(1993年 アメリカ)
コミカルなSFアクションとしてはまとまりがよく、またウェズリー・スナイプスとサンドラ・ブロックという脇役にも恵まれたこともあって、スタローンが試みてきたコメディへの挑戦作の中ではもっとも成功した作品だと言えます。 その一方で、本編中に確実に存在していた社会風刺の部分が中途半端に終わっています。
1996年、ロス市警のスパルタン刑事は凶悪犯フェニックスを逮捕するが、その際に人質を巻き添えにした罪を問われて冷凍刑に処せられた。2032年、仮釈放審査で解凍されたフェニックスが逃亡し、フェニックスを追うためにスパルタンも解凍される。
『コマンドー』『プレデター』『リーサル・ウェポン』『ダイ・ハード』と、日曜洋画劇場で育った世代にとっては先生とお呼びしたくなるほどの偉人。スタローンとは今回が初タッグだったのですが、当初彼が考えていたのはジョン・スパルタン役にスティーヴン・セガール、サイモン・フェニックス役にジャン・クロード=ヴァン・ダムという組み合わせでした。
ただしヴァン・ダムが悪役を嫌がり、その後配役をひっくり返して話を持って行ったら今度はセガールに断られ、この話はなくなりました。私としては、前時代の暴力刑事にセガール、よく喋る悪人にヴァン・ダムというキャスティングはよく合っていると思うのですが。
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監督はイタリア出身で撮影当時32歳のマルコ・ブランビヤという人なのですが、本作以前に何をやっていたのか、なぜスタローン主演の大作の監督にいきなり抜擢されたのかは、どこを調べてみてもよく分かりません。2002年には総製作費100億円を投じたテレビのミニシリーズ『ダイノトピア 謎の恐竜王国』全話の監督を務めました。
言わずと知れたロッキー兼ランボーですが、90年代前半には両シリーズがひと段落しており、かつ、80年代には格下だったシュワルツェネッガーの猛烈な追い上げを受けて、当時は方向性に迷っていました。シュワが一山当てたコメディへの参入を考えていたのですが、1991年の『オスカー』、1992年の『刑事ジョー ママにお手上げ』が連続して撃沈。その流れを受けての本作でした。
『ロッキー』以来自力でキャリアを切り開いてきたスタローンが、ジョエル・シルバーという有力プロデューサーの下に入り、セガールやヴァン・ダムといった格下のアクション俳優に断られた役を演じたという点に、当時のスタさんの混迷ぶりがうかがえます。
今でこそ刑務所のご厄介にもなったエクスペンダブルズというイメージですが、90年代前半のウェズリー・スナイプスは輝いていました。当時はイケメン俳優枠にいたし、スパイク・リー監督作の常連で演技力にも定評があり、しかも12歳から各種武術を身に付けておりアクションもできるということで、何でもこなせる次世代スター候補の筆頭格でした。
なお、彼が演じたフェニックス役にスタローンはジャッキー・チェンを要望していたのですが、悪人を演じることをファンが求めていないと断られて、ウェズに話が来たという経緯があります。ヴァン=ダム、セガール、ジャッキーと次々と断られた役を引き受けたウェズの度量には頭が下がる思いがします。
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現在ではハリウッド一のスター女優に君臨しているサンドラ・ブロックが、『スピード』でブレイクする前年に本作に出演しています。彼女が演じたレニーナ役にはロリ・ペティがキャスティングされており、数日の撮影はしたものの降板。そのピンチヒッターが、たまたま予定の空いていたサンドラ・ブロックでした。
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このブログでは頻繁に登場する人物・スチュアート・ベアードが本作の編集を担当しています。
彼は編集の神と呼ばれた人で、リチャード・ドナーやマーティン・キャンベルとの関係が深くて『スーパーマン』『リーサル・ウェポン』『007/カジノ・ロワイヤル』のような傑作の編集を担当しているのですが、他方でその器用さが仇となって、ダメ映画の直し屋として使われることも数多くありました。この人の名前を見かけたら、その映画には何かあったんだなと思った方がいいです。以下は、彼が手直しに駆り出された映画の代表例です。
≪スチュアート・ベアードが直した作品≫
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ミッション:インポッシブル2【駄作】シリーズ随一の駄作
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
本作では当初2時間強あった上映時間にワーナーが難色を示し、ベアードに尺を詰めさせました。以下がカットされたシーンです。
