(1984年 アメリカ)
視覚的にはかなり見応えのある映画で、個人的には大好きです。ストーリーテリングに難があるため全面的な支持はできないのですが、出来の悪い子ほどかわいいと言うか、これだけ穴だらけだとブランクを自分の頭で補うことが楽しくなったりもします。
西暦10191年。人徳と政治力を兼ね備えたレト・アトレイデス(ユルゲン・プロホノフ)を脅威と見做した宇宙皇帝シャダム4世(ホセ・ファーラー)は、アトレイデス家とライバルのハルコネン家の間で争いが起こるよう、謀略を巡らせていた。謀略の舞台は惑星アラキス。そこは宇宙で唯一、人間の意識を拡張させるメランジと呼ばれるスパイスが産出される星だった。
1919年イタリア王国出身。1940年から150本以上の映画をプロデュースしており、インディペンデントのプロデューサーとしては最高峰に君臨していました。特に1970年代から1980年代前半にかけては、『キングコング』(1976年)、『ハリケーン』(1979年)、『フラッシュ・ゴードン』(1980年)、『コナン・ザ・グレート』(1982年)と、質はともかくかける金は凄まじい映画を多く手掛けており、そんな超大作路線の中でも突出した規模で製作されたのが本作でした。
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1946年アメリカ生まれ。若い頃は画家を目指して美術大学に通っており、絵画を学ぶためにオーストリアに渡ったものの、現地に行くと創作意欲が萎えてたったの15日間で帰国しました。その後は再度芸術学校に入学したのですが、ここで知り合った妻ペギーが予想外の妊娠をしてしまい、鉄道や工場に囲まれた極めて条件の悪い家での生活を余儀なくされました。
1971年にアメリカン・フィルム・インスティチュートの奨学金を得てロサンゼルスに転居し、AFI Conservatoryに入学。1972年から4年をかけて自主映画『イレイザーヘッド』(1976年)を監督しましたが、これは奥さんが長女を妊娠してお先真っ暗になった当時の心境をダイレクトに反映した映画でした。
続く『エレファントマン』(1980年)でアカデミー作品賞を含む8部門にノミネートされたことから知名度を上げ、総製作費4000万ドルをかけた超大作である本作での起用に繋がりました。
ただし本作での興行的・批評的苦戦がこたえたのか、以降は娯楽作・大作の類には関わらなくなり、その代わりに独自路線を突っ走ってカルトの帝王と呼ばれるまでになりました。
キャスティング面では、主演のカイル・マクラクランと相手役のショーン・ヤングこそ観客受けを狙った新人の美男美女キャストであるものの、それ以外のキャストはヨーロッパ出身者を中心とした実力派を揃えています。
1920年生まれのアメリカ人作家・フランク・ハーバートは6年間の調査と執筆の末、1965年に『デューン/砂の惑星』を書きあげました。ただし当初の出版社の食いつきは悪く、12もの出版社に断られ、フィラデルフィアの小さな出版社でようやく出版へと漕ぎつけました。
出版されるや、『デューン/砂の惑星』は大変な評判となりました。「高貴な血脈に生まれ本来は高い身分にあるべき者が、不幸の境遇に置かれる中で冒険をし、正義を発揮する」という貴種流離譚的な王道のストーリーラインを基礎としつつも、当時としては際立って独創的だった世界観と、その設定の詳細さが評価され、SF小説界のツートップと呼ばれるヒューゴー賞とネビュラ賞をダブル受賞したのでした。
また、生態学を基礎とするエコロジカルな視点をSFに持ち込んだことが当時としては新鮮であり、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』(1984年)などに影響を与えたと言われています。
1971年に『猿の惑星』シリーズのアーサー・P・ジェイコブスが映画化権を取得。原作執筆時にフランク・ハーバートは『アラビアのロレンス』(1962年)を念頭に置いていたことから、その監督のデヴィッド・リーンに監督依頼をしましたが断られました。そして、ジェイコブスの急死により企画は中止となりました。
フランスの映画製作組合が映画化権を買い取り、女優レア・セドゥの叔父にあたるミシェル・セドゥがプロデューサーに就任。
チリの鬼才・アレハンドロ・ホドロフスキーが監督に選ばれ、コンセプト・アートにメビウス、宇宙船デザインにクリス・フォス、美術にH・R・ギーガー、特殊効果にダン・オバノンといった一流メンバーが集められましたが、上映時間10時間という前代未聞の長尺のために製作費が集まらず、撮影に入ることなく製作中止となりました。
