【良作】光る眼_デヴィッド君が癒し系(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1995年 アメリカ)
ジョン・カーペンターによる黙示録だが、光る眼の子供がとにかく不気味で恐ろしい。ヤバい子供達に日常を侵食された平凡な人々の恐怖が丹念に描かれており、直接的なショックシーンはないものの、じわじわ怖がらせる良作となっている。

作品解説

『呪われた村』二度目の映画化

原作はSF作家ジョン・ウィンダム著の小説『呪われた村』(1957年)であり、同作はイギリスにて『未知空間の恐怖/光る眼』(1960年)として映画化されている。

ジョン・カーペンター監督は少年期にこれを鑑賞し、登場する少女の一人に夢中になったらしい。

時は経って1981年、同じく古典SFのリメイク『SF/ボディスナッチャー』(1978年)のヒットを契機として、MGMが『光る眼』のリメイクも企画したらしいのだが、その企画は結局実現しなかった。

さらに時を経てユニバーサルが本リメイクを企画し、『キングの報酬』(1986年)のデイヴィッド・ヒメルスタインが脚色。

そして監督には、『遊星よりの物体X』(1951年)のリメイク『遊星からの物体X』(1982年)でもユニバーサルと組んだジョン・カーペンターが起用された。

興行的・批評的失敗

本作は1995年4月28日に全米公開されたが、サンドラ・ブロック主演の『あなたが寝てる間に』(1995年)やウィル・スミス主演の『バッドボーイズ』(1995年)などに敗れて初登場5位と低迷。

全米トータルグロスは941万ドルで、2200万ドルの製作費の回収すらできなかった。

批評面でも苦戦し、その年のラジー賞ではワーストリメイク賞にノミネートされた(受賞したのはデミ・ムーア主演の『スカーレット・レター』)。

感想

カーペンターお得意の黙示録

10代の頃に日曜洋画劇場で見て、その際には全然楽しめなかった作品。

この度、午後のロードショーで放送されたのでほぼ四半世紀ぶりに再見したのだが、記憶していたのとは全然違って今回はかなり楽しめた。

昔見た映画との再会の機会を作ってくれる午後ローは親戚のお兄ちゃんのような存在であるとは『ハドソン・ホーク』(1991年)のレビューでも書いたような気がするが、再見して印象が変わると、尚のこと午後ローには感謝してもしきれなくなる。

では一体何が良かったのかと言うと、黙示録的な物語がよく出来ており、緊張感が終始維持されていたことである。

『遊星からの物体X』(1982年)『パラダイム』(1987年)など、ジョン・カーペンター(以下JC)は大きな背景を持つ小さな物語を得意としているのだが、本作でもその特性はいかんなく発揮されている。

舞台となるのはアメリカの小さな町ミッドウィッチで、住民全員が気を失った後に、妊娠可能な女性全員が受胎するという奇妙な現象が発生。赤ん坊は同日同時刻に生まれ、驚異的な能力を発揮し始めるというのがざっくりとしたあらすじ。

集団気絶の直後からアメリカ政府のチームが事の対応にあたるのだが、当初は毒ガスなどの可能性を考えて町に入ることには慎重になるなど、有事にあたっての行動にリアリティがあった。

妊娠した女性たちは当然のことながら不安がるのだが、どうしても研究対象にしたい政府は、もしも出産してくれれば月3000ドルを支給すると言って全員に出産を決意させるなど、事後対応の進め方も下世話かつ現実的。

また女房を孕ませた覚えのない旦那が不倫を疑って憮然とするなど、考えうる反応がしっかりと描き込まれているので面白い。

こういう部分がしっかりとしたSF映画は余計な疑問を持たずに済むので有難い。

ヤバイ奴に上がり込まれた日常

生まれてきた子供達の知能面での発達は著しく、見てくれは子供であってもその発言内容は冷淡かつ合理的で、大人ですら太刀打ちできない。

加えて光る眼を使って人間の行動をコントロールすることも可能であり、ミッドウィッチの住民達は皆ビクビクしながら生活することとなる。

脅威の力を持つ子供とは『オーメン』(1978年)や『ザ・ブルード/怒りのメタファー』(1979年)でもおなじみだが、本作の子供たちはとりわけ不気味で、映画史上最恐レベルの子供と言えるのではなかろうか。

そして本作の裏テーマは、ヤバイ奴に上がり込まれた日常生活とも言える。

町内に道理の通じない基地外一家、反社っぽい人、キツめの新興宗教の信者などが引っ越してきて、いろんな無茶をし始めたらどうかという、現実社会に置き換えて考えられる不快感が描かれているのである。

異様な空気を漂わせながら隊列を組んで移動する光る眼の子供達に対して、町の住民たちは不快感を抱きつつも、遠巻きに眺めるのみで誰も文句は言わない。こちらから何か言った瞬間、何かやった瞬間にとんでもないことが起こりそうだから。

子供達が現れた瞬間にピンと張り詰めるあの感じは、ヤバイご近所さんと道でばったり鉢合わせた時のものに近い。

そして、子供達への対応は地元の小学校校長ジル先生(リンダ・コズラウスキー)一人に押し付けられているのだが、先生も限界に来ていて、医師のアラン(クリストファー・リーヴ)にも授業の一つを受け持つよう依頼する。

しかしそんな役割を引き受けたくないアランは、当たり障りのない言葉で逃げようとする。まさに修羅場である。

そしてジルとアランはそれぞれ光る眼の子供の親でもあるのだが、これを元スーパーマンのクリストファー・リーブに演じさせていることが興味深い。

スーパーマンは人情というものを理解して優しく育ってくれたが、我々よりも優れた種族が人間を同等だと考え、その秩序を尊重してくれるか?そんなわけないだろという、JCならではの皮肉ではないかと思う。

デヴィッド君が癒し系 ※ネタバレあり

そんな中で、唯一の救いはジル先生の息子デヴィッド君である。

当初は彼も他の子供と同じく冷徹な表情をしていたのだが、次第に人間性に目覚め始める。

光る眼の子供達は生まれた時点から男女がつがいになっているのだが、デヴィッド君のパートナーとなるはずだった女児は死産したことにされて生体解剖に回されたので、彼だけは一人なのである。

この不安定さが母親への愛着や人間への理解や共感を示すことへとつながり、最終的には光る眼のコミュニティではなく母親との関係性を選択するに至るのだが、このデヴィッド君がとにかく可愛くて癒し系なのである。

自暴自棄になった大人を哀れんだり、困った顔で自分を見つめる母親に対して申し訳なく思ったりするうちに人間に近づいていく、その変貌の過程がナチュラルだった。

光る眼の仲間達に表面上は合わせているのだが、だんだんと人間側へと傾いていく際の葛藤もよく描けており、小さな体で種族の壁という問題に直面したデヴィッド君が健気で仕方ない。

なお、デヴィッド君を演じたトーマス・デッカーは成長後にも俳優業を続け、テレビシリーズ『ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ』(2008-2009年)ではジョン・コナー役を演じた。

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