【凡作】GODZILLA(1998年)_言われるほど悪くはない(ネタバレなし・感想・解説)

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(1998年 アメリカ)
悪名高きエメリッヒ版ゴジラは確かに不出来ではあるのですが、日本のゴジラ映画と比較すると随分マシとも言えるレベルなので、世間で言われるほど悪い映画でもないように思います。「これはこれでいいんじゃないの」というのが私の率直な感想です。

あらすじ

南太平洋で日本の漁船が謎の巨大生物に襲われた。アメリカ政府は現地に科学者チームを送り込んで調査を開始し、フランス政府もまた極秘裏に工作員を送り込んでいた。

アメリカの科学者ニック・タトプロス(マシュー・ブロデリック)は核実験の影響で誕生した新種の巨大生物の仕業であるという仮説を立て、漁船の生存者が「ゴジラ」と呼んだその生物の追跡を開始するが、程なくしてゴジラはニューヨークに上陸。

タトプロスはそのままアメリカ軍によるゴジラ撃退作戦に加わるが、ゴジラの上陸目的が巣作りであり、無性生殖により増加していくという自説を唱えたことから対策班内では浮いた存在となり、元恋人のテレビレポーターが極秘資料を無断で持ち出したことへの責任も問われてチームから追放される。

アメリカ軍からは信用されなかったが、もしゴジラが子供を産めば人類の危機である。タトプロスはフランス工作員フィリップ(ジャン・レノ)と共に独自でゴジラの巣を探し始める。

作品解説

ゴジラとは

ゴジラとは1954年に東宝が製作した怪獣映画『ゴジラ』(1954年)の主人公であり、当該作品は当時問題になっていたビキニ環礁の核実験に着想を得たものでした。そんな出自からゴジラは核の落とし子として絶対的な恐怖の対象として描写されており、敗戦後の混沌とした社会背景を反映した陰鬱な作風とも相まって、インパクトの強いキャラクターとなりました。

第一作のヒットを受けて、翌年には『ゴジラの逆襲』(1955年)が公開。アンギラスとの対決が描かれたのですが、シリーズはいったんそこで打ち止めとなりました。

それから7年後の1962年。アメリカで製作中止となった『キングコングvsフランケンシュタイン』の企画が流れに流れて東宝にまでやってきて、東宝はキングコングのキャラクター使用権を取得。そして対戦相手としては日本を代表するモンスターとしてゴジラを立てることにしました。

東宝設立30周年作品として公開された『キングコング対ゴジラ』(1962年)は日本国内での観客動員数が1120万人を超える大ヒットになった上に、世界的な人気キャラクターとの共演作ということで海外セールスも好調であり、東宝に莫大な収益をもたらしました。

ここからゴジラは東宝のドル箱スターとして矢継ぎ早に新作が製作・公開されるようになっていきましたが、子供向けの明るく楽しい作風にシフトしたことから第一作目のキャラクターからは著しく外れていきました。

そこからゴジラというキャラクターは急激に浪費されていき、『メカゴジラの逆襲』(1975年)の興行的惨敗から映画シリーズは再度打ち止めとなりました。

そして9年後の1984年、ゴジラ誕生30周年作品として『ゴジラ』(1984年)が公開されました。60~70年代のヒーロー路線をなかったことにした原点回帰の作風に加えて、『日本沈没』(1973年)の流れをくむ大人向けの災害パニックとして製作された同作は、配給収入17億円というまずまずの結果を収めました。

ここからいわゆる平成VSゴジラシリーズが始まるのですが、1984年版のハードな作風を引き継いだ『ゴジラvsビオランテ』(1989年)の興行収入が伸び悩んだことから次作『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)ではファミリー向け路線にシフトし、以降『vsモスラ』(1993年)、『vsメカゴジラ』(1993年)、『vsスペースゴジラ』(1994年)、『vsデストロイア』(1995年)とゴジラ映画は日本の冬の風物詩となりました。

平成VSゴジラシリーズの興行成績はどれも良かったのですが、ハリウッド版が製作されること、しかも3部作構成が予定されていたことから、2005年まで日本でのゴジラ製作中止という契約書上の条件を受け入れて1995年の『vsデストロイア』にてシリーズは一旦終了。

