(2002年 アメリカ)
スピルバーグにとっては珍しいミステリーなのですが、スピは驚くほど華麗に新ジャンルをこなしており、かなり面白く見応えがありました。設定にいくつかおかしな点があるので完全な傑作とは言えませんが、スピ作品の中でも相当面白い部類に入ると思います。
2054年のワシントンD.C.では、犯罪予知システムの導入によって殺人発生率が0%となっていた。その画期的な効果を全国展開するための国民投票を控えて、司法省が犯罪予知局の視察に訪れていたが、そんな折に予防局チーフのジョン・アンダートン(トム・クルーズ)が殺人を犯すとの予報が出る。被害者として予知されたのはリオ・クロウという知らない男だったこともあり、何かの間違いであると考えたアンダートンは逃亡する。
1946年シンシナティ出身。
学生時代からユニバーサルに出入りし、後の社長シド・シャインバーグに見初められて21歳でユニバーサルと7年契約を締結。史上最年少で監督契約を結んだ人物となりました。
テレビ映画『激突!』(1971年)が話題となり、『続・激突!カージャック』(1974年)で映画監督デビュー。
長編映画2作目『ジョーズ』(1975年)が興行記録を塗り替える大ヒットになったことから20代にして一流監督となり、『未知との遭遇』(1977年)、『レイダース/失われた聖櫃』(1981年)、『E.T.』(1982年)と歴史的なヒット作を量産しました。
90年代に入ると『シンドラーのリスト』(1993年)と『プライベート・ライアン』(1998年)でアカデミー監督賞を受賞して批評面での敬意も受けるようになり、2018年には総興行収入が100億ドルを超えた史上初の監督となりました。
1962年ニューヨーク州出身。
高校卒業後に俳優を目指してハリウッドに移り、『タップス』(1981年)、『アウトサイダー』(1983年)、『栄光の彼方に』(1983年)などの青春映画に次々と出演。『卒業白書』(1983年)でゴールデングローブ主演男優賞にノミネートされました。
リドリー・スコット監督のファンタジー『レジェンド/光と闇の伝説』(1985年)はコケたものの、その弟トニー・スコット監督の『トップガン』(1986年)が年間第一位の大ヒットとなり、加えて同年に出演したマーティン・スコセッシ監督の『ハスラー2』(1986年)で共演のポール・ニューマンにアカデミー主演男優賞をもたらしたことで評価と人気を獲得。
以降も『カクテル』(1988年)や『デイズ・オブ・サンダー』(1990年)のような若者向けの軽い作品と、『レインマン』(1987年)や『7月4日に生まれて』(1989年)のような賞レース向けの映画の両方にバランスよく出演し、スターの中のスターとなりました。
40歳を過ぎた辺りからアクションスターとして開眼し、近年は『ミッション:インポッシブル』シリーズの無茶なスタントで名を馳せています。
原作はSF作家フィリップ・K・ディックの短編小説『少数報告』(1956年)。
この小説にまず目を付けたのは、同じくフィリップ・K・ディック原作の『トータル・リコール』(1990年)を大ヒットさせた脚本家ゲイリー・ゴールドマンとロナルド・シュゼットのコンビで、90年代初頭、二人はポール・バーホーベン監督×アーノルド・シュワルツェネッガー主演でもう一本作る際の原作にこれを使おうとしていました。
それは『トータル・リコール』の続編企画なのか、それとも単独作品のつもりだったのかは分かりませんが、いずれにせよシュワルツェネッガーが態度を鮮明にしなかったため企画は前進しませんでした。
そのうちポール・バーホーベン作品の撮影監督だったヤン・デ・ボンが引き継ぎ、デ・ボンは新人脚本家ジョン・コーエンを雇って脚色をしました。
しかしヤン・デ・ボンも『スピード』(1994年)と『ツイスター』(1996年)の大ヒットで監督として引っ張りだこになったので、この企画からは離脱しました。
本作の製作総指揮としてヤン・デ・ボンの名前がクレジットされていますが、彼は製作の何年も前にプロジェクトを去っていたのです。
ただし20世紀フォックスは依然としてこの企画を諦めておらず、1997年に会長のトム・ロスマンが直々に『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)を撮影中のトム・クルーズの元を訪れ、企画の説明を行いました。
ここでのトム・クルーズの反応は最高で、「ぜひ自分がやりたい」というロスマンが期待した通りの回答が得られました。
そしてトム・クルーズが望んだ監督はスティーヴン・スピルバーグ。ここに世界最高の監督とスターのタッグが成立したのです。
脚本を持ち込まれたスピルバーグはノワールのようなテイストを入れるため、『ゲット・ショーティ』(1995年)や『アウト・オブ・サイト』(1997年)で注目されていた若手脚本家スコット・フランクを雇いました。
