【傑作】宇宙戦争(2005年)_SF地獄絵図(ネタバレあり・感想・解説)

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(2005年 アメリカ)
個人的に一番好きなスピルバーグ作品。ダメ親父トム・クルーズと、まったく言うことを聞かない生意気な子供たちの一風変わった珍道中は面白いし、戦争映画で培った手法をSFに持ち込んだスピルバーグの鬼畜演出も光っています。

作品解説

『宇宙戦争』三度目の映像化

H・G・ウェルズ著『宇宙戦争』(1898年)

SFの父と呼ばれるH・G・ウェルズは、兄フランクが何気なく口にした「宇宙から生物が飛来する」という言葉に着想を得て、1885年に『宇宙戦争』の執筆を開始しました。

当初は雑誌連載だったのですが、執筆には苦労したらしく二度の休載を経て1897年12月に完結。その後、ウェルズは大幅な加筆を行い、翌1898年に単行本化されました。

侵略モノというジャンルの第一号であるだけでなく、19世紀末の時点では一度も侵略者からの攻撃を受けたことのなかったロンドンが蹂躙される様を描いたシミュレーション小説という側面も持っており、その発想の豊かさには驚かされます。

『宇宙戦争』(1953年)

1924年にパラマウントが映画化権を購入し、セシル・B・デミル監督で製作しようとしていたのですが実現せず、また1930年代にはアルフレッド・ヒッチコックが監督することになったのですが、こちらも実現しませんでした。

1950年代に入ると『月世界征服』(1950年)と『地球最後の日』(1951年)を大成功させたジョージ・パルとバイロン・ハスキンのコンビが製作に着手。

かなり昔に取得した映画化権だったためサイレントの権利しか押さえられていないことが製作中に判明したのですが、版権元が協力的だったことから大事には至らず、無事に製作することができました。

舞台は19世紀末のロンドンから1950年代のカリフォルニアに変更し、また宇宙人の乗り物は歩行兵器(トライポッド)から空飛ぶ円盤に変更。

これは監督のジョージ・パルがトライポッドをどう表現すればいいのか分からなかったことと、軍事コンサルタントよりトライポッドでは軍事的脅威になりえないというアドバイスを受けたための変更でした。

映画は高評価を獲得し、アカデミー特殊効果賞を受賞しました。

『新・宇宙戦争~エイリアン・ウォーズ』(1988-1990年)

パラマウントは1987年頃に『宇宙戦争』の再映画化を企画し、監督にはジョージ・A・ロメロが予定されていたのですが頓挫。それが変化してテレビシリーズになりました。

ただしこれはリメイクではなく映画『宇宙戦争』(1953年)の続編であり、1953年にエイリアンは死んだのではなく仮死状態に陥っただけで、放射線を受けたことで復活して再度侵攻を開始するという話となっています。

1988年から1990年にかけて2シーズン、44話が放送されました。

10か月足らずで製作された超大作

スピルバーグは90年代に侵略モノを撮ろうとしていたのですが、ローランド・エメリッヒ監督の『インデペンデンス・デイ』(1996年)に先を越されたので断念しました。

その後、『マイノリティ・リポート』(2002年)で組んだトム・クルーズから『宇宙戦争』のリメイクを提案され、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)の撮影中に二人の次のプロジェクトとして本作を製作するという方向性を固めました。

『ミッション:インポッシブル3』(2005年)のJ・J・エイブラムズに脚本を依頼するつもりだったのですが、エイブラムズはテレビドラマ『LOST』の製作で手いっぱいだったのでプロジェクトに参加できず、『チェーン・リアクション』(1996年)のジョシュ・フリードマンが雇われました。

そしてフリードマンの初稿を、スピとは『ジュラシック・パーク』(1993年)、トムとは『ミッション:インポッシブル』(1996年)で仕事をしたことのあるデヴィッド・コープが手直し。コープは「災難に巻き込まれた者の限定された視点で描くこと」「ランドマークの破壊は入れないこと」という方針を立てて全体を再構築し、決定稿が完成しました。