しかし1998年に公開されたエメリッヒ版の評判が悪かったことからハリウッドで続編が製作される目はなくなり、思いのほか早く日本でのゴジラ製作再開の目途が立って1999年に『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)が公開。興行的には及第点だったことから続編が製作されることとなりました。

ゴジラミレニアムシリーズと名付けられた一連のシリーズはSF的なこだわりが強いオタク向けの作風が特徴となっているのですが、もはやゴジラ単独での興行は不可能と判断されたのか『とっとこハム太郎』との同時上映という形でのリリースとなり、一体誰を相手に商売しているのかよくわからない興行スタイルをとったことから当然の如く伸び悩みました。その結果、第6弾『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)で終了。

以降、10年以上というかつてないほど長いブランクを迎えたのですが、レジェンダリー・ピクチャーズが製作した二度目のハリウッド版『ゴジラ』(2014年)が世界的な大ヒットとなったことから東宝でのゴジラ製作の機運が高まり、かねてより特撮ファンを公言していた庵野秀明を総監督に迎えた『シン・ゴジラ』(2016年)が製作されました。

徹底したハード路線に振り切った同作は興行成績82.5億円という破格の大ヒットとなった上に、ゴジラ映画として初めてキネマ旬報年間トップ10に入るという批評的な成功も収めたのですが、あくまで単発映画という位置づけだったのでシリーズ化はされていません。

二転三転した監督候補

話をハリウッド版ゴジラに移します。

ハリウッド版ゴジラの製作が真剣に検討され始めたのは1990年頃でした。前年に『バットマン』(1989年)が大ヒットしたことから、有名なキャラクターを使った超大作製作の機運が盛り上がったことの影響でした。

1992年に東宝から映画化権を取得したソニーは『アラジン』(1992年)を大ヒットさせ、後に『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを手掛けることになるコンビ脚本家のテリー・ロッシオとテッド・エリオットに初稿の執筆を依頼。二人はクトゥルフ神話に着想を得た物語を思いつき、ゴジラが宿敵怪獣グリフォンと闘うという内容としました。

ソニーはゴジラファンを公言するジェームズ・キャメロンとティム・バートンの元に脚本を持ち込んだのですが、どちらからも監督依頼を断られました。デヴィッド・フィンチャーにも依頼がいっていたようなのですが、当時のフィンチャーは『エイリアン3』(1992年)の失敗から立ち直れていない時期でした。一時はポール・バーホーベンが監督する意向を示したものの話は流れ、バーホーベンとの関係の深いヤン・デ・ボンが監督に就任しました。1994年のことでした。

ゴジラの大ファンであるデ・ボンはやる気満々で絵コンテを仕上げ、CGのテスト作業にまで着手したのですが、製作費の概算見積もりが1億3000万ドルを越えた時点でソニーが難色を示して企画は頓挫。ここでボツにされたプロットはデ・ボンの次回作『ツイスター』(1996年)で流用されることとなります。

その後、『スターゲイト』(1994年)をスマッシュヒットさせたローランド・エメリッヒが監督候補に浮上しました。エメリッヒの強みは独自のVFXチームを抱えていることから製作工程の一括受注が可能だということであり、外注に出す部分が少ないために製作費を安く抑えることができました。

90年代のハリウッドは製作費の高騰に頭を抱えていたのですが、その主要因はVFXがやたら高額だったことでした。業界最大手で毎年のようにアカデミー視覚効果賞を受賞していたVFX工房ILMに外注に出すとバカ高い金額を請求されるので、ジェームズ・キャメロンは独自のVFXスタジオを設立して『トゥルー・ライズ』(1994年)を製作するような状況でした。

そうしたVFX内製化の第一人者がエメリッヒであり、もともとプロダクション・デザイナーを志望していたエメリッヒは技術に精通しており、西ドイツ時代から子飼いのスタッフを抱えてVFXを内製していました。

実際、エメリッヒは次回作『インデペンデンス・デイ』(1996年)を僅か8000万ドルで作り上げており、納期と予算の厳守という点でハリウッドからは重宝されていました。その点が、デ・ボン版で製作費超過がボトルネックとなった『ゴジラ』の企画と整合したというわけです。

