【凡作】トロン_シンプルに出来が悪い(ネタバレあり・感想・解説)

SF・ファンタジー
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(1982年 アメリカ)
第3弾『アレス』(2025年)公開記念。バーチャル世界を舞台に、擬人化されたプログラム達が戦うという『マトリックス』(1999年)を17年先取った先進性は評価しつつも、説明が下手くそすぎて話が全然頭に入ってこないので、娯楽作としては赤点だと思う。

確かに革新作ではあるけども・・・

昔見たけど、さほどの思い入れもなく、内容はほとんど覚えていない。

今週金曜に公開予定の第3弾『トロン:アレス』(2025年)の映画館を予約してしまったので、大慌てで過去作品の復習に取り掛かった。

世界で初めて本格的なCG(コンピューター・グラフィックス)を導入した映画として名高い本作だが、興行面では大きなヒットにならず(かといって赤字でもない)、「CGはルール違反」という理由でアカデミー視覚効果賞の候補からも外されるという、デビュー当時には何とも不遇な扱いを受けていた。

CGがルール違反なら『アビス』(1989年)以降の受賞作のほとんどは失格じゃないのかと思うのだが、それほどまでに1982年当時の世界はCGというものに馴染みがなく、これをどう扱っていいものか映画芸術科学アカデミーのメンバーすら分かっていなかったということだ。

その後「案外凄い事やってたんじゃないか」ということで再評価を受け、28年後には第2弾『トロン:レガシー』(2010年)が、43年後には第3弾『トロン:アレス』(2025年)が製作されるという、何とも息の長いシリーズとなった。

数年おきに続編が作られ続ける『ゴジラ』や『007』のようなシリーズものならともかく、ハレー彗星並みのブランクを置いて続編が作られ続けるシリーズものは前代未聞であり、クリエイターたちにとっては特別なもののある作品だということが伺える。

確かに、バーチャル世界を舞台に、擬人化されたプログラム達の戦いが描かれる本作のストーリーの先見性には驚かされる。

悪役であるMCP(マスター・コントロール・プログラム)はバーチャル世界の覇権で満足せず、作り手の意に反して現実世界への侵出までを目論んでいる。これなんかは『マトリックス・リローデッド』(2003年)以降のエージェント・スミスの原型であり、本作は時代を20年ほど先取っていたのだ。

確かにこの先見性は凄い。

が、それ以前の大きな問題があった。

それは説明が下手くそで話が全然頭に入って来ないということだ。

「あまりの先見性ゆえに公開時には理解されなかった」と評価されることが多いが、いやいや、今見てもサッパリだぞ。

しかもそれはストーリーが高尚かつ難解というわけでもなく、さほど難しくもない話であるにも関わらず、ちゃんと説明できていないので何が起こってるんだかよく分からないというもので、映画としてはシンプルに出来が悪い。

ジェフ・ブリッジスはトロンじゃないよ

主人公はケヴィン・フリン(ジェフ・ブリッジス)はソフトウェア大手のエンコム社のエンジニアで、革新的なゲームソフト「スペース・パラノイド」の開発者である。

が、少年のような心を持つフリンはノーガードで、元同僚のデリンジャー(デヴィッド・ワーナー)に「スペース・パラノイド」を盗まれてしまう。

発表された「スペース・パラノイド」は大ヒットし、表向きの開発者であるデリンジャーは大出世。一方フリンは会社を追い出されてしまう。

現在は場末のゲームセンターの店長をやってるフリンだが、いまだエンコム社に勤める元同僚アラン(ブルース・ボックスライトナー)とローラ(シンディ・モーガン)の力を借りて、デリンジャーによる盗作の証拠を掴もうとする。

これが序盤部分なのだが、ゲーセンの店長をやってるフリンがあまりに楽しそうで、脱サラして趣味の店をオープンさせた人にしか見えない。

この時点から「脚本上起こっていること」と「画面に映っていること」に食い違いが発生し始め、物語の把握が困難になってくる。

会社のネットワークに直接アクセスしようとしたフリンだが、物質転送機によってヴァーチャル世界に取り込まれてしまう。

生身の人間が電子化されてヴァーチャル世界に入っていくのだが、『マトリックス』(1999年)のように意識だけが飛ばされるのではなく、肉体が消滅してヴァーチャル世界で再生されるという、どういう原理なのだかサッパリ分からん現象が起こるのだ。

難しすぎる・・・

ヴァーチャル世界はMCP(マスター・コントロール・プログラム)というプログラムに支配されたディストピアで、古今東西のさまざまなプログラムが捕獲されている。

彼らはMCPの指示に従うか、使えないと判断されれば決闘を演じさせられるかの二択の世界で生きている。この辺りは0か1かの二進数の世界をストーリーに反映したものなのだろう。

で、ここの世界のプログラムは擬人化されており、彼らは開発者の顔をしている。

MCPはデリンジャーの顔をしているのだが、このような強力なプログラムを作れるということは、デリンジャーもまた優秀なエンジニアだったはずで、「スペース・パラノイド」を盗まなくても順当に出世したんじゃないかとも思う

そしてフリンはトロンというプログラムと出会う

これがタイトルの由来なんだが、こいつは元同僚アランの顔をしている。

トロンは主人公ではないという『AKIRA』方式をとっているのだが、これもまた作品を混乱させる大きな原因となっている。

しかもこの世界ではプログラムも人間も全身タイツにヘルメット姿なので、シンプルに見分けづらい。今喋ってんのはトロンなんだかフリンなんだか分からないことが多々あった。

トロンは不正調査とMCP破壊のために開発された監視プログラムであり、MCPとの戦いの急先鋒である。

どう考えても主人公ポジションにいるのはこいつだろうと思うのだが、ストーリーはあくまでフリンを中心に進んでいくので、直感的に分かりづらい。

一方フリンの目的はというと、シンプルにこの世界を脱出して現実世界に戻るということなんだが、どうすればそれができるのかがはっきり説明されないので、彼の旅にイマイチ気持ちが乗らなかった。

目的の違いもあり一度はお別れするフリンとトロンだが、なんやかんやあって最終的には合流してMCPを倒し(ほぼトロンの手柄)、MCPが倒れたことでフリンも現実世界に戻ることとなる。

だったらハナからトロンとフリンが協力してMCPを倒す話にすればいいものを、なぜいったん二人を別れさせたんだろう。

とにかくこの映画、脚本が悪すぎる。

監督のスティーヴン・リズバーガーが脚本も執筆したようだが、プロの脚本家を付けて直した方が良かったんじゃないか?

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