企画中止後、ダン・オバノンは塩漬け状態だった『エイリアン』(1979年)の脚本に本格的に取り掛かり、共にホドロフスキー版に関わっていたH・R・ギーガー、後のディノ・デ・ラウレンティス版に関わるリドリー・スコットの手で映画化されて大ヒットしました。
インディペンデント系のプロデューサーとしては当時世界一だったディノ・デ・ラウレンティスが権利を買い取り、娘のラファエラ・デ・ラウレンティスがプロデューサーに就任。
当初、監督にはリドリー・スコットが内定していたのですが、彼のビジョンは『エイリアン』(1979年)に酷似していたため、ラウレンティスは難色を示していたと言われています。思うように進まないプロダクションに業を煮やしたスコットは本作を辞退して『ブレードランナー』(1982年)へと移って行ったのですが、そちらにも本作と同じくショーン・ヤングが出演しています。
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また、『ブレードランナー』の続編『ブレードランナー2049』(2017年)の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは、2021年公開予定の『デューン』の再映画化企画に取り組んでいます。両作に親和性でもあるんでしょうか。
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リドリー・スコットが去った後、『イレイザーヘッド』(1976年)と『エレファントマン』(1980年)という2本のモノクロ映画しか実績のないデヴィッド・リンチが監督に就任。さらには本作の続編2本の監督にも内定しており、リンチは本作のために『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(1983年)のオファーを断りました。
製作費4000万ドルを費やして本作は完成。1984年にもっともヒットした映画『ゴーストバスターズ』(1984年)の製作費3000万ドル、2番目にヒットした『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)の2800万ドルと比較すると、本作がいかに高コストであったかが分かります。
1984年12月14日に全米公開されましたが、最終的に2億3476万ドルを稼ぎ出すことになるモンスター『ビバリーヒルズ・コップ』(1984年)が猛威を振るっていた時期だったという運の悪さもあって、初登場2位。
その後も売り上げが伸びていくことはなく公開5週目にしてトップ10圏外へとスピンアウトし、全米トータルグロスは3092万ドルにとどまりました。劇場の取り分や広告宣伝費を考慮すると大赤字です。
機械の反乱により機械文明は終わりを告げ、人類は生物としてのポテンシャルをより強化することで、それまで機械にさせていた役割を人類自らこなすようになった。超能力を持つ女性種族ベネ・ゲセリット、恒星間飛行能力を持つスペースギルド、人間コンピューター・メンタットなどがその例であるが、能力拡張のためにはメランジが不可欠だった。
以上は1994年に発表された189分の『特別編』の冒頭で説明された内容であり、劇場版ではまったく触れられていません。劇場版の不親切さは凄いことになっていますね。
惑星カラダンを拠点としている。皇帝の命によりメランジが産出される惑星アラキスの盟主となった。
惑星ギエディ・プライムを拠点としている。惑星アラキスでのメランジ採掘権を所有している。
惑星カイテインを拠点としている。惑星アラキスの領有権争いの火種を作った上で、ハルコネン家にアトレイデス家を討たせようとしている。
宇宙航行を独占するグループであり、皇帝以上の影響力を持っている。メランジの大量摂取が必要であるため、アラキス情勢に関心を持っている。
本作の美術は『2001年宇宙の旅』(1968年)のアンソニー・マスターズが担当しているのですが、芸術的な美しさと技術的な合理性を両立した『2001年』からさらに発展し、中世風の世界なのだが、そこに未来のテクノロジーを感じさせるという、驚きの世界観の表現に成功しています。
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本作では16のサウンドステージに80ものセットが建造されましたが、平凡なものは何ひとつなく、しばし眺めていたくなるほどの重厚さとインパクトがありました。