エメリッヒはゴジラを1億ドル以内で製作可能と主張し、1996年にソニーとエメリッヒの契約が成立。かくしてエメリッヒ体制での製作が決定したのですが、ソニーとの契約後に公開された『インデペンデンス・デイ』(1996年)が年間興行成績でぶっちぎりのNo.1を獲得したことから、エメリッヒに向けられる期待はさらに高まりました。

困難を極めた新ゴジラ像

エメリッヒはテリー・ロッシオとテッド・エリオットによる脚本を放棄して一から企画を組み直すことにしたのですが、いざ具体的な物語を考え始めるとコメディ路線しか思いつかずに苦戦しました。しかしソニーはシリアスに作れと言ってくる。

そんな中でエメリッヒがソニーに提示したのがキャラクターの大幅変更であり、ゴジラに根本的なお色直しを施したうえで、東宝にまで出向いて当該変更の承諾を受けました。なんだかんだ批判されていますが、エメリッヒは無理を言われながらもいろいろ考え、ちゃんと筋を通しながら作っていたのです。

1997年4月に製作が本格始動しましたが、重々しい動きをする日本のゴジラとはまったく違う新ゴジラをどうやって動かせばいいのかアニメーター達には皆目見当もつかず、VFXの作業は捗りませんでした。

従来は現場管理に長けていたエメリッヒが、本作に関してはクリエイティブ面で行き詰まり作業の遅延を起こしかけていたのです。

その救世主となったのがアニメーターのアンドリュー・R・ジョーンズでした。彼は後に『アバター』(2009年)を手掛け、また『ジャングル・ブック』(2016年)と『ライオン・キング』(2018年)で実写と区別がつかないほど細密なCGアニマルを製作することとなるハリウッドトップクラスのコンピューター・アニメーターであり、『タイタニック』(1997年)の作業が終わってスケジュールが空いたことから本作に参加することとなりました。

ジョーンズの参加により、脚本通りにゴジラを動かすという問題は何とかクリアー。

かくして難産の末に本作は誕生したのですが、結局、製作費は1億3000万ドルもかかりました(実は1億7000万ドルかかったのではという推測もありますが…)。

公開時の悲惨な評価

前述のとおりクリエイティブ面での困難性から製作は遅れ気味であり、ソニーは作品の質を上げるべく公開日を遅らせるという提案をしたのですが、エメリッヒは予定通りに納品すると主張。

その言葉通り作品は期日に間に合ったのですが、ソニー幹部が作品を見られたのが公開3週間前という本当にギリギリの納品だったためにテスト上映などを行う余裕がなく、プレミアにて初披露となりました。

一般客の反応をうかがいながらの微調整ができていないこともあって、案の定、レビューは最悪。ほぼ満場一致でつまらないという意見であり、本作を肯定的にとらえているレビューを探し出すことが困難という有様でした。

後に、スティンガーズ最悪映画賞が選出する20世紀最悪映画でワースト20に入ったほどであり、酷い出来ということで本作への歴史的な評価はほぼ確定しています。2021年現在に至るまで再評価の機運は微塵も高まっていません。

本作の敗因はドイツ人のローランド・エメリッヒにとってゴジラが身近なキャラクターではなかったために、変えてはいけないオリジナルのスピリットを継承できなかったことであり、後にソニーが社運をかけて『スパイダーマン』(2002年)を製作した際には、原作のファンであることを監督選任の条件の一つとして加えました。

興行的には成功した

そんなわけで映画としての評価は壊滅的だったのですが、興行成績は別。

1998年5月20日に全米公開されるや、3日間で4400万ドルを稼ぎ出すという記録的なオープニング興行成績を叩き出し、前週までの1位だった『ディープ・インパクト』(1998年)を大差で下しての全米No.1ヒットを記録。

2週目も1位をキープした後、3週目にしてジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』(1998年)とマイケル・ダグラス主演の『ダイヤルM』(1998年)に敗れて3位に後退。全米トータルグロスは1億3631万ドルで、年間興行成績第8位という悪くない結果を収めました。

