

このように基本的には面白い映画だったのですが、あらためて鑑賞すると捜査官がえらく人を殺しまくることだけは気になりました。

捜査官らしく銃で威嚇して相手に武装解除を迫るわけでもなく、銃を持った敵が射程圏内に現れた瞬間に警告もなく急所を撃ち抜き、全く迷いありません。 戦争映画でもないのに主人公がここまで躊躇なく人を殺す映画はあまり見たことがなく、そのバイオレンス加減には悪い意味で驚きました。

スタローンの『コブラ』(1986年)ですら、もうちょっと迷いはあったよなぁと。