(1974年 アメリカ)
イーストウッドがキャノン砲をぶっ放す映画かと思いきや、全然そんなことはありませんでした。内容は軽めの犯罪コメディなのですが、各構成要素が弛めに接続されているだけなので、これと言った見せ場がないのが辛いところ。オスカーにノミネートされたジェフ・ブリッジスの演技は良かったんですけどね。

作品解説
マイケル・チミノの監督デビュー
本作の監督・脚本を務めたのは、後に『ディア・ハンター』(1978年)でアカデミー賞を受賞し、『天国の門』(1980年)で本作も製作したユナイテッド・アーティスツを潰すことになるマイケル・チミノ。
元はテレビCMのディレクターだったチミノの長編監督デビュー作が本作でした。
1971年にNYからハリウッドに移り住んだチミノは、ジョン・ミリアスが執筆した『ダーティハリー2』(1973年)の脚本の書き直しを担当しました。
同作はイーストウッドにとってシリーズ中最もお気に入りの作品となったのですが、特にチミノの手腕に感銘を受け、次回作はチミノに任せることにしました。
マイケル・チミノ自身、イーストウッドの存在がなければ映画界でのキャリアはなかっただろうと語っています。
ジェフ・ブリッジスがアカデミー助演男優賞ノミネート
本作でイーストウッドの相手役を務めたのは、撮影当時23歳のジェフ・ブリッジス。
子役出身のブリッジスは、この若さながら20年以上のキャリアを持っており、『ラスト・ショー』(1971年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされた実績もありました。
本作でもブリッジスの演技は高く評価されてオスカーにノミネートされたのですが、この年は相手が悪すぎた。
同年の助演男優賞には『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1973年)からロバート・デ・ニーロ、リー・ストラスバーグ、マイケル・V・ガッツォの3名がノミネートされており、バランス的にこの中の誰かから選ぶしかない空気だったので、ブリッジスに出る幕はありませんでした(受賞はデ・ニーロ)。
評価はされるのだが受賞は逃すというパターンは以降も定例パターンとなり、2000年にはプレミア誌によって最も過小評価されている俳優に選出されました(女優部門はジェニファー・ジェイソン・リー)。
そんなブリッジスも、アル中のカントリー歌手を演じた『クレイジー・ハート』(2009年)でようやくアカデミー主演男優賞を受賞。
アカデミーから評価される可能性の高いアル中演技に手を出したのはちょっとズルいかなとは思ったものの、初ノミネートから苦節28年、無冠の名優の座をようやく明け渡したのでした。
興行的には並程度だった
本作の全米興行収入は2170万ドルで、年間17位。
製作費が220万ドルだったことを考えると充分に儲かりはしたのですが、クリント・イーストウッドの前作『ダーティハリー2』(1973年)の興行成績3976万ドルと比較すると半額近くにまで落ち込んでおり、イーストウッドは不満でした。
作品内容に自信を持っていたこともあって、イーストウッドはユナイテッド・アーティスツの宣伝が不十分だったと考えていたようです。
感想
ジャケット詐欺
実は今まで見たことのなかった作品で、午後のロードショーで放送されていたのを録画して鑑賞。
本作のような名作でもカルトでもない古い映画って埋もれがちなのですが、そうした映画の鑑賞機会を作ってくれるという点で、テレ東の午後ローやサタシネは本当にありがたい番組なのです。
内容も全然知らなかったので、上記ポスターにもある通り、イーストウッドがバカでかいキャノン砲をぶっ放す映画という漠然としたイメージで見始めたのですが、実際は全然違っていましたね。
ヘビーなタイトルとは裏腹に、中身はコメディ成分強めのオフビートな犯罪映画。人を殺したりモノを破壊したりに主眼が置かれた作品ではなく、いかにクレバーに大金を盗み出すかというケイパーものを基礎としています。
イーストウッドがキャノン砲をぶっ放す場面もあるにはあるのですが、金庫の壁をぶち破るために数発発射する程度で、破壊の限りを楽しむ系ではありません。
ポスターに書かれているような炎上するパトカーやひっくり転げる白バイの画なんて本編中のどこにもなく、これは紛うことなきジャケット詐欺と言えますな。
で、面白かったかと言われると、これが微妙。
キャノン砲のことは諦めるにしても(どれだけキャノン砲が好きなんだ)、その他の要素もパッとしないんですよね。
コメディというには笑いが足りず、サスペンスというにはディテールが足りず、アクションというには迫力が足りない。「これ!」と言った核もなく、いろんな要素が中途半端にツギハギされている感じがしました。
そして後のマイケル・チミノ作品と同じく、ドラマの立ち上がりがやたら遅いということも気になりました。前半部分はかなりノロノロしていましたからね。
突如アメリカン・ニューシネマになるラストも、衝撃よりも唐突感の方が勝っており、「いきなりその感じ?」と、とってつけたような悲劇に呆気にとられました。
良くも悪くも安定のイーストウッド
そんな作風ですが、主演のイーストウッドは微動だにしませんね。
男臭くてシニカルで、でもプロフェッショナルとしては突き抜けた頼れる男という、いつも通りのイーストウッドでした。
慣れた芸風なので安定感は抜群なのですが、かつて演じてきた西部劇や戦争映画のヒーローと一体何が違うんだろうかという疑問もわいてきて、本作固有のキャラクターとしての魅力はさほど追及されていません。
イーストウッドは本作でアカデミー賞のノミネートされると思っていたようなのですが、それほどの演技でもなかったように思います。
若い頃のジェフ・ブリッジスがカッコいい
そんな中で唯一善戦していたのが、相手役を務めるジェフ・ブリッジスですね。オスカーノミネートも納得のパフォーマンスでした。
私にとってのジェフ・ブリッジスとは『ビッグ・リボウスキ』(1998年)であり、恰幅の良い中年というイメージが強いだけに、若い頃のスリムでかっこいいブリッジスは新鮮でした。
ブリッジス扮するレフトフッドが田舎道で車を走らせていたところ、ガンマンから逃走中のサンダーボルト(クリント・イーストウッド)と遭遇したことから、二人の旅が始まります。
車にしがみつかれたので乗せざるを得なかったのは仕方ないとして、その後もレフトフッドがサンダーボルトと行動を共にし続ける理由ってよくよく考えると分からんのですが、ブリッジスが放つ底抜けのおおらかさによって、好奇心でどこまでも付き合えるタイプなのかなと思えてきます。
後のビッグ・リボウスキの片鱗がここにあったわけです。
この手のロードムービーって意見の衝突や和解といったイベントを入れることが通常なのですが、本作のレフトフッドは常にサンダーボルトの聞き役で、彼にとって不快なことを言わないししない、波風を立てない相棒なのです。
普通、そんなキャラがいれば映画がつまらなくなるのですが、これまたブリッジスの底抜けの良い人オーラで、サンダーボルトとレフトフッドのイチャイチャを見続けていられるのだから、やはり良い演技をしていると言えます。
後半では『デッドフォール』(1989年)のカート・ラッセルよりも似合っている女装を披露するし、クライマックスでの悲しい笑みでは涙を誘われるし、見せ場はほぼブリッジスが担っていますね。