そして国際マーケットではアメリカ以上の強さを見せ、全世界興行成績は3億7901万ドルに及びました。これは年間興行成績第3位という好記録であり、上にいたのは『アルマゲドン』(1998年)『プライベート・ライアン』(1998年)だけでした。

感想

かなりイケる導入部

作品は1950年代の核実験映像から始まるのですが、セピア色の映像と物々しい音楽により描かれるゴジラ誕生場面には『ゴジラ』第一作(1954年)の空気感が宿っており、何度見てもその素晴らしさに身震いしそうになります。

そこから物語は90年代の現代へと移り、軍隊と科学者が謎の巨大生物の痕跡を辿るというモンスター映画としては定番の展開を迎えるのですが、これまたロケーションによるライブ撮影とVFXを組み合わせた場面が連続し、まだ見ぬゴジラへの期待感を大いに高めてくれます。

この映画、導入部は実によくできているのです。

しかも簡潔であり、説明に時間を使いすぎることなく開始25分後にはゴジラはNY上陸。この無駄のなさ、テンポの良さには感心させられました。

ゴジラの個性が確定していない

NY上陸後にはゴジラvs米軍の戦いが始まるのですが、ここから映画の質はガクっと落ちます。

ゴジラを駆除すべき巨大生物として描きたいのか、応援すべきヒーローとして描きたいのかが定まっておらず、物語の見方が最後までよくわからないのです。

ゴジラvs米軍の第一回開戦時。大量の魚におびき出されたゴジラが初めて全身を見せる場面ではヒーロー誕生とでも言いたげな勇壮な音楽が流れ、そこから始まる戦闘においてもゴジラは積極的な攻撃を行わず、町を破壊するのは専ら米軍。

この一連の場面を見る限りでは、映画の作り手たちは観客に対してゴジラへの愛着を覚えて欲しかったのだろうと思います。

しかし程なくして映画は「ゴジラが卵を産んでいる可能性がある」として、もしベビーゴジラが孵化すれば人類の脅威となるから、その前に卵を発見しなければならないという話になっていきます。ここでゴジラは愛すべきキャラクターから駆除すべき巨大生物へと格落ちします。

その後いろいろあって孵化したベビーゴジラ達は『ガメラ2/レギオン襲来』(1996年)の群体レギオンの如く主人公一行を襲い、F-18のミサイルにより焼き払われて人類は事なきを得ます。

ここまでの流れではゴジラは迷惑生物以外の何物でもなかったのですが、ベビーゴジラの死骸を見つめる母ゴジラの悲しげな表情や、その母ゴジラがこれまたミサイル攻撃で死ぬ場面ではゴジラへの感情移入を求めるような演出が再度施され、どう感じていいのかが分からなくなります。

加えて、ゴジラへの同情を求めた数秒後にはゴジラ撃退に歓喜する人々の姿が描かれるので、余計に混乱させられました。この映画は観客に一体何を感じ取ってほしいのだろうか、そもそも作り手たちはゴジラをどんな存在として理解していたのだろうかと。

中途半端な人間ドラマ

出来が悪いのはゴジラだけではなく、人間のキャラ達も同じくです。感情移入可能なキャラクターが一人もいないので、ドラマに一本筋が通っていないのです。

ただし不思議な点が一つ。頭の中で脚本レベルにまで戻していくと、直感的な感想とは裏腹に登場人物達は意外とよく作りこまれているということに気づきます。なんでしょう、この奇妙な感覚は。そこで人間ドラマについて振り返ってみましょう。

  • 研究のみを愛するあまり世間や学界での立ち回りに無頓着で変人扱いの科学者。
  • その元カノで、アンカーウーマンになりたくてテレビ界に入ったが30歳を目前にしてもアシスタント止まりのテレビ局スタッフ。
  • 彼女を支える気さくなベテランカメラマン。
  • 母国が生み出してしまったゴジラ騒動に介入するフランス人工作員。

彼らが織りなすミクロなドラマを中心として、行政・軍隊・科学者の連携の悪さや、混乱を煽る方向に動いてしまうマスコミなどマクロな視点も絡められています。こうして振り返るとなかなか複雑なドラマが構築されているのです。