当初2007年公開のスケジュールで動いていたのですが、トム・クルーズとスピルバーグのスケジュールにたまたま空きができたことから、2004年8月に急遽製作が決定。公開日は2005年6月、製作期間が僅か10か月しかありませんでした。

通常半年かかるプリプロダクションを3か月程度で終わらせ、72日間で撮影し、2005年6月に予定通り全米公開。この規模の大作としては異例の突貫工事で作られたのでした。

そしてスピルバーグは息つく暇もなく、本作の全米公開日である2005年6月29日には次回作『ミュンヘン』(2005年)の撮影を開始し、こちらもその年の年末には全米公開するという早業を見せています。スピさん凄すぎ。

興行的には大成功したが賛否両論だった

本作は2005年6月29日に全米公開され、6487万ドルという圧倒的なオープニング興収でぶっちぎりの1位を獲得。

翌週には『ファンタスティック・フォー』(2005年)に敗れて2位に後退したものの金額的には依然として好調であり、全米トータルグロスは2億3428万ドルにのぼりました。これは年間第3位という好記録です。

国際マーケットでも同じく好調であり、全世界トータルグロスは6億387万ドルでこちらは年間第4位。1億3200万ドルという製作費を考えると大変な利益を出した作品となりました。

ただし批評的には賛否両論であり、同一作品がアカデミー賞(視覚効果賞・録音賞・音響編集賞)とゴールデンラズベリー賞(主演男優賞)の両方にノミネートされるという珍しい現象が起こりました。

感想

SF地獄絵図

宇宙人の侵略騒動の中で、ある一家が人口密集地から逃げ出すというのが本作のざっくりとしたあらすじ。

ただし原作は100年以上前のもので、その後陳腐化したテーマを追いかけても何も出てこないと判断されたのか、本作ではSF作品としての面白さはほとんど切り捨てられています。

宇宙人の正体とか目的はイマイチよく分からないし、ビームで地球人を灰にしたかと思えば、別の場面では採取して篭にいれたりと、長州力ばりに「何がしたいんだ、コラ!」と言いたくなりました。

空から飛来した宇宙人が事前に地中に埋められていたトライポッドに乗り込むという仕組みに至っては理解不能。

なぜトライポッドを埋めに来た時点で侵略しなかったのか、その時点で病原体の存在に気付かなかったのかなど、いろいろと疑問が湧いてきます。

ただし「宇宙人のやることなんだから地球人に理解できるわけないだろ!」みたいな豪快な割り切りがあって、おかしな点を説明する気もないスピルバーグの潔い姿勢もあって、途中から考えることをやめましたが。

では本作で何を見るべきかというと、スピルバーグが培ってきた戦争映画の手法をSFに持ち込むことにより実現した強烈な地獄絵図の数々です。

トムの街にトライポッドが出現する場面では、『プライベート・ライアン』(1998年)で重戦車ティーガーがトム(あちらはハンクス)の前に現れた時のような緊張感がありました。

機械でありながら生物的でもある独特のフォルムが怪獣のようでもあり、その全貌を表すまでの仰々しい演出の成果もあって、とんでもない殺戮マシーン出現という恐怖が画面を席巻。

そこからビーム乱射で周囲の人々が次々と灰にされていく様からは、『シンドラーのリスト』(1993年)で死体を焼却するためもうもうと上がる煙を想起しました。

本作はR指定を避けるため流血の表現を極力控えているのですが、その代わりに灰を用いて人の死を表現しており、大量の灰を被っていることに気付いたトム・クルーズがパニックを起こすなどの補助的な描写を加えることで、大量の人の死を観客に印象付けるという周到な構成となっています。

また、犠牲者が着ていたであろう服が大量に散乱している様子でも大量虐殺を表現しており、随所に死が刻み付けられています。

その他、避難民がフェリー乗り場に殺到する様、燃え盛る列車が猛スピードで目の前を横切る様からもホロコーストを想起させられ、「SFで大量虐殺を描く」というスピの並々ならぬ気合には恐れ入りました。