敏腕のフランクは、トム・クルーズがダークな役を演じたがっているのを知っていたので主人公を内面に問題を抱えた人物にし、またスピルバーグがジョン・ヒューストン監督の大ファンであることを知っていたので全体的に犯人探しの要素を強めました。
フランクの思惑通りクルーズもスピルバーグもこの脚本に満足し、これが決定稿となりました。
この時点でジョン・コーエンによる初期稿は原形をとどめないほど書き換えられており、本作の脚本はスコット・フランクの単独作品と言っても過言ではないのですが、脚本家協会の規則でジョン・コーエンの名前もクレジットに残っています。
当初、20世紀フォックスは2000年に本作を公開したいと考えており、そのために予定されていた共演者は次の通りでした。
有名どころをズラっと揃っており「おお、すげぇ!」という感じですが、『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)にギネス記録を更新するほどの撮影日数がかかったことから、トム・クルーズのスケジュールが大幅に狂ってきました。
1998年7月に『アイズ・ワイド・シャット』の現場からようやく解放されたクルーズは大急ぎで『ミッション:インポッシブル2』(2000年)の製作に取り掛かり、スピルバーグは『A.I.』(2001年)を先に作り始めたことから本作の製作は延期され、クルーズ以外の出演者は総入れ替えとなりました。
『アイズ・ワイド・シャット』と『A.I.』、本作を遅らせたのはどちらもキューブリック絡みの企画だったという点に因果を感じさせます。
撮影は2001年3月に開始し、2002年6月に全米公開。
世界最高の監督とスターがタッグを組んだフォックス肝いりの作品でしたが、ボックスオフィスは初登場2位(その週の1位は『リロ&スティッチ』)、最終的な売上は1億3200万ドルで、同時期に公開された『スクービー・ドゥ』にすら勝てませんでした。
後世から振り返ると2002年の観客は一体どんな神経してたんだという感じですが、これが結果。失敗とまでは言えませんが、期待値にはまったく届きませんでした。
興行成績の分析をすると、本作の一週間前に公開された『ボーン・アイデンティティ』が予想以上に健闘していた上に(最終的な興行成績は1億2000万ドル)、5月に公開されたジャック・ライアンシリーズの新作『トータル・フィアーズ』もしぶとくランキングに残っており、大人向けの複雑なエンターテイメントという点で共通していた3作が同じ客層を食い合ったことが原因と見られます。
本作は明確なゴールに向かって主人公が行動するタイプの映画ではなく、この物語が一体何を目指しているのか観客も主人公も皆目見当がつかない中で、絶え間ない追跡劇が繰り広げられるタイプの映画となっています。
その傾向はトム・クルーズが主演した『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)にも通じるものがあるのですが、単純なストーリーをビジュアルで引き伸ばすことの多いスピルバーグにとっては例外的な構成となっており、かなり複雑で分かり辛い内容となっています。
これまで扱ったことのないタイプの映画をスピルバーグが一体どう料理したかと言うと、フィルムノワールとして驚くほど真っ当に仕上げています。
見せることと語ることとの間で絶妙なバランスを取り、やや長尺ながら物語に対する関心の高い状態を維持し続けます。
ゴール設定のない物語らしく内容は二転三転し、その度に観客に大きな驚きと興奮を与えます。
スピルバーグは『フレンチ・コネクション』(1971年)の大ファンであり、本作の製作に当たっても同作を意識したと言いますが、その出来栄えはウィリアム・フリードキンにも負けないほどのノワールぶりでした。
そんな怒涛のストーリーはアクションにより紡がれていくのですが、スペクタクルの巨匠スピルバーグは、見せ場をこの上なくスピーディに展開させて目を楽しませてくれます。
殺人容疑をかけられたアンダートンが逃走する前半の見せ場は白眉であり、ドンパチ撃ち合ったり派手に爆破したりはないものの、知恵と体力を総動員して逃げ回るトム・クルーズの動きと、目まぐるしく移り変わる舞台によって連続大活劇を生み出しています。
そしてスピルバーグ印のユーモアも健在。
嘔吐棒をアンダートンに奪われた警官が隣の警官に向かって豪快にゲロを吐きかけたり、ジェットパックを背負った警官とアンダートンが揉み合っているうちに集合住宅内に入っていき、住人たちに大迷惑をかけながら小競り合いを継続したりと、「こんな緊迫の場面でそんな冗談やるの?」と呆気にとられるような展開を挿入していきます。
そんな笑っていいのかよく分からないユーモアも本作の味となっており、結果として実にスピルバーグらしいアクション映画となっています。お見事でした。
