(1998年 アメリカ)
70年代の空気を纏った90年代のアクション映画。シブイ親父軍団が画面を席捲し、CGを嫌った監督によるガチンコスタントが炸裂して、なかなか目を楽しませてくれます。また殺伐としたプロの世界の構築にも成功しており、その本物っぽさも見どころとなっています。
パリの寂れたバーに、元工作員や元軍人など5人の男達が集められる。任務はあるスーツケースを奪うこと。ただしその中身は知らされない。加えて雇い主も明かされないこの任務に、男達は命をかけることになる。
1930年NY出身。テレビのドキュメンタリー出身であり、NYのスラムでのロケを敢行した少年犯罪映画『明日なき十代』(1961年)で映画監督デビュー。ドキュメンタリー出身者らしいリアリティと社会性が売りであり、敵国に洗脳された帰還兵を描いた『影なき狙撃者』(1962年)や米ソ軍縮協定を巡るサスペンス『五月の七日間』(1963年)など骨太な映画を撮ってきました。
また男性映画の雄でもあり、『大列車作戦』(1963年)、『グランプリ』(1966年)、『フレンチ・コネクション2』(1975年)、『ブラック・サンデー』(1976年)など骨太な映画を多く手掛けています。
映画界では彼を崇拝する監督も多く、ジョン・ウーはフェイバリット映画として『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』(1966年)を挙げており、代表作『フェイス/オフ』(1997年)はその影響をモロに受けていました。
またマイケル・ベイは自分の父親はジョン・フランケンハイマーだと公言していた時期があります。養父母の元で育ったベイは遺伝的な父親はジョン・フランケンハイマーだと信じていたのですが、後にDNA鑑定で否定されました。
本作のオリジナル脚本を執筆したのはスティーヴン・セガールの『弾突 DANTOTSU』(2008年)のJ・D・ザイクなのですが、現代アメリカを代表する劇作家のデヴィッド・マメットがこれを脚色しています。
マメットは80年代より映画脚本家としても活躍しており、ポール・ニューマンがアカデミー主演男優賞にノミネートされた『評決』(1982年)や、人気シリーズ第2弾『ハンニバル』(2001年)などを手掛けています。
彼の脚本作品にはロバート・デ・ニーロが出演することが多く『アンタッチャブル』(1987年)、『俺たちは天使じゃない』(1989年)、『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ 』(1997年)などはそのパターンです。
本作では脚本クレジットを巡って揉めたため、リチャード・ウェイズという変名でクレジットされています。
1943年ニューヨーク出身。稀代の演技派俳優で、アカデミー賞に7度のノミネートと2度の受賞歴を持っています。
『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1974年)に出演するためシチリア島で生活してシチリア訛りのイタリア語を身に付ける、『タクシードライバー』(1976年)に出演するためタクシードライバーとして働く、『レイジング・ブル』(1980年)でボクサーの引退後の姿になるため20kgも体重を増量するなど、その普通ではない役作りはデ・ニーロ・アプローチと呼ばれています。
本作は1998年9月25日に全米公開されましたが、2週目に入っても絶好調だったジャッキー・チェン主演の『ラッシュ・アワー』(1998年)に大差で敗れて初登場2位でした。
以降も持ち直すことはなく公開5週目にしてトップ10圏外へとフェードアウトし、全米トータルグロスは4161万ドルにとどまりました。製作費が5500万ドルもかかっていることを考えると惨敗と言えるでしょう。
冒頭、サム(ロバート・デ・ニーロ)は脱出経路を確認し、裏口にピストルを隠してから会合場所に姿を現します。この時点からヒリヒリしそうなプロフェッショナルの空気が充満し、それはラストまで途切れることがありません。