先行する『インデペンデンス・デイ』(1996年)が宇宙人によるモニュメントの破壊など加害の描写に重きを置いたのに対し、本作では被害状況の描写を中心とすることで”War of the Worlds”を現代に出現させたわけです。

主人公はクズ親父と生意気なガキ

本作はキャラクター描写も一筋縄ではいきません。

通常、この手の作品では手っ取り早く観客に感情移入させるよう理想的な人格を持つキャラクターを登場させるのですが、本作のキャラクターはどいつもこいつも好感を持って見ることができません(褒めてます)。

主人公はバツイチの港湾労働者レイ。演じるトム・クルーズの若々しさや、別れた奥さんが現在妊娠中という設定から、レイの設定年齢は30代そこそこだと思われるのですが、その年齢には釣り合わない高校生の長男がいます。

ここから、レイは若くして奥さんを妊娠させ、あまり本意ではない形で家庭を持ったのだが、最後まで家庭人になりきれずに離婚したという背景が伺えます。

そして舞台となる当日は、母親に引き取られた高校生の息子ロビー(ジャスティン・チャットウィン)と小学生の娘レイチェル(ダコタ・ファニング)との面会日なのですが、レイは予定を忘れて待ち合わせ時間に遅刻するし、「昨夜は夜勤だったから寝るわ。飯は適当に食べて」と言って、せっかく来た子供達をほったらかしにします。

離婚した親を描く場合、子供を愛しているのになかなか面会できないという描写とするのが通例なのですが、本作のレイは義務だから会っているだけで、ぶっちゃけ子供のことなんてどうでもいいというクズっぷりを披露。

ちなみに本編からカットされた場面では、レイは待ち合わせ時間にバーで飲んでいたことが判明(そのバーはフェリー乗り場で再会することとなる女主人の店)。仕事の都合で遅刻したわけでもなかったということで、そのクズ度は5割増しとなります。

そして、嵐や雷など侵略の予兆となる出来事が起こってもレイは子供達の安全を守る行動をとらず、「ちょっと見に行こうぜ」と阿呆丸出しの姿勢を見せます。

そこで前述したとおりのトライポッドの大殺戮に遭い、これは本当にヤバイということで子供達を連れて人口密集地のNYを離れるのですが、その目的地が元妻の再婚相手の家で、さっさと子供達を元妻に帰さなきゃという浅ましい行動原理がまた泣かせます。

そして道中で子供とうまくいかなければ「ママに言いつけるぞ」と言って、親としての威厳ゼロ。

そんな感じなので子供達は親父を軽蔑しており、レイが何か言ってもいちいち「やだ~」とか「なんで~」みたいな態度を取るので、これはこれでイラっとさせられます。

親らしくなったレイの通じない親心

そんな珍道中なのですが、行く先々で地獄絵図を目撃し、人類の力で対抗できる脅威ではないことを思い知る中で、レイはもはやこの地球上に安全な場所などなく、子供達は自分が守るしかないという境地に遅ればせながら到達します。

しかし長男ロビーの思いは違っていて、故郷を蹂躙した侵略者に対する怒りをたぎらせ、軍隊に入って反撃したいと主張。

「よく見ろ、どうにかできる相手じゃないだろ」

「俺を嫌ってもいいから妹のために生き延びろ」

とレイは必死の説得を試みるのですが、それまでのあまりのクソ親父ぶりが祟ってその言葉は通用しません。

本気で喋ってんだから頼むから聞いてくれ、不本意でも今この瞬間だけは俺に従ってくれという思いでいても、ロビーには響かない。結局ロビーはレイの元から去ってしまうわけですが、このやりとりは人の親として辛いものがありましたね。

うちの子達はまだ小学生ですが、仮に彼らが自我に目覚めた年齢になったとして、行動を変えさせるだけの説得力や信頼関係を自分が持ちうるだろうかと考えると、絶対に大丈夫とは言い切れない怖さがあります。

危機の中で芽生える親子の情愛みたいな甘い方向に流れず、息子の説得に失敗してしまう親父の姿を描くという容赦のなさも光っていました。

世評は振るわないようですが、私はスピルバーグ作品で最も気に入っています。

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