スピルバーグはエンジニアや社会学者、VRの専門家などを集めて、2054年のワシントンがどうなっているのかを可能な限りリアルにシミュレーションしました。
そんな過程を経て姿を現した未来像は、技術革新の成果というよりも消費社会の延長として構築されており、公開当時はかなり新鮮でした。
SF映画は今後この方向性で進化するのかなと思ったほどですが、本作の影響をダイレクトに受けたのはジョン・ウー監督の『ペイチェック』(2003年)だけでしたね。そちらもフィリップ・K・ディック原作でしたが。
また、現実のコーポレートブランドを全面的に採用することで我々の住む現実と地続きの世界であるという錯覚をもたらし、レクサスやノキアに劇中登場する車両やガジェットのデザインをさせることで、もっともらしさをより高めています。
現実世界のブランドをSF映画に登場させるということをしたのは『ブレードランナー』(1982年)の強力わかもと以来ではないでしょうか。そちらもまたフィリップ・K・ディック原作でしたね。
物語の背景として、それまでワシントンD.C.限定だった犯罪予防局を全国展開するか否かの国民投票が控えており、制度の意義や倫理的問題についての議論が交わされています。
アンダートン(トム・クルーズ)は台の上で球を転がし、その台が途切れるところで制度の視察に来ていたウィットワー捜査官(コリン・ファレル)が球をキャッチします。
「なぜ球をキャッチしたんだ?」
「落ちるところだったからだ」
「でも落ちてないよな」
犯罪予防とはこういうことであり、起こると分かっている犯罪は止める。球が落ちようとしていたことのみが事実であり、実際に落ちたか落ちていないかは関係ないとアンダートンは主張します。
一方ウィットワーはと言うと、人間の精神は善と悪の間で常に揺らめいており、その結果としての行動は球の動きのようにシンプルではないと考えています。
ここでウィットワーが敬虔な者であるという設定が生きてくるのですが、人の精神や行動とは神聖なものであり、人の頭の中を見た気になり、起こってもいないことで他人の運命を変えることは、人間がしてもいい領域を超えているのではないかと主張します。
ここに予防という行為の倫理的な難しさがあります。さすがに本作で描かれるような犯罪予知はありえないにしても、膨大なビッグデータの分析によって近い将来犯罪に手を染める可能性の高い人間を統計的に絞り込む技術はできるかもしれません。
被害者が出る前に将来の加害者を社会から隔離しておくことは、社会全体の安定ということを考えると意義があります。
しかしやってもいない罪で人を裁くことには人道上の大きな問題があり、それが可能であってもしてはいけないのではないかという論も成り立ちます。
本作はアンダートンvsウィットワーの対話に集約していますが、監視カメラの設置や通信の傍受など防ぐための仕組みは人権とのせめぎ合いであり、どちらに振り切れても良い結果は得られません。本作にはそんな考察までが込められているのです。
そんな問題大ありの犯罪予防局を支えるジョン・アンダートンの人となりを一体どうするのか。
スピルバーグが頭を悩ませた点なのですが、スコット・フランクはかつて犯罪によって息子を失い、犯罪を憎む男という設定を考え付きました。これにはスピルバーグも満足。
また犯罪予防局を象徴する英雄でありながら、内面は壊れかけており荒んだ二重生活を送る男という設定には、トム・クルーズも納得しました。
息子を失い、その結果妻との関係も悪化したアンダートンは、バージェス長官と親子関係に近いほどの親密な関係を結び、犯罪予防に没頭しました。
アイドル的な立ち位置からより幅の広い俳優に移行しようとしていたトム・クルーズは、あの時のトムだからこそ出せる独特の雰囲気で二面性のあるアンダートン役をモノにしています。
危機に対してはヒーロー然とした強さを見せる一方で、家族が関わる問題に対しては弱さを覗かせ、バージェス長官に対しては無防備なまでの信頼を寄せる。
アクション映画のヒーローとしては隙だらけではあるのですが、それがアンダートンの人間味に繋がっており、観客が共感を抱く点となっています。
スピルバーグの見事な演出が光っているとはいえ、複雑で分かり辛い話だったことは間違いないので、本編を分かりやすくするためにバージェス長官視点で本編を振り返っておきます。
こうして羅列してみると謎なのは6.で、バージェスは一体どうやってアンダートンがクロウに辿り着く道筋を作り、その結果抱く殺意をプリコグ達に予知させたのかは謎です。
加えて8.でウィットワー殺害をプリコグに予知されなかった理由もよく分かりません。 もしかしたらバージェスはプリコグの意思決定に介入する裏技でも持っていたのかもしれませんが、そうではなく脚本に大きく開いた穴を埋めずに作ったということも考えられます。
本編中に、これらの疑問点に対する説明がなかった点がちょっと残念でした。