これだけインパクトのある美術は、その後『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)まで登場しておらず、35年経った現在の目で見ても、というか、壮大な美術はブルーバック合成が当たり前になった現在で見るとより一層、これだけ凄いデザインが描かれて実際に建造されたという事実に驚かされ、その重厚さに目を奪われました。
後述する通り、本作のストーリーには大変な問題があるのですが、その問題を補って余りあるほど、美術デザインは作品の魅力となっています。
デヴィッド・リンチと言えば個人映画『イレイザー・ヘッド』(1976年)でデビューして以来、一貫して変な映画を撮り続けている人という印象なのですが、本作では意外とエンターテイメントできています。
冒頭、メインテーマが流れ終わって本編に入ると、いきなり惑星カイテインの宇宙船発着場の場面となり、巨大宇宙船とモブが合成された見事な場面に目を奪われます。壮大なSFを期待してきた観客の心をいきなり掴むのかと、そのサービス精神が嬉しくなりました。
本作には大きな山場が二つあります。中盤のハルコネン軍によるアラキス侵攻と、クライマックスのフレーメンの反乱なのですが、そのどちらも戦闘が始まる前のあおりや、いざ戦闘が始まった際に高鳴るメインテーマ、抜群のタイミングで繰り出される派手なアクションと、ちゃんと面白い見せ場になっており、デヴィッド・リンチってこんなこともできるんだと感心させられました。
加えて、最後の最後ではポールがあえて超能力を封印して、スティング扮するフェイド・ラウサとのナイフ戦を繰り広げるのですが、大掛かりな戦闘を経てテンションがピークに達したところで、原始的なナイフ戦でしめるという構成は後年の『リーサル・ウェポン』(1987年)みたいで、実に分かってらっしゃる。画面からあふれ出るほどの男の闘争心に、こちらも大興奮でした
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ただしホドロフスキーが10時間という上映時間を考えていたことからも分かる通り、原作のボリュームはただ事ではなく、とても標準的な映画の尺に収まる内容ではありませんでした。
実際、デヴィッド・リンチが当初完成させたバージョンは4時間超えだったと言われているのですが、ラウレンティスが無理やりこれを圧縮して2時間17分にまで短縮しました。
その結果、大勢の登場人物が入り乱れているが、誰が誰やら分からないうちにフェードアウトしていった、よく話を理解していない状態でどんどん映画が進んで行って、気が付けばポールが超人化していたという、恐ろしい事態が発生しました。
加えて私の初見は日曜洋画劇場であり、通常枠での放送につき正味90分という恐ろしい編集がなされていたために、話を全然理解できませんでした。
日曜洋画劇場の超絶編集はさておき映画そのものに関してですが、プロデューサーと監督の足並みが揃っていないことが、この混乱を招いたのではないかと思います。
ラウレンティスは2時間強の映画にするつもりだったのに、そのオーダーを受けてリンチが作ったものが4時間だったというのは、明らかに発注者と受注者の間でのビジョンの相違が発生しています。
もし最初から2時間の映画にするつもりで作っていれば、同じあらすじだとしてもサイドストーリーを減らしたり、登場人物の統廃合をしたりで、もっと分かりやすくすることもできはず。例えば、ハルコネン家なんてウラディミール、フェイド・ラウサ、ラバンの3人も出す必要などなく、一人に集約してしまえばよかったのです。
本作はデヴィッド・リンチが最終編集権を持たなかった唯一の作品であり(『エレファントマン』も契約書上は最終編集権がなかったものの、プロデューサーのメル・ブルックスが実質上、リンチの権利を認めていた)、リンチはそのことを後悔する発言をしています。このエピソードの裏を返せば、それくらいプロデューサーと監督の間での意見の統一がなされていなかったということになります。
最後にちょっとだけリンチとラウレンティスのフォローをしますね。
『デューン/砂の惑星』は2000年にウィリアム・ハート主演でテレビのミニシリーズ化されており、その際には合計265分というたっぷりとした枠が使えたのですが、同作とリンチの映画版を比較すると、リンチ版は要点をほぼ外していないことに驚かされました。
時間不足で舌っ足らずではあるものの、長大な原作のエッセンスのような部分はもれなく抽出していたのです。当該ミニシリーズを見て、かえってリンチの構成力の凄さを思い知りました。
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