そしてドラマの中心人物はアンカーウーマン志望のオードリー・ティモンズだったと思われます。

マリア・ピティロ扮するオードリー・ティモンズ。ピティロに決定する前にはレニー・ゼルウィガーも配役候補だったとか。
©Sony Pictures

オードリー以外の登場人物達は一癖も二癖もありつつも独自の分野ですでに確実な実績や評価を手にしており、今回のゴジラ騒動においても各自やるべきことをやっている中で、彼女だけは不完全な職業人として描かれています。この構図から考えるに、彼女の成長譚こそが作品の横糸だったはず。

オードリーは生き馬の目を抜くテレビ業界の住人ではあるが、何としてでも大役を掴んでやろうというガッツもなければ、他人の地位をかすめ取ってでも上に行こうとするズル賢さもない。一度も叶えられたことのないうわべだけの約束を信じて上司の言いなりになり続けて現在に至っています。

そんなオードリーが、元カレが政府の御用学者となったという縁でゴジラ騒動の中心人物の一人となり、職業人として一人前になるまでのドラマ。

終盤、放送を通じてベビーゴジラの脅威を訴え、軍隊の意思決定を変えさせる場面こそが彼女の成長譚のゴールであり、それまで危なっかしかったオードリーがアンカーウーマンとして堂々たるレポートをやりきる場面こそが最大の感動ポイントだったはずなのですが、どうにもこれが決まっていません。

オードリーを演じたマリア・ピティロの演技はその年のラジー賞で最低助演女優賞を受賞するという酷評を受けました。本作以降、彼女はたまにテレビドラマにゲスト出演する程度の女優となり、そのキャリアは本作で終わったと言っても過言ではありません。

ただし問題はピティロの演技力よりも、オードリーというキャラクターが当初の想定よりも小さくされすぎたことではないかと思います。その結果、ただうるさくて場を引っ掻き回すだけの不快なキャラクターになってしまったのではないかと。

『スターゲイト』(1994年)や『インデペンデンス・デイ』(1996年)でも感じたのですが、ローランド・エメリッヒの映画は脚本レベルでは結構しっかりと作りこまれており、決してバカにできるような代物ではありません。

しかしエメリッヒの演出力では自分が書いた脚本のポテンシャルを引き出せないようで、いつも中途半端なところでドラマを切り捨ててしまい、バカ映画と言われてしまうことが常です。本作では特にその傾向が強く出ているように感じます。

不完全なVFX

加えて、頼みの綱のVFXの出来もよくありません。

都市破壊は同年の『アルマゲドン』(1998年)『ディープ・インパクト』(1998年)を下回るクォリティであり、NYの街並みがあまりにもミニチュア然としすぎていました。ベビーゴジラが暴れる場面に至っては5年も前の『ジュラシック・パーク』(1993年)をも下回るレベル。

ライブアクションとの組み合わせなんて最悪で、逃げる兵隊の後ろで戦車が爆発する場面などは遠近感が不自然で合成丸出し。7年も前の『ターミネーター2』(1991年)にもまったく及んでいませんでした。

映像でアッと驚かせるということができていないのでは、夏の大作として赤点としか言いようがありません。

それでも東宝のやつよりは面白い

こうして文句ばかりを書いてきましたが、それでも私は本作を駄作だとは思っていません。

なぜなら、東宝が作ってきたゴジラ映画の大半は本作よりもはるかに酷いものばかりだったから。

子供の頃の私は特撮映画が好きで、昭和のシリーズと平成VSゴジラシリーズは全作見ているのですが、はっきり言って子供騙しにすらなっていない映画ばかりでした。

それらと比較すると、本作は遥かに面白くて見ていられるのです。

本作が公開された時に「日本のゴジラと比べると…」なんて言って本作を貶す評価が多かったのですが、そういうことを言ってる人たちは一体何本ゴジラ映画を見たことがあるのだろうかと疑問に思っていました。

『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)や『ゴジラ対メガロ』(1973年)を見ても同じことを言えるのか、あなた方はと。

見方を変えれば、ハリウッドが作ってもゴジラは難しいということを証明した映画だったとも言えます。

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