【良作】DUNE/デューン 砂の惑星_素晴らしい映像美だが後半ダレる(ネタバレあり・感想・解説)

SF・ファンタジー
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(2021年 アメリカ)
圧巻の映像美に魅せられる作品で、開始1時間くらいはうっとりとした目で見たほどでした。主人公の視点に絞るという脚色の工夫により、リンチ版最大の欠点だった尺詰め込みすぎ問題も改善されたのですが、改善しすぎて後半が間延びして感じられたのはいただけません。

作品解説

世界観

本作は西暦1万年を舞台にしたSFなのですが、テクノロジーや社会風潮に対して独特な設定が置かれているにもかかわらず、映画本編にその説明がないので、軽く解説しておきます。

機械の反乱により機械文明は終わりを告げ、人類は生物としてのポテンシャルをより強化することで、それまで機械にさせていた役割を人類自らこなすようになっていました。

超能力を持つ女性修道会ベネ・ゲセリット、恒星間飛行能力を持つスペーシング・ギルド、人間コンピューター・メンタットなどがその例であるが、その能力拡張のためにはスパイスの一種であるメランジが不可欠であり、その唯一の産地である惑星アラキスは別名デューンとも呼ばれていました。

キャスト&キャラクター

感想

映像美に魅せられる

世界初のFilmed for IMAXの認定を受けた作品ということで、映像美にこだわった作品であることは事前に織り込み済。IMAXで見なきゃヴィルヌーヴに悪いぜということで、IMAXレーザー導入スクリーンで見てまいりました。

SF映画『ブレードランナー2049』『メッセージ』はもちろんのこと、メキシコ麻薬戦争を描いた『ボーダーライン』までを美しく収めた実績を持つドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、本作においてキャリア最高ともいえる映像美を炸裂させます。

惑星アラキスの砂漠は過酷さと美しさを併せ持ち、地元民フレメンのゲリラがハルコネン軍団を襲う冒頭より「かっこいい!」の一言。

その後も、雄大な自然、ありえないほど巨大なメカや建造物、SF的でもあり時代劇的でもある衣装を身に纏ったキャラクターの3点セットが常に画面に登場し、そのデザインのすばらしさと、これを彩るヴィルヌーヴの映像美には魅せられました。

極端な引きの画で砂粒のような群衆と巨大な構築物、さらにその背後には美しい自然というショットが何度も出てくるのですが、これは何度見ても飽きが来ませんでしたね。

豪華俳優陣の重厚な演技

そして、登場するキャスト達も完全にこの世界の住人となっていました。

主人公ポール・アトレイデスを演じるティモシー・シャラメはこの世のものとは思えないほどの美しさであり、確かに「救世主」と言われるにふさわしい存在感を纏っています。

レト・アトレイデスを演じるオスカー・アイザックスの威厳、副官ガーニーを演じるジョシュ・ブローリンの武人らしさなども素晴らしく、俳優たちのハマり度合やパフォーマンスは、おおむねデヴィッド・リンチ版を上回っていました。

そんな中でも特に印象に残ったのが、ポールの母レディ・ジェシカを演じるレベッカ・ファーガソンと、ポールの師匠にして友人でもあるダンカンを演じるジェイソン・モモアでした。

リンチ版のレディ・ジェシカは女修道院ベネ・ゲセリットで修業をした人物らしい超然とした雰囲気があって、これはこれでよかったのですが、ファーガソンのジェシカにはそこに母としての毅然とした姿勢が加味されており、より人間らしいキャラクターとなっています。

ダンカンは、ほとんど印象に残らないほど薄いキャラクターだったリンチ版からは一転して、武人らしい強さとポールの友人としての愛嬌を併せ持つ魅力的なキャラクターに昇格しています。

線の細いシャラメとのコンビは牛若丸と弁慶という風情であり、こちらも良い意味での時代劇らしさがありました。

綺麗に整理されたストーリー

物語は原作やリンチ版を知る方にはお馴染みのもので、大幅な改変などを加えず原作のストーリーに忠実なものとなっています。

ただしリンチ版に登場した皇帝やスペーシング・ギルドの姿が本作にはなく、銀河の政治状況を俯瞰して捉えようとしていたリンチ版に対して、本作は主人公ポール・アトレイデスの主観に絞ることで、物語の交通整理を図っています。

その効果には絶大なものがあって、リンチ版では随分と複雑で難解に感じられたのと同じ話のはずなのに、本作では立て板に水を流すかのように淀みなく物語が進行していきます。

脚色にはヴィルヌーヴに加えて、『フォレスト・ガンプ 一期一会』(1994年)『ミュンヘン』(2006年)など原作ものに強いエリック・ロスが参加しているのですが、本作の出来は名脚本家ロスの面目躍如といったところでしょうか。

ただしこれには弊害もあって、ポールの主観に絞ってしまうと正義のアトレイデス家の描写が中心となってしまい、バラエティに富んだ悪というものが見られなくなってしまいます。

実際、リンチ版は皇帝、スペーシング・ギルド、ハルコネン男爵といった悪の描写にこそ力を入れており、観客の目にもアトレイデス家以上に彼ら「悪の華」が魅力的に映っていました。

ストーリーの整理と引き換えに、そうしたものを失ってしまったことは損失だったと思います。

後半の逃走劇は長くてダレる

そうした脚色による整理に加えて、前後編に分けることで長大な原作をやっつけています。詰め込みすぎで訳が分からなくなったリンチ版を教訓にしたのでしょうが、その結果、皮肉なことに話にダレ場ができるという正反対の問題が生じています。

ハルコネン家の襲撃を受けてアトレイデス家が壊滅し、ポールとレディ・ジェシカは命からがらその危機から逃れるのですが、彼らが砂漠の民フレメンと出会うまでの過程が長いこと長いこと。

物語全体を俯瞰してもさして重要とは思えないパートなのですが、ここに上映時間の多くを使っているので、「いつまでやってるんだろう」という感じです。

このパートの尺を詰めて上映時間を3時間にまで拡大すれば前後編に分けるまでもなく、一本で全部やれたような気もするのですが、予算の都合上、ここまでしかやれなかったのでしょうか。

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