冒頭のフェニックス逮捕場面では、素早いカット割りのアクションが炸裂します。スパルタンがヘリから降下し、雑魚を次々と片付けながらフェニックスへと迫るのですが、この場面の勢いがえらいことになっています。公開当時には、未体験のスピード感に感激しまくった覚えがあります。そこからのシルバー印のビル大爆破との併せ技で、アクション映画史上最高レベルのイントロだと当時はかなり本気で思っていました。この冒頭は現在でも十分に通用するレベルではないでしょうか。
この冒頭以降、アクションの中心はスパルタンからフェニックスへと移っていくのですが、格闘術をインプットされた凶悪犯という設定をウェズが見事に体現しており、ウェズの動きの凄さにこれまた感動しました。かつ、スパルタンとまみえる場面では、スピードのフェニックスに対してパワーのスパルタンという描き分けとなっており、ファイトスタイルによってキャラクターを語るということができています。
監督のマルコ・ブランビヤがそれまで何をしてきた人なのかはよく知りませんが、新人ながらこれだけのアクションを撮れる人材が、本作以降にアクション大作を撮っていないことはとても残念に思います。もう何本か撮らせていれば、そのうち名作を撮ったかもしれないのに。
20世紀の暴力刑事が平和の実現した社会で浮くという異文化交流が本作の骨子なのですが、この部分も比較的よくできています。本来はコメディを不得意としているスタローンが常に受け身で、サンドラ・ブロックといううまい人を前面に立てたキャスティングが奏功しており、笑わせようと意図した場面がきちんと面白くなっていました。
これはジョエル・シルバーが1982年に製作した『48時間』でのニック・ノルティとエディ・マーフィーの関係をまんま応用したものであり、ムスっとしている主人公に対して、脇役がどんどん話を進めていくという形式をとっているのですが、当時は無名に近かったサンドラ・ブロックがエディ・マーフィー並みにうまく立ち回れているので、スタローンとの間できちんと化学反応が起こっています。サンドラ・ブロックを選んだシルバーのキャスティングセンスには、相変わらず脱帽でした。
SFアクションでは、いかに悪い時代になっているかという方向性で未来社会を構築することが常套手段なのですが、それをひっくり返した点が本作の特徴となっています。この世界の歴史では、2010年に西海岸を大地震が襲い、その復興の過程でコクトーというカリスマ的な指導者によって新しい社会秩序が築かれたということになっています。
コクトーの方針は徹底した管理であり、全住人に追跡装置を埋め込み、アルコール・カフェイン・タバコ・塩分はすべて禁制品としました。また性と暴力は繋がっているという分析から、暴力排除のために性行為までを禁止し、妊娠はラボでの人工授精で行われます。この徹底した管理の先に、平和な社会があるのです。
犯罪撲滅に成功した社会なので本作に出てくる警察官は平和主義者ばかりで、いつもニコニコと礼儀正しいのですが、制服はファシスト風なんですよね。加えて、コクトーに対して盲目的な服従をしているアール署長みたいな人物もおり、この完璧な平和を実現するまでの過程では、この警察が相当エグいこともやって来たんだろうなということを匂わせています。
この制服が同じくスタローン主演の『ジャッジ・ドレッド』でのジャッジの制服にソックリ。あちらもまた、治安維持のために権力の集中を許すべきかという話だったし、根っこのテーマが両作で非常に似通っています。スタローンの趣味なんでしょうか。
ジャッジ・ドレッド(1995年版)【凡作】悪くはないです、本当に(ネタバレあり感想)
あらためて見て思ったのが、2002年に製作された『マイノリティ・リポート』との共通点が多いということです。『マイノリティ・リポート』の未来像が絶賛されているのに、その9年も前に同様の世界を構築していた本作が特に顧みられないのはちょっと気の毒です。
このように表の社会像の構築には成功しているのですが、その裏側にあるアウトサイダー社会を描くことには失敗しています。フレンドリー達は腹を空かしてまで地下社会に閉じこもっているのですが、なぜ彼らがそこまでしてコクトーによる管理を拒絶しているのかという点を合理的に説明できていないのです。
「自由こそが人間の本質だろ」みたいなセリフもあるのですが、自然人ならば本来無制限に持っているはずの自由の一部を差し出すことで安定・安全を得ているのが、社会契約論の時代からの社会の基本構造ですよね。あらゆる刺激物を差し出す代わりに絶対的な安全が保障されるコクトーの社会では、住人と権力者の間での等価交換がちゃんと成立しているわけで、フレンドリーが忌み嫌うほどの異常な社会体制でもないような気がします。
「コクトーは欲と権力にまみれている」というフレンドリーのセリフについても、コクトーが権力を私利私欲のために使っている具体的な描写がないために、観客から受け入れられるだけの有力な理由になりえていません。
管理を受け入れる代わりに安全を得るのか、自己責任の伴う自由を享受するのかという社会的なテーマがあり、さらには、どんな不利益があってでも人間として決して譲ってはならない一線とはどこにあるのかという哲学的なテーマも内包した題材だっただけに、アウトサイダー側の言い分をまとめられていない点は残念でした。
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