「車椅子の男」と呼ばれる共通のブローカーによって集められたのは、お互いの名前も素性も知らない男達。作戦の指揮を執るディアドラ(ナターシャ・マケルホーン)によると、あるスーツケースを買い取る資金がないため、彼らを使って盗み出すことが今回のミッションとのことですが、スーツケースの中身も、雇い主も明かすことはできないと言われます。
明らかにヤバそうなこのミッションに、男達は己の命をかけることとなります。
やはり凄いのはサムで、相手を質問攻めには合わせるが、自分のことを聞かれると適当にはぐらかしてなかなか情報を与えません。何気ない日常の動作の中で相手の資質を試すようなことを行い、目の前の男達が自分の命を預けてもいい仲間であるかの値踏みをしています。
準備や下見を欠かさず、不明な事項があれば調べに行き、現場で想定外のことが起これば作戦を中断して引き返そうとする。
そんな慎重な言動に対して「怖いのか?」と聞かれると、「ああ怖いさ。生きて帰りたいからな」と熱い切り返しを行い、修羅場を生き抜いてきた男の風格を漂わせます。
男達の中には偽物も混ざっていました。元SASを名乗るスペンス(ショーン・ビーン)はどうやら何の実績もなかったようで、サムにその点を見抜かれてチームを追放されます。
スペンスはベラベラとよく喋り、考えもなしに勢いで行動しようとするタイプでしたが、彼が偽物だったことで、本物はじっくりと情勢を見極める生き物であるということを観客に対して強く印象付けます。こうした比較対象の配置は適切でした。
加えて、『パトリオット・ゲーム』(1992年)や『007/ゴールデンアイ』(1995年)などでこの手の役柄を演じてきた実績があり、見た目ももっともそれらしいショーン・ビーンをあえて偽物にしたことで、本物のプロの世界とは地味な親父達の世界であるということも印象付けます。この配役も絶妙でした。
全体のテンポは90年代の映画とは思えないほどゆったりとしたものです。見せ場における素早いカット割りなどもなく、70年代のテンポで作られています。
しかし、このテンポがプロっぽい世界観に非常に合っています。
重要なのは撃ち合いが始まってからではなく、銃を撃つべきかどうかを悩んでいる時間なのです。相手は敵なのか味方なのか、こちらの言う通りにするつもりがあるのか、それとも別の魂胆を持っているのか。サム達は事が起こる度にそれを判断し、撃つか撃たないかを決定しています。
その判断を描くために、本作の間は非常に重要な意味を持っていました。
銃撃戦が始まってからは、まさに修羅場。その場にいた民間人が都合よく消えてくれるようなことはなく、流れ弾は容赦なく通行人を襲います。この辺りのありそうでなかったリアリティも良かったですね。
そして本作のメインの見せ場であるカーアクションは怒涛の迫力。CGによる合成を好まなかったフランケンハイマーは大勢のスタントマンを集めたガチの撮影を敢行し、その中には元F-1ドライバーまでが含まれていました。
また、カーチェイスの最中にギアを入れるワンカットを入れることで、運転するという行為を際立たせています。こうした一工夫も効果的でした。
上記の通り、作品はハードなプロの世界を基調としているので、馴れ合い的な空気はありません。特にサムは自分の情報を与えず、他のメンバー達を疑っているのだから、馴れ馴れしい会話などはありません。
しかしいくつかの修羅場を潜り抜けることでヴィンセント(ジャン・レノ)との関係は自然と醸成されていき、中盤以降はお互いへの信頼とリスペクトの念に溢れています。
言葉を使わせると陳腐になるこうした男の信頼関係を、ジョン・フランケンハイマーとデヴィッド・マメットは実に効果的に描き出していきます。
物語は二転三転の末、激しい争奪戦を繰り広げてきたスーツケースが実はどうでもよくて、ターゲットはシーマス(ジョナサン・プライス)だったことと、サムは浪人ではなく現役のCIAエージェントだったことが明かされます。
ラストに2段のドンデン返しが仕込まれているのですが、ネタバラシのタイミングのマズさからこのオチが有効に機能しておらず、「ふ~ん」と流される結果に終わっています。
オチも決まっていれば奇跡的な傑作になった可能性もあっただけに、ラストが残念でした。